伝説のロックプロモーターを描いたドキュメンタリー、監督が語る

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『ザ・ショウズ・ザ・シング:ザ・レジェンダリー・プロモーターズ・オブ・ロック(原題)』より、世界的ギタリスト、サンタナの1970年のライブの様子 - (C)The Show's The Thing: The Legendary Promoters of Rock

 アメリカの伝説のコンサート・プロモーターを描いた話題のドキュメンタリー映画『ザ・ショウズ・ザ・シング:ザ・レジェンダリー・プロモーターズ・オブ・ロック(原題) / The Show's The Thing: The Legendary Promoters of Rock』について、共同監督のモリー・バーンスタインフィリップ・ドーリンが、E-mailインタビューに応じた。

【作品写真』ザ・ビートルズ1964年のワールドツアーを描いたドキュメンタリー

 同作は、アメリカの伝説のコンサート・プロモーター、フランク・バーサローナさんと、彼が立ち上げたプレミア・タレント・エージェンシーに属するアーティストたち、そしてそんな彼に影響を受けた音楽プロモーターのビル・グラハムさん、ジェリー・ワイントローブさんたちを通して、プロモーターがいかにアメリカの音楽業界に変革をもたらしたかを描いたドキュメンタリー。

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 今作の製作経緯についてバーンスタイン監督は「わたしとフィリップは、先日亡くなったマジシャンのリッキー・ジェイを扱ったドキュメンタリーをアメリカ・マスターという番組で手掛けたことがあったの。そのリッキーのマネージャーで、過去にミュージシャンのジョー・ジャクソンやシンガーソングライターのカーリー・サイモンのマネージャーをした経験のある音楽業界に精通したウィンストン・シモンが、わたしたちに伝説のロックプロモーターの映画を作ることを勧めてくれたの。そして、そのウィンストンが、当時のロックコンサートを主催した少しクレイジーなプロモーターたちを紹介してくれたわ。彼らはプロモーターの先駆者で、情熱的で、リスクを背負ってやっていた。小さなビジネスから握手で契約を交わし、偉大なロックスターたちを育ててきたのよ。でも一般の人々にはあまり知られていないから、映画として描くには素晴らしい題材だと思ったわ」と語った。

 フランクさんは1964年にプレミア・タレント・エージェンシーを設立したが、このエージェンシーの音楽界での重要性について「エルヴィス・プレスリーが陸軍に入隊し、当時の多くのエージェントはこのままロックが終わるのではないかと疑念を抱いていたそうなんだ。だが、フランクさんは、自身が行ったザ・ビートルズのワシントンDCの最初のコンサートの観客の大興奮を見て、まだロックは終わっていないと判断したんだ。そこで、ザ・ビートルズをエド・サリバン・ショーにブッキングし、自身が働いていたタレント・エージェンシー、GACを辞めて、プレミア・タレント・エージェンシーを設立した。ロックミュージシャンだけに特化した、アメリカ初のエージェンシーとなったんだよ。当時の彼は、イギリスのバンドと多くの契約を結び、そして彼らが主催するコンサートはアメリカのさまざまな大都市で行われていったんだ」とドーリン監督。これが後にアメリカでのロックコンサートの形態になっていったという。

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 フランクさんが主張した「バーサローナ・システム」と言われた、一つの街に一人のプロモーターという設定がもたらす意味合いについて、バーンスタイン監督は「これはフランクが、まだあまり知名度の高くない若手アーティストや若手バンドを抱えるプロモーターたちに、新たな機会を与えることが必要だと感じたからなの。彼は、そんな若手のアーティストやバンドを抱えるプロモーターに大きなイベントやコンサートの機会を与え、当然うまくいけば大きな利益を得たし、逆に利益が得られなくても、次回のイベントやコンサートでは、そのプロモーターに、穴埋めさせる機会をあえて与えていたわ。これは音楽界では『ファーミング・システム』と呼ばれていて、新たな才能ある若手が大物アーティストや大物バンドの前座を務めることで、知名度が上がるようにさせていたのよ」と説明した。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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