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【祝90歳】クリント・イーストウッドの輝かしい経歴ふり返り

クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッド - Matthew Eisman / Getty Images

 5月31日はクリント・イーストウッドの90回目の誕生日。俳優としてのみならず監督としても数々の傑作・名作を世に送り出し、今やハリウッドの生ける伝説となったイーストウッドだが、今回はその偉大なる足跡をふり返ってみたい。

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 さまざまな職を転々とした後に俳優となり、下積み時代を経てテレビの西部劇ドラマ「ローハイド」でブレイクしたのは28歳の時。さらに1964年にイタリアへ渡り、セルジオ・レオーネ監督と組んだ3本のマカロニウエスタン、通称「ドル箱三部作」(『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』)が世界中で大ヒットを記録し、その後のイーストウッドのイメージを決定づける“クールで寡黙なアンチヒーロー”像を確立する。

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 とはいえ、当時は正統派のハリウッド西部劇に対してイタリア産西部劇が格下とみなされた時代。凱旋帰国後も試行錯誤を続けた彼は、1971年に自身が師匠と仰ぐドン・シーゲル監督との4度目のコラボ作『ダーティハリー』で一匹狼のはぐれ者刑事ハリー・キャラハンを演じ、通算5本のシリーズが作られるほどの社会現象に。41歳にしてようやく、ハリウッドにおけるトップスターとしての地位を不動のものにする。

 以降、『アウトロー』や『ガントレット』、『ダーティファイター』など、飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットを連発したイーストウッド。その傍ら、1967年に設立した自身の制作会社「マルパソ・プロダクション」でプロデュース業にも乗り出し、1971年にはシーゲル監督のサポートを得た『恐怖のメロディ』で映画監督にも進出する。こちらも当初はなかなか評価されなかったが、しかし恩師レオーネの影響を受けた西部劇『荒野のストレンジャー』、その世界観を独自に進化させた『ペイルライダー』で着実に映像作家として成長を遂げていく。

 そして、その集大成となったのが1992年の西部劇『許されざる者』。第65回アカデミー作品賞に輝いた本作で、イーストウッドは念願の監督賞も獲得し、遂にハリウッドの巨匠としての名声も手に入れる。2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』でも再びアカデミー作品賞と監督賞をダブル受賞。「硫黄島の戦い」を日米双方の視点から描いた『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』も大絶賛された。また、役者としての円熟味を披露した『マディソン郡の橋』や『グラン・トリノ』も忘れてはならない。

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 ロバート・レッドフォードウォーレン・ベイティショーン・ペンなど、ハリウッドには監督としても才能を発揮した大物スターは少なくないが、しかしイーストウッドほど長きに渡って二足の草鞋(わらじ)を成功させ、映画史に名を残す巨匠へと上りつめた人物は他にいない。それは恐らく、セルジオ・レオーネにドン・シーゲルという公私に渡って多大な影響を受けた師匠たちの存在、そして彼らの仕事ぶりを現場で見て貪欲に学び、それを自らの作家性へと昇華させていったイーストウッド自身の才能と努力の賜物なのだろう。

 また、彼自身が経験豊富な役者であるという事実も見過ごしてはならない。もともとハリウッドには俳優出身もしくは演技を学んだ経験のある監督が多いのだが、それはカメラの前に立つ役者の心理や立場を十分に理解し、彼らから的確な演技を引き出すうえで重要な要素だから。優れた役者でもあるイーストウッドが演出するからこそ、ヒラリー・スワンクティム・ロビンスモーガン・フリーマンといった名だたるスターたちが才能と実力を発揮し、彼らに数々の演技賞をもたらすことができたのだ。

 近年も『アメリカン・スナイパー』や『ハドソン川の奇跡』、『リチャード・ジュエル』など話題作を世に送り出し、『運び屋』では久々に役者としても健在ぶりを見せてくれたイーストウッド。「人々が望む限り映画を作り続けたい」と本人が語るように、まだまだ監督として俳優として我々映画ファンを楽しませてくれることだろう。(文・なかざわひでゆき)

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