略歴: 日本大学芸術学部映画学科卒、同学部大学院卒。映画・海外ドラマのライターとしてキャリア30年。TVガイド誌やオンライン情報サイトなどを中心に幅広く執筆活動中。雑誌「スカパー!TVガイドBS+CS」(東京ニュース通信社刊)で15年続くコラム“映画女優LOVE”をはじめ各テレビガイド誌で特集記事やコラムを執筆。著書は「ホラー映画クロニクル」(扶桑社刊)、「アメリカンTVドラマ50年」(共同通信社刊)など。海外取材経験も多数。旧ソ連のモスクワ育ち。
近況: 相変わらずK-POP沼にハマり中。目下のイチオシはNew JeansにFifty FiftyにCSR(チョッサラン)。あとはP1Harmonyも大好きです。とりあえず、Fifty Fiftyの事務所問題が解決することを切に願っておりやす。
サイト: http://eiga3mai.exblog.jp/
eスポーツの全国高校生大会に挑んだ男子高校生チームの実話を描いた青春ドラマ。題材が題材なだけにテンション高めな明るい熱血スポ根映画かと思ったら、良い意味で期待を裏切られた。それぞれ性格も環境も全く異なり、普段は学校内でも接点のない3人だが、しかしいずれも家庭環境に少なからぬ問題を抱えており、その日常はキラキラの青春から程遠い。少年たちを囲む疲れ切った大人たち、その背景に広がる日本社会の息苦しい閉塞感。そこをきっちりと描いているからこそ、これから世の中へ出ていく若者たちへのエールが際立つ。勝ち負けにこだわるな!そんなことより思いっきり遊ぼうぜ!というメッセージには共感しかない。
大企業の会長夫妻を、その娘婿が崖から突き落として殺害。用意周到な完全犯罪のはずだったが、しかし偶然にも中学生の少年少女が一部始終を動画撮影しており、その証拠動画と引き換えに多額の現金を要求してくる。狡猾で計算高い金の亡者と、複雑な家庭事情を解決するために金が欲しい子供たち。両者のあまりに危険な駆け引きを主軸としつつ、その背景に衰退の一途をたどる日本社会の実相が浮かび上がる。広がる格差と深刻化する貧困。大人たちは金に振り回されモラルを失い、その背中を見て育つ子供たちもまた怪物化していく。邪悪な冷血漢を演じて相変わらず巧い岡田将生だが、それを完全に食ってしまう子役・羽村仁成は大変な逸材だ。
幼少期より親兄弟から虐待されて下半身不随となり、邪まで卑怯な人間よりも純粋で勇敢な犬と心の通じ合う若者が、表向きはナイトクラブのドラァグ・クィーンとして、その裏で保護犬軍団を率いる謎の男ドッグマンとして、このクソみたいな世の中を正すために窃盗や殺人などの犯罪を重ねる。リュック・ベッソン作品としては、恐らく『LUCY/ルーシー』以来の怪作。ジャンル分け困難だが、あえて例えるなら『ジョーカー』×『101匹わんちゃん』といったところか。女装でピアフやディートリヒのモノマネをするケイレブ・ランドリー・ジョーンズも強烈!なんと、『ベニスに死す』や『バリー・リンドン』のマリサ・ベレンソンまで登場する。
恥ずかしながら、散骨業という職種が存在することをこの映画で初めて知った。主人公は東日本大震災で妻を津波に奪われた福島在住の男性。自身が愛する人をきちんと弔えぬままの彼は、経済的に余裕のない人々から安価に散骨を請け負っているのだが、そこへ通り魔殺人事件の犯人の遺骨が持ち込まれる。殺人犯の散骨など倫理的に許されぬと糾弾する記者や被害者の遺族、震災後の風評被害の再来を懸念する地元住民。しかし、遺骨を持ち込んだ犯人の弟もまた人生を滅茶苦茶にされた被害者だし、いずれは誰かが遺骨をどうにかせねばならない。我々は死とどう向き合うべきなのか。様々な視点から観客に考察を促す。静かだが重みのある映画だ。
巨匠ジャン=リュック・ゴダールの遺作となった20分間の短編映画。その内容は写真や絵や文字が無造作にコラージュされ、音楽やナレーションが不規則に現れては消える、まるで未完成の実験映画のような趣き。恐らく、老境に達したゴダールが内側から湧き出るイメージや思考を感性の赴くままに紡いでいったのだろう。決して分かりやすい映画ではないし、そもそも分かりやすいように作られた映画でもないのだが、そこには老いてなお創作意欲の衰えぬゴダールの未来へ向けた眼差しと、同時に「あの時代」へ残して来た深い想いも垣間見える。そういう意味で、彼の魂が宿った作品だ。