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地下鉄サリン事件被害者が監督したドキュメンタリー初日 加害者側の変化に期待

妥協なきドキュメンタリーを完成させた、さかはらあつし監督
妥協なきドキュメンタリーを完成させた、さかはらあつし監督

 地下鉄サリン事件の被害者が監督を務め、オウム真理教(現:Aleph)に向き合うドキュメンタリー『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』の初日舞台あいさつが20日、都内で行われ、本作のメガホンを取った、さかはらあつし監督が登壇、完成した映画への思いを語った。

映画『AGANAI』より荒木浩とさかはらあつし監督

 26年前の1995年3月20日に起きた、地下鉄サリン事件の現場となった車両に乗り合わせていた監督。本作は、事件から20年以上を経て、監督本人が、Aleph広報部長の荒木浩氏と対面。彼の案内で施設を見学し、2015年3月には監督のふるさとへ共に向かうなど、旅のなかで対話を重ねていくさまを追う。

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 「非常に苦労して撮ったわたしの初監督作品。初日を迎えてホッとしています」と笑顔を見せた監督は、「本人は途中で諦めるなんてことはないし、最後まで走りきれる気持ちはありましたが、最後まで仕上げられるのかは、正直なところ難しい問題でもありました。サリン事件の被害者は生きることですら大変。お金もなくて」と制作の苦労を回顧。その上で「いろんな人が途中から入って支えてくれました。応援してくれる人がいなかったら妥協していたかもしれません。彼らのおかげでこの作品が完成できたと思っています。出来上がって本当によかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべる。

 本作には、監督の父である阪原武司氏も出演する。「英語で親父のことはマイ・オールド・マンとも言います。彼の話をまずさせてください」と切り出した監督は「わたしは19歳の時に、3回相談を持ちかけてきた友人の自殺を止めることができませんでした。呆然としていたわたしに、彼の分まで生きるんだ、それが使命だと言ってくれたのが親父です」と紹介する。

 その際に「お前のお袋の前に、俺には結婚していた人がいた」と初めて打ち明けられ、その人も自ら命を絶ったと聞いた監督は「その時に初めて、僕を一番理解してくれているのは親父だなって思った」と回想する。しかし阪原氏は、映画の完成を待たずにこの世を去った。「そんな親父を見送ったのは、2019年の5月の9日。朝起きたら冷たくなっていました」と振り返った監督は、壇上で「この映画にはそんなマイ・オールド・マンが出てきます。ぜひ観てやってください」と観客に呼びかけた。

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 本作で対話を重ねた荒木氏に対して監督は、事件へ至るその背景やオウム入信の理由を「大学時代に無限の可能性があって、それがふとした歪みをきっかけに、気がついたらどうしようもないところに落ちて行ったんだと思う」と分析していたといい、撮影にあたっては「普通の友人として受け入れた」と、加害者側の立場にある荒木氏に、恨みの気持ちなどはなかったという。「被害者の後遺症を知ってもらって、共有したいと思っていた。荒木さんがそれを知ることで変わっていってくれるのでは」と期待があったという監督。荒木氏はまだ、完成した映画を観ていないといい、荒木氏がこの撮影を通じて変わったかと問われた監督は「わからない」と言葉を濁した。

 サリン事件を扱った作品は「これが最初で最後」というさかはら監督。だが、映画制作への意欲は強く、「(サリン事件に関して)これ以上、僕が言いたいことはない。次は別のものを。映画は撮り続けたいと思っています。次はフィクションもやりたい」と語っていた。(取材・文:名鹿祥史)

映画『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』はシアター・イメージフォーラムで上映中 全国順次公開

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