ポン・ジュノ監督×阪本順治監督、『ミッキー17』ネタバレ有りの特別対談

ポン・ジュノ監督の映画『ミッキー17』(公開中)についてポン監督と『半世界』『せかいのおきく』などの阪本順治監督がネタバレ有りで語り合う、特別対談の全文が公開された。
【動画】ポン・ジュノ監督×阪本順治監督『ミッキー17』特別対談(一部抜粋)
第92回アカデミー賞作品賞に輝いた『パラサイト 半地下の家族』に続いてポン監督が手掛けた本作。主人公は、クリーパーという謎のクリーチャーが住む氷の惑星で、命を落とすたびに複製される“使い捨て人間”として危険な植民地化任務に就くミッキー(ロバート・パティンソン)だ。“ミッキー17”(ミッキー16までは全員死亡)となったミッキーが命からがら帰還するも、すでに“ミッキー18”が生成されてしまっていたことから起こる騒動を描く。
ポン監督と阪本監督の出会いは2000年。第48回サン・セバスチャン国際映画祭コンペティション部門に『顔』で参加した阪本監督が、ポン監督の初長編『ほえる犬は噛まない』を観て「これがデビュー作かよ、まいったな。オレは一から出直しだ!」とコメントを寄せたことから交流が始まった。以下は、先日『ミッキー17』のプロモーションで来日したポン監督が、昨年3月以来1年ぶりに阪本監督と再会した際の対談全文だ。(編集部・市川遥)
Q:一言ずつご挨拶をお願いします。
阪本監督:僕はもう感謝しかなくて、『せかいのおきく』を韓国で公開したときにポン・ジュノ監督が登壇して僕の作品について語ってくれたことが韓国の興行成績に大いに役立ったということで、感謝しかないです。
ポン監督:こうしてまた再会できて本当に嬉しいです。私は作品が日本で公開されるたびに、お兄さんが私の新作をどんなふうに観てくれるのかと想像しながら緊張もしているんです。(日本語で)緊張です(笑)。
阪本監督:同じことを返します。僕の映画を観て、時には長文で感想を送ってくれたりして。物語を深く読んでもらえるところ、そして日本の監督と違い別の視点から観てもらえることは嬉しいなと思っています。
ポン監督:『半世界』や『せかいのおきく』の時にもいろいろお送りしたりお話をしたりしていますけれども、深煎りしたお茶のように体に染み渡る、そんな映画だったと思います。だから作品を観て監督にメッセージを送りたいという気持ちになったと思うのですが、いざ私の作品となるとそんな風に深い味わいが出ているのかなと自分に問い直してしまいます。
阪本監督:またそんな謙遜して……(笑)。
Q:阪本監督、『ミッキー17』の感想をお願いします。
阪本監督:ポン監督の視点はいつも社会的地位のない名もなき人を主人公にして、けれどもめげずに生きていく、そういう骨子は何も変わらないと思いました。退廃した世界で何度も死んでは生き返るという運命を背負った主人公を軽妙にかわいらしいタッチで描いた、絵本のような映画だったなと思います。僕は映画監督の仕事で一番大事なのは俳優の顔を撮る事だと思っています。だからこそ今回の映画をすごく楽しめたのはミッキーを演じたロバート・パティンソンの一喜一憂がとても魅力的だったからだと思います。常に、彼は苦境の中にいるものの、その表情の豊かさから社会的矛盾や葛藤などのメッセージ性の高いものを受け取りながら楽しみました。映画が終わり、たくさんのスタッフとキャストがエンドロールに出てくるときに、ちょっと泣きそうになりました。なぜかというと僕はポン監督がデビューしたときからお付き合いをしていて、普段は非常に賑やかでユーモラスな人なのですが、実は自分がやりたいことを徹底してやるために自分を追い込んでいくというか、その葛藤の抱え方というか。時には自分を傷つけるくらいに背負ってしまうという一面も知っているので。観終わって楽しかった一方で、どれだけの苦労をしたのかと思うと、親心じゃないけれど……、ちょっと泣けてきちゃった。
ポン監督:『殺人の追憶』や『母なる証明』を撮った頃は、すべてのスタッフの名前を憶えていて彼らの名前を呼ぶことができました。でも『スノーピアサー』や『オクジャ/okja』を撮り始めたあたりからスタッフの人数がとても増えて『ミッキー17』でもそうですがとても名前を覚えることができないくらいに膨れ上がっていきました。スタッフの名前をわからない状態で映画を撮るという感覚があるとは思います。漠然とした気持ちになることもありますし、そこから来る孤独やもどかしさもありますが、徐々にそれにも馴染んできたような気がします。でも再び『殺人の追憶』の規模のスケールに戻って撮りたいという気持ちはいつもありますし、また撮る事になるだろうと思います。
阪本監督:(ポン監督は)いつも発明をしようとしていると思うんです。先人の映画や時には絵本や漫画にも影響を受けながら、その中で自分なりの発明をしようとしている。もっと大げさに言うと一人で産業革命を目指しているような人かなというのがあって、そういう意味では健康的な生活をされているとは思うのですが、どこか病んではいないかと、いつも心配しています。
ポン監督:もう少ししたらサバティカルイヤーを過ごせたら良いなと目論んでいます。ただ、今取り組んでいるアニメがかなりタフな作業なんです。もしかしたら2027年くらいには休めるのではないかと思うのですが、それが実現すれば監督の家の周りを彷徨っているかもしれません。家の近くのお蕎麦屋さんで偶然遭遇するかもしれませんよ(笑)。(日本語で)讃岐うどん……とんこつラーメン……(笑)。
阪本監督:日本人は『ミッキー17』を一番楽しめる国民性を持っていると思っていて、韓国でヒットしているのは聞いていますが、やはり日本人に非常にふさわしい娯楽映画だと思います。なぜかというと僕らは小さいころから漫画などたくさんのフィクションに馴染んできています。手塚治虫、大友克洋、つげ義春、藤子不二雄。アンダーグラウンドからメジャーのおとぎ話に馴染んできた僕らだからこそ、この映画は非常に日本人に向いているのではないかと思っています。
Q:阪本監督、『ミッキー17』を御覧になって何か質問したいことがあればお願いします。
阪本監督:映画は絵と音でできていると思うと、その絵の部分に注目しました。美術的にはデザインとか。非常にアナログであったり、懐古的であったり、レトロであったり、そのビジュアルのデザインは全部ポン・ジュノ監督のアイデアですよね?
ポン監督:今回はヨルゴス・ランティモス監督の作品を担当されていたフィオナ・クロンビーさんという美術監督とご一緒しています。本作の7割は宇宙船の中なので、宇宙船の造形が重要で、序盤からいろいろお話をする中で私がお伝えしたコンセプトは、SF映画によくあるファンシーな宇宙船ではなく、古い貨物船やあまり掃除が行き届いていない汚い工場のようなものにしてほしい、ということです。未来の話ではあるけれど依然として人間は愚かで情けなくもあり小汚いという、そういうトーンで作っていきたいということを話して、そのトーンに合わせてデザインをしていただきました。高級ホテルやデパートに行くと私たちが見る空間はとても華やか輝いていますが、「関係者以外出入り禁止」と書かれたドアを開けた奥の空間というのは、すごく荒々しい通路になっていて天井にはパイプがむき出しになっていたりします。そこは関係者しか入れない空間ではありますが、宇宙船の中もそのような空間にしたかったのです。
阪本監督:僕がこの業界に入った最初は美術の助手だったのでそういうところに注目してしまうのですが、僕がすごく好きだったのはミッキーの部屋のドアに開閉レバーの傷跡がついているところ。ああいうのが大好きなんです。
ポン監督:それに気づかれるなんて(笑)。
阪本監督:僕は美術出身なので、例えば貧しい人の家のセットでは窓を一度割れたことにしようとして、ビニールテープを貼って過去に子供がボールか何かで割ってしまった跡を作ったりしてきましたし、監督になってもそういうことを僕は常々実行してしまうのですぐに気が付きました。
ポン監督:例えば家の部屋にかかっていた額縁を外すと跡が残りますよね。私もそういう人間的な痕跡のある空間を作りたかったんです。実際に大きなネズミを運び込んで、宇宙船の通路をネズミが走るところを撮ろうと言ったのですが、コロナの時期ということもあったせいか制作部で難色を示されてしまい実現しませんでした。SF映画史上初、ネズミが宇宙船の中を走り回っているところを撮りたいと思っていたんです。
阪本監督:僕が以前ソウルでこの作品のことを聞いたら「宇宙船の中にネズミが走り回るような映画」だと言っていたけれど、それはコロナでやめてしまったんですね。
ポン監督:この映画はロンドンで撮っているのですが、イギリスのネズミはとても大きいんですよ。ウサギかと思うくらいの大きさで、裏通りで実物のネズミを見てちょっとおじけづいたということもあります(笑)。
阪本監督:近未来においてクローンを作ることは倫理的に許されない。でもミッキーは、宇宙の危ない仕事に従事するたった1人だったらいいんじゃないか、……という判断のもとに生まれたキャラクターですよね? そう考えるとゾッとするのは、たった1人ならいいんじゃないかと皆が思ってしまったということ。だから「死ぬってどんな気分?」と聞いてくる。誰かが犠牲になるしかないのだから仕方がないというようなものの考え方は、昨今と地続きだと思っています。面白おかしくだけど、そういうことも描いていたのだなと思いました。
ポン監督:私もそれは重要に考えていた部分です。共同体のすべての人たちが危険で汚くて死ななければならない仕事を1人に押し付ける。「君は死んでも仕方がない、契約書にサインをしたのだから」「それが君の仕事なのだから」と、自分たちの責任や自責の念から逃れようとします。反対にクリーパーたちは、彼らの子供1匹が死に面したときに、その1匹を助けるために共同体全体が動き雪原に飛び出してきます。そういう人間の世界とクリーパーの世界を対比させたかった。繰り返し1人の人間を犠牲に死なせて自分たちは安全な場所にいる人間の世界と、1匹のために共同体が動いて助けようとするクリーパーの姿を対比させながら、どちらがより他者に対するリスペクトを持つ高貴な存在なのかというのを見せたかったんです。
阪本監督:ポン監督の映画の特徴は善悪を単純化しないことや、名もなき人を主人公に置くこと。今回も非常に楽しんで観たけれど終わってから受け取るものは本当の意味でのハッピーエンドではなかったと思いますし考えさせられる読後感は変わらないと感じました。
ポン監督:ミッキーはずっと死を繰り返し、死ぬことが職業でした。悲劇といえば主人公が死ぬことだと思いますが、死なせて終わることにあまり意味がないように思えました。それに彼は善良な青年で、そんな彼が破壊されるところも見たくなかった。本作の結末ではそういう意味を持たせたかったのです。