大東駿介の幸せが怖くなる瞬間 念願の『岸辺露伴』で役とシンクロ

ドラマシリーズ、劇場版と作品を重ねてきた実写『岸辺露伴は動かない』シリーズ最新作となる映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』(公開中)。本作で「幸せの絶頂時に絶望を味わう」という呪いをかけられてしまう男を演じた大東駿介が、出演を熱望していたシリーズへの参加について、原作でも人気の“ポップコーン対決”の裏側、さらには映画のキーワードとなる「運」にまつわる持論を語った。
念願の実写『岸辺露伴は動かない』シリーズへの参加
荒木飛呂彦の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のスピンオフである『岸辺露伴は動かない』シリーズの実写化プロジェクト。大東は、一視聴者として、ドラマ、映画の完成度に感嘆していたそうで「いつか自分も関わらせてもらいたい」という思いを抱いていたという。
そんななか、原作エピソードの第1話目である「懺悔室」の実写化、物語の中で重要な役割を担う水尾役のオファーに大東は「本当に嬉しかった」と破顔しつつも、生半可な思いで作品には入れないというプレッシャーもあったと話す。
「脚本を読んだ段階から“これはすごい作品になるぞ”という実感が強くありました。原作へのリスペクトを強く抱きながら、映像としてどう昇華させていくかという製作陣の志の強さに、僕がしっかり向き合えるのかという緊張感もありました」
人生は幸福と不幸では測れないもの
大東演じる水尾は、自らが犯した過ちにより「幸せの絶頂の時に“絶望”を味わう」という呪いをかけられてしまう人物だ。役とは裏腹に、大東自身は「僕は普段から、物事を“幸福”か“不幸”かという基準で考えるタイプではないんです」と運によって一喜一憂することはないと断言する。
その理由について大東は「結局、幸福か不幸かなんて、その人の捉え方次第じゃないですか」と笑うと「僕自身人生を振り返ったとき、“最悪だ。これさえなければ”なんて思ったこともありますが、でもそれがあったからこそ今の自分がある。どんな出来事も、自分の人生において必要なことだったと考えると、無駄なことなんてないんだと思えるんです」と持論を展開する。
大東が生業としているのは俳優業。自分とは違う何者かを表現する際、自らが経験してきたことは、芝居をするうえで大きな財産になる。だからこそ、はたからみると「不幸」なことであっても「受け止め方次第では、俳優という仕事には大きく役立つ。そう考えると、不幸の意味も大きく変わってくるんです。僕は常に自分の想像を超えるような面白いことが起きて欲しいと思っているので、それが良いことなら嬉しいし、一般的に悪いこと、不幸なことだとしても、悲観することはないんです」とポジティブだ。
そんな大東にも、唯一例外がある。それは、自身の子供と遊んでいるとき。
「やっぱり“こんな幸せなことあるか!”と、まさに水尾のように幸福の絶頂が訪れるような感じがあるんです。そのときだけは“もしこの幸せを失ってしまったらどうしよう”と強い恐怖を感じます。この感覚はこれまで感じたことがないもので、自分にとっては非常に新鮮なものでした。絶望というよりは恐怖という感情ですね」
命を賭けたポップコーン対決の裏側
恐ろしい“呪い”を背負ってしまった水尾が、「ポップコーンを投げて3回続けて口でキャッチできたら呪いは消える」という勝負に挑む場面は、原作ファンの間でも人気の高いシーンだ。丸2日間かけ、合計150カットにも及ぶシーンが予定されていたという。しかも、ほぼ大東の一人芝居。実際には相当ハードな撮影だったと思われるが、本人はその実感がないという。
「水尾にとっては死の瀬戸際で感情が爆発するシーンであり、極限状態が続いていたと思うのですが、あえて一言で言ってしまえば“全然しんどくなかった”という感想です」と笑う。その理由について「よく考えると、設定として、水尾がポップコーンを投げるのは3回だけ。現場では鮮度を損なわないようにという意識はあったと思います。だからこそ、無意識的にテイクを重ねることを物理的な量として捉えていなかったんでしょうね。やったことはすぐに忘れるという心持ちで臨んでいました」
そういうマインドになれたのは、渡辺一貴監督を中心とした『岸辺露伴は動かない』チームのプロフェッショナルさゆえのようだ。大東は「“なぜこのカットが必要なのか”という意図がしっかり伝わるので、監督を信頼できる。そうすると余計なことを考えないですむ。本当に素敵な現場でしたし“ああ、俺はこの美しい世界で、こんなことができたんだな”と思える最高の時間でした」と念願だった作品への参加で、想像をはるかに超える刺激が得られたことをしみじみ語っていた。(取材・文:磯部正和)


