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『時かけ』『ねらわれた学園』…80年代を駆け抜けたアイドルたち 大林宣彦監督の名語録満載!(3/4)

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『時をかける少女』人気の理由

時をかける少女
『時をかける少女』チラシ (C)KADOKAWA1983

 当時、業界で全く評価されなかったにもかかわらず30年以上経った今、青春ファンタジーの代表作として、アイドル映画の代表作として、親しまれ続ける理由はどこにあるのか。大林監督と角川春樹プロデューサーには、「100年後に残る映画を作りたい」という思いがあったという。  「映画というのはその時、時代の中で生まれてくるわけで、その時代の中でどう受けるか、どうヒットするのか、どう儲かるかというビジネスですから時代にフィットすればするほど色あせてしまう。だけど、『時をかける少女』は、そういうことと関係なく作られた映画なんです。それと同時に春樹さんと僕は、二人とも表現者で芸術家であるわけですから、今ヒットして認められるよりは100年後に認められる方がいいという魂があった。当時、ひろ子ちゃんは『ねらわれた学園』でアイドルとして成功して、『時かけ』は彼女の主演作『探偵物語』(1983)と2本立てで上映されたので、『探偵物語』だけで商売になるわけですよ。でも、僕は密かに100年後には『時かけ』の方が残るぞと思っていた。そうして、当時反応してくれた14、5歳の子たちに語り継がれることで、まさに『時をかける』映画になった」

 タイムトラベルを題材にした本作では、“映像の魔術師”と謳われた大林監督ならではの特撮マジックがさく裂し、約28億円のヒットとなった。しかし実のところ、破格のローバジェット作品だった。 「その前の年に僕は『転校生』(1982)という映画を尾道で撮っていて、春樹さんがこの映画が大好きでね。尾道で撮れば、小林聡美のような輝きを原田知世が持ちうるのではないかと。それで『転校生』は海の尾道だから、『時をかける少女』は山の尾道を撮ろうということになって、クランクインには僕とキャメラマンと二人だけで尾道に行きました。だけどそういう手作りの温もり、そして何よりも当ててやろうとかいうのではなく、知世ちゃんがおばあちゃんになったころにフィルムを取り出したくなるような映画を作ろうという純粋な思いがあったからこそ、時代を超えて理解されるような映画になったのではないか。春樹さんと僕の、そういう映画人のフィロソフィーというか映画に託す覚悟と夢は、それは強かったんです」

>次ページは、大林組が「マネージャー立ち入り禁止」のワケ

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