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2025年度前期朝ドラは「あんぱん」 アンパンマン生みの親・やなせたかし夫妻がモデル

やなせたかし夫妻がモデル!25年度前期朝ドラ「あんぱん」
やなせたかし夫妻がモデル!25年度前期朝ドラ「あんぱん」 - (c) NHK

 NHKは20日、2025年度前期の連続テレビ小説(通称:朝ドラ)「あんぱん」の制作を発表した。「アンパンマン」を生み出した漫画家やなせたかしと、妻の小松暢がモデルとなる。作者は、朝ドラ「花子とアン」や大河ドラマ「西郷どん」の中園ミホが担当。ヒロインはオーディションで選ばれる。

【画像】モデルになる「アンパンマン」生みの親・やなせたかし

 舞台は昭和のはじめ頃。高知の町中をものすごい勢いで走る少女、“ハチキンおのぶ”こと朝田のぶ (あさだのぶ) がいた。幼い時に父を病気で亡くした柳井嵩(やないたかし)は、叔父の家に引き取られ、のぶと出会う。二人を結びつけたのは、一個のあんぱん。戦争の足音が近づく頃、女学校に通っていたのぶは周りと同様に、妄信的な軍国少女となる。やがて戦争が始まり、嵩は出征。 嵩は弟を戦争で亡くし、のぶも最愛の人を失った。

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 女学校を卒業したのぶは、戦争で全ての価値観が変わり、「何が正しいかは自分で見極めなければならない」と新聞社に女性初の記者として就職。戦後、クズ拾いの仕事を辞めた嵩が新聞社に入社し、二人は同じ雑誌の担当に。嵩は東京で漫画家を目指したい気持ちがありつつも、生活していけるか不安だった。のぶは、そんな嵩に「あなたも後から来なさいよ。先に東京に行って待ってるわ」と告げ、新聞社を辞め上京。のぶを追いかけ上京した嵩と、六畳一間のアパートでの生活が始まる。お風呂はなく、天井に穴があいたトイレは共同。そんな暮らしをおもしろがり、二人は「どんな環境でも楽しめるこの人と一緒にいたい」と結婚する。

 制作統括の倉崎憲チーフプロデューサーは、「ここ数年ほどアンパンマンのテーマ曲を無意識に口ずさむ頻度が増えました。『なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ』。人生百年時代と言われ、大人になればなるほど生き方に悩み、この歌詞が身に染みるのです。人生って一回きりなんだなー、と。 この歌詞を生み出したやなせたかしさんをぐいぐいと抜群の行動力で引っ張ってきたのが、小松暢さんです。上京する時、結婚する時、漫画家として独立する時、いつも暢さんのアクションがありました。暢さんがいなかったらもしかしたらアンパンマンも生まれていなかったかもしれないと、二人の物語を描きたいと思いました」と企画誕生の経緯を明かす。

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 「中園さんにやなせさんの書籍を差し出したところ、『私、やなせさんと小学生のころ文通していました』という驚きの発言が。これは運命だと感じ、そこからあっという間に今に至ります。二人が生きた激動の半生を通じて、生きる喜びが身体中から湧いてくるような、生きていて良かったなと感じていただけるような朝ドラをお届けできたらと思います」と呼びかけた。

 作者を務める中園のコメント全文は以下の通り。(編集部・倉本拓弥)

執筆にあたって 作者・中園ミホ

作者・中園ミホ - (c) NHK

 「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」こと、小松暢さんをモデルにした朝田のぶがこのドラマのヒロインです。
 ハチキンとは、土佐弁で男勝りの女性のこと。県大会で優勝するほど脚が速く、行動力とスピード感にあふれ、人生の荒波をパワフルに乗り越えていくヒロインです。
 彼女は、あの「アンパンマン」に登場するドキンちゃんのモデルと言われています。いつも好奇心に目を輝かせ「お腹がすいた~!」 というのが口癖のチャーミングな妖精です。
 そして、暢さんが生涯のパートナーとして選んだ男性は、漫画家で詩人の柳瀬嵩(やなせたかし)さん。彼ははっきり言って遅咲きの人です。日本中の子どもたちの間でアンパンマンが大人気となり、漫画家として世間に認められたのは、なんと70歳になってからでした。
 幼い時に父を病気で亡くしたやなせさんは、高知県の後免町にある伯父の家に引き取られ、やがて戦争が始まり、出兵します。
 終戦後の混乱期、二人は高知新聞社の編集部で記者として働いていましたが、暢さんは「私、先に東京へ行ってるから」と言い残し、さっさと新聞社を辞めていなくなります。彼女を追いかけるようにやなせさんも上京し、漫画家となるきっかけをつかむのです。
 こうして、暢さんは持ち前の行動力と飽くなき好奇心で、様々な職場を渡り歩き、手塚治虫赤塚不二夫いずみたく向田邦子青島幸男……等々、才能豊かで個性的な人たちと出逢い、関わり合いながら、ちょっと気が弱くて自信のないやなせさんを励まし続けます。
 やなせさんの才能がいつか必ず開花することを信じていたパートナーの存在がなかったら、アンパンマンがこの世に誕生することもなかったかもしれません。

 「正義は逆転することがある。信じがたいことだが。じゃあ、逆転しない正義とは何か? 飢えて死にそうな人がいれば、一切れのパンをあげることだ」

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 これはアンパンマンの神髄であり、二人が逆境や失敗をいくつも乗り越えて、つかんだ人生のテーマです。

 二人が最も輝いていたはずの青春期、戦争が始まりました。やなせさんはたった一人の弟(千尋さん)を戦争で亡くしました。戦場にも日本中にも飢えて死にそうな人があふれていました。
 だからこそ、晩年になってアンパンマンを書かずにいられなかったのだと思います。お腹をすかせて弱っている人に自分の頭をかじらせて元気にするヒーローです。
 初めは「自分の頭を食べさせるなんてグロテスク」とか「太っていてカッコわるい」と、まるで人気がなかったアンパンマンですが、たった一人、暢さんだけは応援し続けたのです。

 最後に、とても個人的な打ち明け話をします。アンパンマンが誕生するずっと前、小学生の私は、やなせさんと文通をしていました。「愛する歌」という詩集に感動して手紙を送ったところ、すぐにお返事をくださったのです。何度かお目にかかったこともあります。やなせさんはいつもやさしい笑顔を浮かべ、「元気ですか? お腹はすいていませんか?」と声をかけてくれました。
 戦後80年、放送開始から100年目にあたる2025年、連続テレビ小説で、のぶと嵩のお話を書かせていただけることに、今、私は幼い頃のように胸を高鳴らせています。ドキンドキンとーー

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