スーパー戦隊50周年 特撮監督・佛田洋が振り返る特撮シーンの変遷 師から継承した二つの教え

現在放送中のスーパー戦隊シリーズ50周年記念作品「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」。その特撮シーンで采配を振るうのが、特撮監督の佛田洋だ。シリーズ第14作「地球戦隊ファイブマン」(1990~1991)から長年にわたり特撮シーンを牽引してきた佛田監督がインタビューに応じ、助手時代からの歩みと共に、スーパー戦隊シリーズにおける特撮シーンの変遷について語った。
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美術助手として特撮研究所へ
1961年生まれの佛田洋特撮監督。幼少期はイギリスのテレビドラマ「サンダーバード」(1966~1967)に夢中になったと言い、これが現在の特撮監督としての原点だと語る。一方、スーパー戦隊シリーズについては、第1作「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975~1977)から観ていたそうで、「普通は卒業するものだけど、『仮面ライダー』も観ていたし、ずっと好きだったんだよね。特に『ゴレンジャー』は、必殺技のゴレンジャーハリケーンのくだらなさが面白くて夢中になった(笑)」と振り返る。
ゴレンジャーハリケーンについては、5人がボールをパスし、最後に怪人の弱点でとどめを刺すのがお決まりのパターンで、たとえば、これがタイヤ仮面なら空気入れでパンクさせる、大耳仮面なら耳栓で耳を封じる、アバラ仮面なら骨ガラスープを飲ませて爆発させるといった具合で、時によくわからない弱点もあるのだが、とにかく子どもたちを喜ばせる創意工夫に満ち溢れ、佛田の言うところの「くだらない」とはそうした面を表している。
一方、「ゴレンジャー」の特撮シーンに関しては「バリブルーンが今の西新宿のロータリーの排気口から出てくるでしょう。だけど、僕は九州出身だから、当時は分からなくて。都会のビルなんだなとは思っていて、上京してから分かったんですよ」と佛田。
その「ゴレンジャー」の特撮を手掛けていたのが、特撮研究所を率いる矢島信男特撮監督であった。佛田は1984年、同郷で、今日では特撮美術の第一人者として知られる美術デザイナー・三池敏夫と共に、「超電子バイオマン」(1984~1985)の劇場版の現場で映像業界入りを果たす。だが、当時の佛田は特撮監督を志していたわけではなかった。
「映画の専門学校を出たわけでもないし、もともと美術が好きだったから『美術をやらせてください』と美術助手として入ったんだよね。最初にやったのがセットの山を造る作業。竹をUの字に曲げてその間にニクロム線を張った『弓』っていう器具で発砲スチロールを熱で切って形を造るんだけど、当時、美術を担当されていた藤田泰男さんから『まずはこれから練習しなさい』と言われてやったら意外と上手くできたらしく、藤田さんから『上手いね』と褒められたのを覚えています」
そんな助手時代に見ていた矢島監督の演出で印象的だったのが、「これは皆さん言うけど、だいたい敵の戦闘機が3機編隊なの(笑)。当時の矢島監督は映画もやっていたからけっこう忙しくて、コンテと言っても、三角形が三つ書いてある走り書きみたいなもので、それを読み解く作業があったりして」。もう一つ、矢島特撮の印象的なカットとして挙げたのが、爆発や雲海から現れる母艦だ。「あれも矢島監督の得意なやつで、自分が特撮監督になってからも何度かやっています。昔はジャガーバルカンとか、デカいミニチュアを作って撮っていたのが、今はCGになったけど、最近の作品でも『機界戦隊ゼンカイジャー』(2021~2022)では、白倉(伸一郎)プロデューサーのオーダーでクロコダイオーが雲海から出現するカットを撮った。それこそ今、放送している『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』の巨神テガゾードもそう。特に言われたわけではないけど、ああいうカットが自然と浮かんでくるんです」と師匠から受けた影響を語る。
当時はまだCGがなかった時代、ロボの変形や合体は全てミニチュアで撮影されており、その変形ギミックを描く上で欠かせなかったのが「操演」である。撮影現場はある意味、操演を中心に動いていたという。
「当時の特撮研究所には、東宝で円谷英二さんとも仕事をしていた、ベテラン操演技師の鈴木昶(すずき・とおる)さんという方がいらっしゃったんです。普通のドラマや映画だと最初にカメラポジションを決めるでしょう。特撮の場合はそうではなくて、まずは鈴木さんがピアノ線でミニチュアを吊り、モーターで回したりもするけど、とにかく変形させるための仕掛けをするんです。仕掛けが終わってから、カメラをいいポジションに入れて、ライティングして、周囲を美術で飾って、それから撮影。それもあって1日に消化できるのは1~3カットくらい。でも、それが矢島監督のやり方で、とにかく『仕掛けが大事』ということを常々おっしゃってました」
師匠・矢島信男から受けた二つの教え
その矢島からは、大きく二つの教えを受けたという。まずひとつは「予算にハメろ」ということ。
「たとえば、この業界では撮影で徹夜することもあるでしょう。確かに現場はハイになっているし、その時は乗り切れるけど、翌日はみんな疲れちゃったりして、結局トータルで考えると効率が悪い。それで『ある程度時間のサイクルを考えて、撮影は規則正しくやりなさい』とそういうことをよく言われていました。もちろん、矢島組でも残業は多かったけど残業しても夜9時には終わってた。それを自分の場合は更に効率化して概ね夕方に撮影を終えて、翌日の準備をちょっとやって解散する、といったサイクルに近年はしていますね」。今日の映像業界は、働き方改革が叫ばれているが、矢島の教えはまさにそれを先駆けるものだった。
もうひとつの教えが「コンテは一回寝かす」である。
「やっぱり最初は面白いと思って、コンテをたくさん描くでしょう。で、一回置いておいて、ちょっとテレビを観るとか、呑みに行くとか、時間を空けてもう一度観返すと、『ちょっと分量が多いかな?』と気付いたり、再構築したりして、いいコンテが出来上がる。特に新人の頃は、絵コンテをいっぱい描いてしまうけど、テレビは実質25分だから、そんなに撮っても使いきれないし、それで省いたりすることで、ちょうど良くなるんだよね」
「特撮監督 佛田洋」の誕生
佛田が特撮監督としてデビューしたのは、「バイオマン」から6年後、スーパー戦隊シリーズ第14作目となる「地球戦隊ファイブマン」だった。「後々、本を読むと、当時の鈴木武幸プロデューサーが矢島監督に進言したとかいろいろなことが書いてあるけど、僕自身が直接どう言われたのか具体的なことは不思議と覚えていないんですよ。たとえば矢島監督から呼び出されて、『実は……』なんて話があれば、ドラマティックなんだろうけど(笑)。何しろ当時は監督になったと言っても美術も兼任していたし、忙しかったからね」
ただ、特撮監督になる以前に、矢島監督に命じられてコンテを描く機会は度々あったという。「さっきも話したように、最初は矢島監督のコンテを清書していたんだけど、その内、『どういうのが面白いか?』と言われるようになり、『高速戦隊ターボレンジャー』(1989~1990)、『光戦隊マスクマン』(1987~1988)のメカの合体シーンは自分でコンテを描いたような記憶があります。確か『マスクマン』のグレートファイブの合体は、自分が描いたコンテそのままで矢島監督が撮ったんじゃないかな? まぁ、そこは任せてくれたということだろうね」
当時の矢島監督が資質を試していたようにも思えるが、佛田自身は「あくまで美術助手だったし、もともと絵が好きだったから描いただけで、まさか自分が監督になるとは思ってもみなかった」と率直な気持ちを述べる。
かくして特撮監督としての第一歩を踏み出した佛田。監督が変われば当然、撮る画も変わるわけで、「地球戦隊ファイブマン」では、ファイブレッドが搭乗する戦闘機スカイアルファーのオープン撮影など、それまでにない印象的なカットが登場した。それについては「矢島監督も『ジャイアントロボ』(1967~1968)の頃にはオープン撮影をやっていたけど、雨が降って中止になったら効率が下がるわけじゃない。だから当時は、基本セットで撮る方針だったんだよね。『ファイブマン』では、オープン撮影と言っても、カメラマンの高橋政千さんがカメラに付けた棒の先にスカイアルファーのミニチュアを固定して、青空に向けて振り回しているだけで、仕掛けも何もなかったしね」
1990年代は、現役だった矢島が当時のメタルヒーローシリーズ、佛田がスーパー戦隊で特撮監督を務める時代が続いたが、矢島は『特捜ロボ ジャンパーソン』で現場を退き、『ブルースワット』からは、尾上克郎が特撮監督となる。そうした世代交代が進む中、佛田が特撮監督として最初に手応えを感じた作品について訊ねてみた。
「それはもう『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(1999~2000)だね。ビクトリーロボに合体する5体のメカが救助マシン(※99マシン)で、子どもの頃に『サンダーバード』に夢中になった身としては『自分のやりたいメカが来た!』と思ったよね」と興奮気味に語り、「ミニチュアを作る際の打ち合わせでは、とにかく細かいディテールを入れてもらうように伝えて、リアリティーを追求した。またジャッキアップや噴射するノズルの拡大&収縮といった細部にもこだわりました。合体用の5体のミニチュアは、(円谷英二時代の東宝特撮の美術で知られる)井上泰幸さんが主宰するアルファ企画さんが。そして走行や活躍シーン用のギミック満載のミニチュアは東陽モデルさんやミューロンさんが手分けして作ってくれました。さすがにこのときはかなり残業が多くてスタッフにも迷惑をかけましたね(笑)」と力の入れ具合を振り返った。
スーパー戦隊シリーズならではの面白い画
佛田が特撮監督を務めるようになってから、すでに35年の歳月が経っており、その間、特撮を取り巻く環境も大きく変貌を遂げた。ミニチュアからCG&デジタル合成、さらに近年はLEDウォールを導入してのバーチャルプロダクション撮影と技術革新が進んでいるが、佛田は新しい技術に挑みつつも、時代を問わず、それぞれの技術が持つ良さを大切にしている。
「ひとつの節目が『百獣戦隊ガオレンジャー』(2001~2002)だったよね。あの作品はパワーアニマルを全てCGで描き、合体シーンもCGでやった。ちょうどあの頃を境にミニチュアを使わず、CGだけでやる方針になりかけた。だけど、最初は目新しいからみんな喜ぶんだけど、観ている側が飽きてしまう。今は実写もアニメも海外から来る映画もだいたいCGがメインでしょう。それもあって、どうしても似通ってしまう。だから、CGをメインにした翌年はミニチュアに戻すようなことも意識するようになりました」
バーチャルプロダクション撮影を行った「王様戦隊キングオージャー」(2023~2024)は、技術面でも大きく注目を浴びた。「矢島監督の頃は、ECG合成(※ビデオ合成がその場で確認出来て後にフィルムに変換するシステム)があったけど、言ってみればあれの令和版だよね」。本作では本編&特撮、双方に導入されたが、特撮においては本編とはまた別個の苦労があったという。
「ロボを撮る際には、ドラマ班のために作ったシュゴッダムの背景をそのままLEDウォールに映してその前でロボスーツをあおって撮れば巨大に見えるかといえば、そうはいかない。詳しい理屈は省略しますが、結局ロボのスケールにあわせて背景の街並みのCGも24分の1に作り替えているんです。実は、その課題は前作『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』(2022~2023)の時点で問題になってました。ドンオニタイジンはイメージ空間(※脳人レイヤー)で戦うでしょう。イメージ空間だったから視聴者には気付かれてなかったけど、よくみるとバランスがおかしかった。特撮研究所では、『キングオージャー』を見越して、その1年前から『Hibino VFX Studio』さんと組んでLEDステージでのロボ戦に挑戦していましたが、いきなり『キングオージャー』でこの問題に気付いたらアウトだったと思うし、そうやってノウハウを重ねることで実現できたところがあった。やっぱり一作毎のつながりが大事だよね」
その上で佛田は「技術も大事だけど、自分としてはスーパー戦隊シリーズならではの面白い画を常に考えている」と強調する。カッコいい画は当たり前として、今はCGが発達しているから、実写を撮って、そこにCGを入れるのがスタンダードな作り方でしょう。もちろん、それもいいんだけど、スーパー戦隊ならではの特色を常に出して行かなくちゃと思うし、ロボを描く上では、やっぱりスーツアクターが芝居をして、『何!?』みたいにして驚く。これがいいんです(笑)。ロボットだから驚くのはおかしいけど、それこそがスーパー戦隊特撮ならではの面白さじゃないのかな」
これまで、数えきれないほどのロボを演出してきた佛田。特撮監督として絶えず新たな引き出しが求められる立場であるが、どういうところからインスピレーションを得ているのだろうか?
「僕自身、子どもみたいな性格だから、いつもくだらないことばかり考えているんだけど(笑)トッキュウオーの股間が伸びたら面白いかなとか。とにかく映画やテレビ、ジャンルを問わず観ます。特撮とは全く関係ない、ドキュメンタリーも観るし、夜の9時や10時台に放送している恋愛ドラマも普通に観る。そんな中に、面白い描写や引っ掛かる描写があるんだよね。『手裏剣戦隊ニンニンジャー』第1話の巨大妖怪のロボへの壁ドンとかそこで思い付いた(笑)」とその秘訣を明かしてくれた。(取材・文:トヨタトモヒサ)
「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」
最高最強のナンバーワンを目指し、子どもたちに圧倒的な人気を誇る動物や恐竜=獣(けもの・ジュウ)をモチーフにした5人のヒーローが活躍する物語。脚本は「仮面ライダーガッチャード」の井上亜樹子、演出は「仮面ライダーガッチャード」「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」などの田崎竜太(崎はたつさきが正式表記)が担当する。
「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」テレビ朝日系にて毎週日曜午前9時30分~放送中


