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没後30年、リヴァー・フェニックス『インディ・ジョーンズ』で見せる永遠のスターの魅力

永遠のスター『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のリヴァー・フェニックス
永遠のスター『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のリヴァー・フェニックス - Paramount Pictures / Photofest /ゲッティ イメージズ

 映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)が、本日夜、金曜ロードショー(日本テレビ系)で放映される。たくさんある見どころのひとつは、若き日のインディ・ジョーンズを演じるリヴァー・フェニックスだ。リヴァーが悲劇的な死を遂げてから30年。彼の短すぎた半生を、あらためて振り返る。(文/猿渡由紀)

【画像】美しすぎた…23歳でこの世を去ったリヴァー・フェニックス

 リヴァーが登場するのは、冒頭のアクションシーン。舞台は1912年のユタ州。10代で、ボーイスカウトの一員だったインディは、男たちがフランシスコ・バスケス・デ・コロナドが所有した十字架を盗むのを目撃する。この貴重な物は博物館に保管されるべきだと信じるインディは、隙を見て男たちから十字架を剥奪。馬に乗ったり、走る電車に飛び乗ったり、ライオンや蛇に直面したりという、スリル満点の追いかけっこが始まる。

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 このシーンがすごいのは、リヴァーがハリソン・フォードの若いバージョンであるとすんなりと信じられること。インディは冒険好きではあってもスーパーヒーローではなく、アクションやファイトシーンでは失敗や空振りをたくさんする。でも本人はあくまで必死でやっていて、そこからユーモアが生まれる。その加減がまさにパーフェクトなのだ。もちろん、スティーヴン・スピルバーグの演出のおかげもあるが、リヴァーは「今、仕事をしている若い俳優の中で昔の自分に一番似ているのはこの子だ」と、ハリソン本人からご指名を受けたのである。さすが、それだけのことはある。

 だが、このシーンが生まれるまでには多くの紆余曲折があった。この3作目にインディの父(ショーン・コネリー)を出してこようというところまではすぐ決まったのだが、脚本家ジェフリー・ボームが冒頭にティーンの頃のインディを出そうと提案すると、スピルバーグが反対。『太陽の帝国』(1987)であまり良くない批評も書かれたところとあって、子供を出すのを避けたかったのだ。しかし、ボームは、冒頭のアクションでインディについて観客が何か新しいことを発見するためにも、ここは重要だと考えた。この部分は、なぜインディが帽子をかぶっているのか、なぜ蛇が苦手なのかがわかる、いわばオリジンストーリーなのである。ジョージ・ルーカスも熱心に説得し、最終的にスピルバーグも納得して実現。ルーカスはこの映画でリヴァーがやったことをとても気に入り、後に「インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険」の主演をオファーしたが、テレビの仕事は気乗りせず、断っている。

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 リヴァーとハリソンは、この映画の3年前、『モスキート・コースト』(1986)でも共演していた。だが、リヴァーに大ブレイクを与えたのは、同じ年の夏に公開された『スタンド・バイ・ミー』(1986)だ。興味深いことに、『スタンド・バイ・ミー』でのフェニックスの演技も、日の目を見ないで終わる危険があった。

 この企画は、プロデューサーらがスティーヴン・キングの原作小説の映画化権を取得し、売り込みを始めた時から苦戦。ようやくゴーサインを出しもらえたと思うと、撮影開始直前に、その製作配給会社はコロンビア・ピクチャーズに買収されてしまう。コロンビアは「無名の若い俳優ばかりの映画なんかいらない」とこの映画を切り捨てるが、大物テレビプロデューサーで、ロブ・ライナー監督の恩師でもあったノーマン・リアがポケットマネーを出してくれたおかげで、なんとか撮影は完了した。しかし、完成後も配給会社各社の反応は悪く、せっかく試写を君でも居眠りする人も。そんな中、押しの強さで知られるライナーのエージェント、マイケル・オーヴィッツが当時ユニバーサルの会長だったフランク・プライスの自宅での試写開催をこぎつけた。そこで一緒に映画を見たプライスの娘がリヴァーに惚れ込んで、全米16館という限定規模で公開が実現したのである。結果的に、700万ドル前後の予算で作られたこの映画は、北米だけで5,200万ドルを売り上げるヒットとなった。

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 『~最後の聖戦』の後、リヴァーは、『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990)、『マイ・プライベート・アイダホ』(1991)、『スニーカーズ』(1992)、『愛と呼ばれるもの』(1993)などに出演。『マイ・プライベート・アイダホ』では、ベネチア国際映画祭の男優賞を受賞。GAPの広告モデルも務め、ルックスだけでなく、実力もたしかな個性派として、最も注目の存在になった。

 だが、彼にとって生前最後の映画となる『愛と呼ばれるもの』が公開されて2か月後の1993年10月、リヴァーの人生は、突然にして絶たれてしまうのだ。それは、ジョニー・デップがオーナーのひとりであるウエストハリウッドのナイトクラブ、ザ・ヴァイパールーム。音楽に強い情熱を持つリヴァーは、この夜、演奏する予定で、恋人サマンサ・マシス、弟ホアキン・フェニックス、妹レイン・フェニックスを連れてやってきた。途中、彼は友人に「気分が悪い。過剰摂取したと思う」と告げ、それからまもなくクラブの外に倒れているところを発見される。すぐに近くの大病院に運ばれるも、虚しく死亡。死因は、モルヒネ、コカイン、その他の薬物の過剰摂取だ。この辛い思い出のせいもあって、デップは2004年、クラブの自分の持ち分を売却した。

 それからすでに30年。『インディ・ジョーンズ』シリーズも今月30日公開の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』で終了する。だが、それだけの長い時間を経ても、リヴァーのカリスマは変わらない。今見ても、彼はやはり本物のスターだ。

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