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青山真治監督の特集上映に地元ファンが涙、第一回北九州国際映画祭が閉幕!

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青山監督の妻、とよた真帆
青山監督の妻、とよた真帆

 今月13日から北九州市で開催されていた、第1回北九州国際映画祭が17日、フィナーレを迎えた。北九州市出身のリリー・フランキーがアンバサダーを務める本映画祭では、17日まで北九州芸術劇場や、小倉昭和館や北九州で撮影され、カンヌ国際映画祭出品作品ともなった『逃げきれた夢』をはじめ、国内外合計33作品が上映された。

 同映画祭には、「ブギウギ」が話題の足立紳監督、北九州出身の板谷由夏光石研、女優の吉本実憂ら豪華なゲストが集結。昨年8月、旦過市場を含む大規模な火災に巻き込まれて全焼後、多くの映画ファンからのサポートを受けて見事な復活を遂げた小倉昭和館が会場の一つとなり、復活に尽力した樋口智巳館長のもとには多くの映画人が駆けつけ、全国のミニシアターの支配人を巡るドキュメンタリー『ディス・マジック・モーメント』が上映されリム・カーワイ監督、俳優の尚玄らが登壇した。

 また期間中には、令和4年3月に亡くなった北九州出身の青山真治監督の追悼特集上映「帰れ北九州へーー青山真治の魂と軌跡」が開催。北九州サーガ3部作とされる、劇場用映画デビュー作『Helpless』、カンヌを始め世界中で絶賛を浴びた『EUREKA ユリイカ』、3部作の最終章『サッド ヴァケイション』。さらには同名の芥川賞受賞作を原作とした『共喰い』『東京公園』、最後の劇場公開作品『空に住む』が上映された。

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 小倉昭和館のこけら落としとなった14日の映画『共喰い』上映後の舞台挨拶には光石、とよた真帆、プロデューサーの甲斐真樹、斉藤陽一郎も参加。主演の光石は「僕は1994年に『Helpless』というお仕事をいただいたときに、台本が全部北九州弁で。監督が門司の人だと聞いて。当時、ちょうど(キャリアの)過渡期で藁をも掴む思いで、作品に参加させていただいて以来、僕の運命は大きく変わりました。多分、あそこで『Helpless』に出会っていなかったら僕は俳優を続けていなかった」と青山監督への感謝を語った。青山組の常連俳優の斉藤は全日程の舞台挨拶に参加。 「配信やDVDで観るのではなく、たくさんの映画を映画館のスクリーンで浴びるように観る体験が日常的になるように、その事のきっかけが映画祭という場になると良いなと思っています」と思いを語った。

 『サッド ヴァケイション』の舞台挨拶に登壇した板谷は「撮影初日に、青山監督から、何もすんな」って最初に言われたんです。その言葉がずっと20年近く今も、私の中でベースにあるんです。あの一言の深さが、当時よりもだいぶ分かってきたから、ますます深みが出てきて。20代の時に青山監督からかけてもらった言葉が大きかったなと思いました」と監督の偉大さを語った。

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 青山監督の妻である女優のとよた真帆は、「九州って美しいんですよ。映像を撮るだけですごい美しくて説得力があるっていうところが、青山真治が北九州を愛していた一つの理由だと思うんです。ロケ現場って必ず皆さん問題になって、貸してくれない施設があるとか、ロケできないところが多いっていうことで、いろいろいろなところを転々としないといけないんですけれど、九州であれば、もしみんなが撮影に協力的で、映画を盛り上げようという気持ちがあれば、これからもいろいろな監督が映画を撮れる。そして、市民の皆さん全員と一緒に映画を撮るみたいな土壌ができたら、(ほかの地域でも)九州みたいに映画を撮れると思われるんじゃないかなと思い、それを望んでいます。細々とでもいいので映画祭を続けていただきたいと願っております」と思いを語った。

 スタンディングオベーションの中1943年製作「無法松の一生」の4Kデジタル修復版が上映されたオープニングセレモニーを皮切りに、開催期間中、各会場には映画人、映画ファンの多くの映画愛と北九州への地元愛が溢れていた。(森田真帆)

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