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フィリピン映画界の虎の穴?サラミンダナオ・アジアン映画祭(フィリピン)

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映画祭のメイン会場SMシティ・シネマには、近隣のダバオからも鑑賞に訪れた観客がいたという。やはり地元映画が人気。

【第55回】
 『痛ましき謎への子守唄』が第66回ベルリン国際映画祭で銀熊賞、『ザ・ウーマン・フー・レフト(英題) / The Woman Who Left』が第73回ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞など国際舞台で注目を浴びるフィリピンのラヴ・ディアス監督。その彼の故郷であるフィリピン・ミンダナオ島で、2013年に初の国際映画祭がスタート。2016年11月7日~13日に開催された第4回に、『ぽんぽこマウンテン』でアジアン短編コンペティション部門に参加した吉田孝行監督がリポートします。(取材・文:中山治美、写真:吉田孝行)

サラミンダナオ・アジアン映画祭HP

早くも名称変更

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ミンダナオ島のジェネラルサントス空港に到着。撮影は同じ便に同乗していた短編部門『インターナル・オーガン(英題) / Internal Organs』(フィリピン)の監督で、ブリランテ・メンドーサ監督の教え子でもあるマーティン・マユガ監督。
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映画祭ではシンポジウムも多数開催。リージョナル・シネマ(地域映画)のシンポジウムには、(写真右から)映画祭ディレクターのテン・マンガンサカン、フィリピンのアーキビストであるテディ・コー、アジアン短編コンペティション部門『ザ・ドッグス・ララバイ(英題) / The Dog`s Lullaby』(インドネシア)のマクブル・ムバラク監督、アジアン長編コンペティション部門『ジアラ(原題) / ZIARAH』(インドネシア)のBW・プルバ・ヌガラ監督、映画祭アドバイザーのフィリップ・チア、酒井耕監督ら、多彩なメンバーが登壇した。

 同映画祭はミンダナオの映画振興と人材育成、並びに近隣諸国の映画関係者との交流を目的にミンダナオ映画芸術センターによって創設された。当初の名称はサラミンダナオ国際映画祭。だが、よりアジアにフォーカスした映画祭へとコンセプトを変更したことに伴い、2016年からサラミンダナオ・アジアン映画祭に名称を変更した。

 映画祭ディレクターは、地元ミンダナオ出身で、山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIFF)などで来日経験もある映画作家&映画批評家のテン・マンガンサカン。吉田監督が本映画祭を知ったのも、2015年のYIFFで行われたヤマガタ映画批評ワークショップ。シンポジウム「実験的な映像としてのドキュメンタリー」が行われ、パネリストの一人として登壇していたのがマンガンサカン監督だった。

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上映のメイン会場SMシティ・シネマが入っているショッピングモールSM。その前をフィリピンの三輪タクシー「トライシクル」が行き交う。映画祭参加者も、トライシクルを使って移動。

 そして2016年、今度はYIFFと国際交流基金アジアセンターのサポートを受けて、サラミンダナオ・アジアン映画祭で映画批評ワークショップが行われることに。日本からの参加者を募集していると知り、吉田監督は早速、応募をした。

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リージョナル・シネマのシンポジウムは国際交流基金アジアセンターがサポート。同センターの滝本亜魅子さんが事業内容について説明した。

 「渡航費用を助成してくれると聞き、“タダでフィリピンへ行ける!”という魂胆が見え見えだったようでこちらは落選となりました(苦笑)。ただアジアン短編コンペティション部門があると知り、直ちに応募してみたところ、こちらで参加することに。渡航費用は出ないということで迷いましたが、ミンダナオは敬愛するラヴ・ディアス監督の故郷。第29回東京国際映画祭で見た489分の大作『痛ましき謎への子守唄』に感動し、この突出した映画作家が生まれた背景には、特異な歴史を持つミンダナオ島が影響しているのではないかと興味を抱きました。その島をこの目で見てみたいという思いもあって、渡航を決めました」(吉田監督)。

コンパクトサイズで毎夜交流

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ミンダナオ・スクリーン・ラボに参加していた現地の若き映像作家たちと記念撮影。この中から世界へと飛び出す巨匠が生まれるかも?
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アジアン長編コンペティション部門の最優秀アジアン長編映画賞はBW・プルバ・ヌガラ監督『ジアラ(原題) / ZIARAH』(インドネシア)。「ジアラ」とはインドネシア語で「祈り」の意味。

 映画祭のプログラムは、アジアン長編コンペティション(9本)、アジアン短編コンペティション(9本)、フィリピン短編コンペティション(8本)、ミンダナオを特集したミンダナオ・ビジョン・エキシビジョン、特別上映で長短合わせて約80本の作品。上映と平行して、クリス・フジワラが講師を務める映画批評ワークショップや、映画制作ワークショップ「ミンダナオ・スクリーン・ラボ」などが開催された。

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アジアン短編コンペティション部門最優秀アジアン短編映画賞はデビッド・パラゾン監督『サーチング・フォー・ロスト・ラブ(英題) / Searching for lost love』(東ティモール)。愛らしい人形が誘拐されたパートナーを探して、東ティモールのアタウロ島を旅するストップモーション・アニメだ。

 日本からは、アジアン長編コンペティション部門に富田克也監督の日本・フランス・タイ・ラオス合作映画『バンコクナイツ』(2月25日公開)、同短編コンペティション部門に吉田監督の『ぽんぽこマウンテン』、そしてミンダナオ・スクリーン・ラボに講師として参加していた酒井耕監督が濱口竜介監督と共同監督したドキュメンタリー『うたうひと』(2013)が上映された。

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吉田孝行監督の『ぽんぽこマウンテン』は、国営武蔵丘陵森林公園にある遊具で撮影。さまざまな場所を遊び場にしてしまう子供たちの無邪気な姿に惹かれてカメラを向けたという。

 メイン会場はジェネラルサントス市中心街にあるショッピングモール内のシネコンSMシティ・シネマ。ただ、『ぽんぽこマウンテン』は3回上映され、うち2回が『バンコクナイツ』との併映で同市内のCIAS会議室で上映された。これは『バンコクナイツ』に性的表現が含まれておりシネコンでは上映できないことから、第2会場での上映となったようだ。入場料金は全て無料。

 「シネコンでの上映は、フィリピン作品だと若い観客で約300席が埋まるのですが、『ぽんぽこマウンテン』の初回上映は15人ほどと、正直寂しかったです。会議室なので上映環境も決していいとは言えませんし、映写チェックもなかった。上映開始時間の遅延や、作品のかけ間違えなどもありスタッフの育成、特に映写の技術者の教育の重要性を感じました」(吉田監督)。

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吉田監督の『ぽんぽこマウンテン』上映会場は、映画祭のサブ会場だった会議室。上映後のティーチ・インには映画批評家クリス・フジワラさんが、講師を務めた映画批評ワークショップの受講生たちを連れてきてくれた。

 一方で、映画批評ワークショップの講師を務めたクリス・フジワラ氏が『ぽんぽこマウンテン』を課題に取り上げ、上映後のQ&Aに受講生11人を連れて参加してくれたという。「その後、批評も書いてくれたようですが、僕自身の所にはまだ内容は届いていません。映画祭は上映は昼間のみ、夜は参加者全員でパーティーと交流の場が設けられたのですが、映画批評ワークショップ受講生は毎夜、その日見た作品の批評を書かねばならず、パーティーに参加していたのは最終日のみでした」。

 映画批評ワークショップの受講生11人は、公募で選ばれたフィリピン人(6人)、インドネシア人(2人)、シンガポール人(1人)、日本人(2人)という構成。少数制でみっちり指導が行われたようだ。ここから未来の映画界を担う人材が育つことを期待したい。

現地情報に注意!

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映画祭が終了した翌日にジェネラルサントスの街を観光。こちらは中心地にあるマーケット。野生的な果物や野菜が並ぶ。
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宿泊したパーム・ウッズ・ホテル。内装綺麗でお値段お手頃。

 ミンダナオ島には、日本からフィリピン・マニラ経由でジェネラルサントス空港へ。吉田監督はジェットスター航空を利用し、4泊5日滞在した。前述したように渡航費用は自費で、往復5万以内で収め、宿泊は映画祭側が用意してくれたという。

 「ただ、それが女性を含めた3人の相部屋で……(苦笑)。現地ではそれが当たり前なのかもしれませんが、さすがに休まる気がしないので、シングルに変更して結局、自分で支払いました。どうやら後で伺ったら、僕の代わりに映画祭ディレクターのマンガンサカンさんが宿泊していたようで申し訳ないことをしたなと思いました」(吉田監督)。

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映画祭は毎夜、パーティー形式で皆で食事。自ずと交流が深まる。

 映画祭側からはとにかく「テロや誘拐の危険性があるので、ジェネラルサントス以外には行ってはいけない」と指導を受けたという。ミンダナオは太平洋戦争時、日本軍と米国軍、並びにフィリピン人ゲリラが激戦を行った場として知られる。

 終戦後は、政府とイスラム武力勢力が抗争を繰り広げ、2014年3月に政府と武力勢力双方の和平交渉団によってミンダナオ包括和平合意文書が交わされた。だがいまだ外務省の海外安全ホームページでは、ミンダナオ地域の渡航はレベル3の渡航中止勧告が継続している。

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ラヴ・ディアス監督。第73回ベネチア国際映画祭では金獅子賞を受賞した。 - Franco Origlia / Getty Images

 「ジェネラルサントスの街中こそショッピングモールもあり、日本と変わらぬ近代化した都市の形相が見えますが、一歩外に出ると40年以上に渡る紛争で開発が遅れ、正直、貧しさを感じる光景も垣間見えました。実際にラヴ・ディアス監督に取材した際に伺ったのですが、彼も長年の紛争で親族や多くの友人たちを亡くしているそうです。また映画祭ディレクターのマンガンサカンさんも、祖父がミンダナオ独立運動(MIM)のリーダーで、イスラム系住民を牽引してきた家系のようです。所詮今回の滞在は短期間の旅行者に過ぎず、それだけでミンダナオ島出身の映画作家たちが背負ってきたモノを理解したというのは幻想でしかないのですが、それでも彼らのそうしたバックボーンが力強い作品を生み出しているのではないかと思いました」(吉田監督)。

 ちなみに、映画祭名の「サラミンダナオ」は、タガログ語のsalam(平和)やsalamin(鏡)を掛け合わせており、映画祭が平和の象徴となるようにという願いが込められているという。

短編は次回作へのステップ

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映画祭ディナーの一コマ。(写真右)からアドバイザーのフィリップ・チアと、フィリピンの映画研究者エドワード・カバニョ。チアは東京国際映画祭の第24回でアジアの風部門、第29回で国際交流基金アジアセンター特別賞の審査委員を務めた。カバニョも、日本財団アジア・フェローシップの支援で日本滞在経験有りと、日本への造詣が深い。
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映画祭ポスターをバックに。吉田孝行監督。1972年生まれ。北海道出身。

 吉田監督は35歳で映画に目覚め、会社勤務をしながら映画美学校(東京・渋谷)で映像制作を学んだ経歴を持つ。現在は、映画批評家として単行本等に論考を発表する一方で映像制作を行っている。最新作の『ぽんぽこマウンテン』は、日本のとある公園に設置された遊具・ぽんぽこマウンテンで戯れる子供たちをモノクロ映像で捉えた10分の作品で、インドネシアのジョグジャ・ネットパック・アジアン映画祭など10か国以上の国際映画祭で上映されている。

 「実は今、ある彫刻公園を舞台にドキュメンタリーを作れないか企画していまして、その関係者にアプローチするためのプロトタイプとして制作しました。いつかこの作品を見ていただける日が来るといいのですが……」(吉田監督)。今後の展開を見守りたい。

ドキュメンタリーカルチャーマガジン neoneo

●吉田孝行 Twitter Facebook

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