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第10回『シェルブールの雨傘』(1964年)【名画プレイバック】

第10回『シェルブールの雨傘』(1964年)
『シェルブールの雨傘』(1964年)ポスター - Zeitgeist Films / Photofest / ゲッティ イメージズ

 『シェルブールの雨傘』は、言わずと知れたフランスが誇る女優、カトリーヌ・ドヌーヴがブレイクを果たしたミュージカル映画。第17回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作でもあるが、ぱっと頭に浮かぶのはミシェル・ルグランによる同名のテーマ曲だろう。映画そのものは観ておらずとも、その印象的な旋律は、誰もが1度は耳にしたことがあるはず。映画音楽の枠を超えて愛され続けている名曲中の名曲だ。(今祥枝)

 映画は、第1部「旅立ち」、第2部「不在」、第3部「帰還」、そして短いエピローグという構成。始まりは、アルジェリア戦争中の1957年11月、フランスの港町シェルブール。20歳の自動車整備工ギイ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)と17歳のジュヌヴィエーブ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は運命の恋人同士だが、母エムリ夫人(アンヌ・ヴェルノン)とふたり暮らしのジュヌヴィエーブは「まだ若すぎる」と交際・結婚に反対される。そんな中、ギイが兵役で2年間戦地へ赴くことになり、再会を誓って泣く泣くふたりは別れる。1958年1月、妊娠が判明したジュヌヴィエーブは、ギイの不在に耐えられず、さらに彼女に一目惚れした裕福な宝石商カサール(マルク・ミシェル)のプロポーズに心掻き乱される。1959年1月、足を負傷して除隊となったギイが帰郷するが……。

 男女のすれ違いを描いた物語は、ありふれたものと言える。中学生の時分に観た私は、台詞はすべてメロディーに乗せて歌われるスタイルや、色彩感覚に優れた映像世界、「あるところに若い恋人同士が~~」といった、おとぎ話でもあるかのような語り口は現実離れしていると思ったし、ジュヌヴィエーブはたった2年も恋人を待つことができないのかなどと、生意気にも腹を立てたりしたものだった。だから1964年当時、ヌーベルバーグの左岸派と呼ばれたジャック・ドゥミ監督の実験精神とクラシカルな要素が共存する作風が新鮮味をもって批評家に歓迎され、評価されたという事実は納得できたが、私にとって、今で言うところの“ツンデレ”感たっぷりのドヌーヴの美貌と、胸を打つメロディアスなテーマ曲の素晴しさが本作の魅力のほぼすべてだったと記憶している。

 その2点が最大の見どころであることは確かだが、後年見返してみると全く印象は変わった。それは美しい一編の詩のような本作が、いかに残酷で普遍的な恋愛の不条理を描いているかを実感できたからにほかならない。第2章は文字通りギイが「不在」であることが構成の巧みさで、ギイを思いながらも1分、1秒が永遠にも感じられ、目の前にいる理想的な男性との間で揺れるジュヌヴィエーブの複雑な心情は、ある程度の年齢になればリアルに感じられる女性が多いはず。一方、ギイもまた戦地で長い長い時間を過ごしたのだろうが、この両者のズレは残酷だがいかんともしがたいのである。いつの時代にも、誰しもが1度はこのズレに痛手を負うのではないだろうか。「彼が去ったとき どうして私も死んでしまわなかったのかしら」と苦しい胸の内を歌い上げるジュヌヴィエーブの思いは本物だろうが、その後の決断もまた彼女自身のものである。相手を傷つけ、自分も傷つき、他人をも巻き込み、永遠だと信じたものが一瞬にして幻のように消えてしまうはかなさ。そうした愛の痛みを胸に抱えながら、人は人生を前に進めていかなければならない生き物なのだろう。

カトリーヌ・ドヌーヴ
『シェルブールの雨傘』(1964年)カトリーヌ・ドヌーヴ Zeitgeist Films / Photofest / ゲッティ イメージズ

 本作の重要な背景として、アルジェリア戦争(1954年~1962年)がある。そのため、戦争によって引き裂かれた悲劇の恋人たちの物語と捉えることもできるが、本作がこれほどまでに世代や国境を越えて愛され涙を誘うのは、やはりそこには前述のような恋愛における普遍的なテーマが、非常にシンプルかつ美しくも切ない大人の寓話の体裁で語られることに理由があるのだろうと思う。もう一つ、本作で重要なのは、やはり全編歌でつづるミュージカルのスタイルを取っている点だ。よくミュージカルは「突然歌ったり踊り出すのが不自然」と揶揄される。本作は踊らないが、冒頭のギイが働く自動車工場で「残業できるか?」「今夜は無理です」などのやりとりから、ジュヌヴィエーブとエムリ夫人の親子ゲンカまで、全てのセリフにメロディーがついているので不自然極まりないといえばそうだろう。だが、そうしたジャンルのお約束にのっとることによって、逆説的に感情のリアルを伝えているとも解釈できる。

 例えば、エモーショナルな旋律がもっともドラマを盛り上げるのは、恋人同士が別れを悲しみ永遠の愛を誓うシーンだ。第1部でギイが召集令状がきたことを知らせた際に、「死ぬまで君を愛してる」「離れないで」と気持ちを確かめ合うふたりは、動く歩道の上に乗っているかのように抱き合いながら、周囲とは隔絶された別次元にいるかのようにスーっと画面を右から左へと進んでいく。あれ? と瞬間的に違和を感じるが、流してしまう人も多いかもしれない。また、戦地へ赴くギイを見送るために駅のカフェで別れを惜しむジュヌヴィエーブは、「愛しい人、生きている限り待っているわ。行かないで、ここにいて」と人目もはばからず泣きすがる。この時の、陶器のように白い肌を真っ赤に染め上げたドヌーヴのなまめかしさは感嘆に値するが、これだけ派手に別れを嘆く恋人たちにカフェの客たちは見向きもせず、何も見えていないかのよう。つまり、本作は非現実的であって当然のミュージカルという体裁を取ることによって、随所に恋に盲目となった男女の「ふたりのために世界はある」といった、他人が入り込む余地がない双方の思いの強さを浮き彫りにしている。そして、ふたりの幸福感、結びつきが強ければ強いほど、この物語の悲劇性もまた強くなり、2度目以降の鑑賞では結末に思いを馳せながら「冒頭から泣けてしまう」という映画ファンも多いのだろう。

 本作が登場した1964年は、ハリウッドのブロードウェイスタイルのミュージカルが影を潜め、アメリカでは1961年に登場した映画『ウエスト・サイド物語』がミュージカル映画の概念を大きく変えた。そのいずれとも全く違うスタイルの『シェルブールの雨傘』は、オペラやクラシックのニュアンスもありつつ、ときにジャジーでポップスの要素もあるフレンチ・ミュージカルの記念碑的な作品といえる。全編歌のみでつづるという意味では、近作のミュージカル映画では『レ・ミゼラブル』や『ラスト5イヤーズ』などがイメージとしては近いだろうか。ただし、特にこの時代のミュージカル映画にはよくあることだが、本作の主要キャストは吹替えである。ドヌーヴを担当したのはフランスの歌手ダニエル・リカーリ。劇中でのフランス語の原詞では別れを嘆き悲しむ内容が中心で、リカーリの歌声は情緒豊かで儚げな少女のような感性がジュヌヴィエーブにぴったり。そのほか、現在にいたるまでルグランの名曲は多くのアーティストに歌い継がれており、英語では「I Will Wait for You」との題で「恋人の帰りをいつまでも待つ」というニュアンスが強い内容で広く知られているという。


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