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最強カップルが築いたプラダ帝国の軌跡【第12回プラダ】

映画に見る憧れのブランド

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Manfred Segerer / ullstein bild via Getty Images / ゲッティ イメージズ

 プラダと聞くと黒のナイロンバッグを思い出す人が多いのではないでしょうか。ミウッチャ・プラダが創立したブランドというイメージがあるプラダですが、実はミラノの鞄屋から創業したことをご存知でしょうか?

 今では、プラダ、ミュウミュウ、チャーチ、カー・シューなどのアパレルブランドだけではなく、ミラノの老舗菓子店パスティッチェリア・マルケージをも傘下に置くプラダグループ。今回は、プラダ帝国がどのように築き上げられたのか、映画と共に振り返ってみましょう。

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ミウッチャは実は3代目!

 1913年、ミウッチャの祖父マリオ・プラダは、弟と共にミラノにプラダ兄弟という店を開業。なめし革や珍しい革を使ったトランクやスーツケースが大人気になり、第一次世界大戦後の1919年には、サヴォイア王家御用達にまで成長しました。

 プラダとミュウミュウが衣装を提供した、バズ・ラーマン監督作『華麗なるギャツビー』(2013)の時代が、ちょうどプラダ兄弟が繁栄していた頃。第一次世界大戦後の処理に追われるヨーロッパの債権者となったウォール街が、世界経済の中心となっていました。レオナルド・ディカプリオ演じるギャツビーも、戦争特需でリッチになったアメリカ人の一人。

『華麗なるギャツビー』
ギャツビーとデイジーの悲恋……映画『華麗なるギャツビー』より - Warner Bros. / Photofest / ゲッティ イメージズ

 戦争の暗い記憶を振り払うかのように、人々はジャズやアール・デコ美術に酔いしれ、大量生産や消費文化が花開き、狂騒の時代と呼ばれた1920年代。作中でギャツビーが恋焦がれるデイジー(キャリー・マリガン)は、戦争以前からの由緒ある旧家。成り上がりのギャツビーがどんなに成功しようと上流階級には受け入れられず、デイジーと結ばれぬ悲恋が本作の軸となっています。原作はF・スコット・フィッツジェラルドによる同名小説。アメリカのロストジェネレーションを代表する文芸作品で、アメリカの高校の授業で必ず読む名作です。

 プラダとミュウミュウは、女性の衣装を40着も本作に提供。過去のコレクションルックからインスパイアされ、衣装デザイナーのキャサリン・マーティンとコラボしながらデザインしたそうです。フリンジ、パール、ビジュー、スパンコール、ゴールドやメタルが緻密に施されたカクテルドレスやイブニングドレスは煌びやかこの上なく、当時のフラッパーの様子が伺えます。フラッパーとは、1920年代に欧米で流行したショートヘア、丈の短いスカート、喫煙、メイク、ジャズからなる女性のファッションやライフスタイルのこと。この時代は、戦争で疲弊したヨーロッパ VS 台頭するアメリカ、特権階級 VS 新興勢力、伝統 VS 革新と、旧時代と新時代が交錯する新しい時代の幕開けでした。

『華麗なるギャツビー』
デイジーのファッションに注目! - Warner Bros. / Photofest / ゲッティ イメージズ

 そんな中、ミラノの名家も没落を辿りプラダ兄弟の顧客も激減してしまいます。1957年、マリオが亡くなった失意の中、娘のナンダとルイーザが店を継ぎ、1960年代から70年代にかけて、2代目のナンダとルイーザは顧客層を中産階級に転換。経営は安定したものの、ブランドイメージは凋落してしまいました。

『プラダを着た悪魔』のアンディと重なる?

 2015年に発売されたジャン・ルイージ・パラッキーニによる著書『プラダ選ばれる理由』によると、「最近、ファッションの価値をようやく理解できるようになった。これまでずっと、この仕事に対して罪悪感を覚えていたけれど、今になってようやく気づいたのよ。この仕事は、強烈な創造性を表現しているということ、現実と関わっているということ、まったく空虚なものではなく、むしろ満ち溢れたアイデアを伝えているということに……」と語ったミウッチャ。

『プラダを着た悪魔』
アンディと重なる?『プラダを着た悪魔』より - 20th Century Fox / Photofest / ゲッティ イメージズ

 政治学で博士号まで取得した彼女は、学生時代は共産主義者でフェミニストだったのだとか。ブルジョワ階級に属する、リッチな出自と自身の思想に矛盾を感じ悩んだといいます。他の学生のように、アメリカの象徴であるジーンズを履いたり、ヒッピーファッションに身を包んだりすることも偽善であると信じ、あえてイヴ・サンローランをまとってデモに加わっていました。

 学校を卒業した後、社会的に役に立つ仕事をしたいという気持ちと、服飾への情熱との間で揺れていましたが、結局、家業を継ぐという現実的な選択をしたミウッチャ。

 こういった心の葛藤は、大ヒット作『プラダを着た悪魔』(2006)でアン・ハサウェイ演じるジャーナリスト志望のアンディが、ファッションは物質主義的すぎると見下していた心境とかぶると思いませんか? 奇しくも、この映画はプラダの名前を世界中に知らしめた作品となりました。

プラダのコピーを売っていた青年と結婚

 1977年、プラダに加わったミウッチャは、「ミペル・ザ・バックショー」という国際皮革製品見本市でプラダのコピーバッグを販売しているブースを発見。その精巧さに驚きながらも、その場にいた経営者のパトリッツィオ・ベルテッリに抗議をします。ところが、パトリッツィオは非難を受け止めるどころか、「自分と組めば世界に大きなインパクトを与えられますよ」とビジネス提携を提案

 二人は出会った瞬間から惹かれあっていたのでしょうか? なんと、パトリッツィオはプラダブランドのあらゆる皮革製品の生産と独占販売(国内&海外)のライセンス契約を結んだのです。やがて、二人のビジネス関係は恋に発展しました。1979年に二人は同棲を始め、1987年に結婚し、二人の息子をもうけました

反対を押し切って進めたナイロンバッグ

 ナイロンバッグ革命と呼ばれるプラダのナイロンバッグは、パトリッツィオと出会った直後にミウッチャが開発しました。彼女が見つけたのはミリタリー用品の専門工場にあったポコノという生地。シルクのような滑らかで軽い肌触りなのに、撥水性に優れた丈夫な布地は、彼女を虜にしました。そうして、小さな三角形のロゴプレートをつけてバッグを製造することに。

 とはいえ、当時の高級バッグは皮製が常識。社内の反対を押し切って発売したナイロンバッグは、案の定、しばらくは受け入れられませんでした。しかし、モデルたちがミネラルウォーターのボトルを入れたプラダのナイロンリュックを背負って、ミラノの街を闊歩したことがきっかけで、1980年代半ば頃から飛ぶように売れたそうです。

ナイロンバッグ
トレードマークは三角のプレート! - Vanni Bassetti / Getty Images / ゲッティ イメージズ

 1970年代後半に起きたフィットネスブームで、当時、スポーツウェアはファッションに大きな影響を与えていました。こうしたトレンドに見事マッチしたナイロンバッグは1980~90年代に世界中で一世風靡し、itバッグ(今旬のバッグ)の代名詞に。特にリュックはニューヨーク近代美術館に展示されるほど大成功。その結果、凋落していたプラダのブランドイメージは一新され、世界的なブランドとして認知されました。ちなみに、セレブの間では、1990年代のitバッグがカムバックしているのだとか。

調和と不調和の美

 『タイタニック』(1997)でスターダムにのし上る直前の初々しいディカプリオがロミオを、クレア・デインズがジュリエットを演じた『ロミオ&ジュリエット』(1996)でもミウッチャが衣装に協力。ウェディングシーンでロミオが着たブルーの三つボタンスーツは、ミウッチャがディカプリオのために作ったそう。

 クラシカルなイメージの三つボタンスーツに花柄のシルクタイをコーデするのは、当時斬新なスタイルでした。このような調和と不調和の概念に挑戦するのがミウッチャ流(『100 YEARS OF FASHION』キャリー・ブラックマン著)。

ロミオ&ジュリエット
『ロミオ&ジュリエット』よりウェディングシーン - 20th Century Fox / Photofest / ゲッティ イメージズ

 「ヴォーグ・イタリア」編集長の故フランカ・ソッツァーニはミウッチャのスタイルをこう語っています。「彼女のスタイルの進化を振り返ってみると、特におもしろかったのは、いわゆる“趣味のよさ”や、“エレガンス”の本道からはずれ、“悪趣味”と戯れながら、幾何学とファンタジーを結びつけ、ミドリトカゲのような色を使ったり、それに濃い赤を合わせたりしたときだったと思います」(ジャン・ルイージ・パラッキーニ著『プラダ選ばれる理由』)。

 厳格なカトリックのブルジョワ家庭に育ち、共産主義に傾倒しながらも、ファッションという商業的な世界に君臨するミウッチャ。彼女の持つ心の葛藤や矛盾、多様性こそが、調和と不調和の美を生んだのかもしれませんね。

ビジネスの天才、パトリッツィオの野望

 「私だけだったら、ずっとバッグだけを作り続けていたかもしれないわ」(ジャン・ルイージ・パラッキーニ著『プラダ選ばれる理由』)とミウッチャが言うように、彼女が冷静で慎重なデザイナーであるのに対し、パトリッツィオは直感的なビジネスの天才と正反対の二人。

 パトリッツィオは、事業を拡大し、バッグ以外にもレディースライン、セカンドラインのミュウミュウ、シューズウェア、メンズウェアなど新たな分野を開拓していきました。彼は、ミウッチャに大きなヴィジョンを与えることによって、プラダのアイデンティティーや方向性を確立することに成功。ヴィトンやグッチのように世界的なブランドに発展した多くの歴史ある名店は、家族経営を離れてコングロマリットに買収されましたが、ミウッチャ&パトリッツィオ夫妻は二人で、5つのブランドからなるプラダ帝国を築き上げたのです。

ミウッチャ&パトリッツィオ夫妻
ファッション業界一のパワーカップル! - Vittorio Zunino Celotto / Getty Images / ゲッティ イメージズ

 しかし、パトリッツィオにはさらなる大きな野望がありました。ヴィトン、ディオール、ロエベ、フェンディ、ジバンシー、ダナ・キャランなどを傘下に置く、LVMH モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン。グッチ、バレンシアガ、サン・ローラン、ブシュロンなどを買い取ったケリング。カルティエ、ラルフ・ローレン、ピアジェ、ダンヒル、クロエなどを支配下に置くリュシモン……。これらフランス系企業に対し、イタリアブランドのファッション連合を作りたいという構想です。

 一時は、ジル・サンダー、ヘルムート・ラング、フェンディなども傘下に収めましたが、2001年のITバブル崩壊と9.11で負債を負い、これらのブランドを売却してM&Aから撤退。現在、この構想は頓挫しています。

 
 創業一族が未だにプラダグループを牽引することができるのはなぜなのか? それは、100年以上もの伝統に融合したミウッチャ独特の美的感覚。彼女の感性をビジネスに昇華できるパトリッツィオの起業精神。そして、40年もの間一緒に仕事をし続けてきた二人の深い愛情……。これら全てが引き起こした化学反応の成せる技ではないでしょうか?

 ファッション業界一のパワーカップルと呼ばれるミウッチャとパトリッツィオは、二人一緒に活動することで、一人の時よりもずっと優れた作品を創り上げることができるのです。あの「ジョン・レノンとポール・マッカートニー」のようにーー(ジャン・ルイージ・パラッキーニ著『プラダ選ばれる理由』)。

【参考】
PRADA 公式サイト
実業之日本社『PRADA 選ばれる理由』ジャン・ルイージ・パラッキーニ著 久保耕司訳
スペースシャワーブックス『100 YEARS OF FASHION ウィメンズウェア100年史』キャリー・ブラックマン著 桜井真砂美訳
The Gurdian

此花さくやプロフィール

此花

 「映画で美活する」映画美容ライター/MAMEW骨筋メイク(R)公認アドバイザー。洋画好きが高じて高3のときに渡米。1999年NYファッション工科大学(F.I.T)でファッションと関連業界の国際貿易とマーケティング学科を卒業。卒業後はシャネルや資生堂アメリカなどでメイク製品のマーケティングに携わる。2007年の出産を機にビジネス翻訳家・美容ライターとして活動開始。執筆実績に扶桑社「女子SPA!」「メディアジーン」「cafeglobe」、小学館「美レンジャー」、コンデナスト・ジャパン「VOGUE GIRL」など。海外セレブのファッション・メイク分析が生きがいで、映画のファッションやメイクHow Toを発信中!

 
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