『侍タイムスリッパー』ヒロイン・沙倉ゆうの、助監督を兼任し出資まで 安田監督への絶大な信頼

第48回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を獲得した『侍タイムスリッパー』でヒロイン・優子を演じた俳優・沙倉ゆうのと、安田淳一監督。ふたりの出会いは20年前、イベント用のオープニングムービーでタッグを組んだことがはじまりだった。そこから安田監督率いる未来映画社の看板女優として、『拳銃と目玉焼』(2014年)、『ごはん』(2017年)、『侍タイムスリッパー』と作品を積み重ねてきたふたり。現在は東映京都撮影所の俳優部に所属する沙倉だが、かつては未来映画社に所属し、安田監督がマネジメントを担当した時期もあるなど、強い信頼関係が見て取れる。今回、未来映画社の3作品が各ストリーミングサービスで配信開始となったことを受けてインタビューを敢行。お互いのこれまでの活動を振り返った。(取材・文・写真:壬生智裕)
“日本一の斬られ役”も気にかけてくれた
ーー『侍タイムスリッパー』は現在もロングランヒットを続けています。何かこれまでと変わったことはありますか?
沙倉ゆうの(以下、沙倉):それは最近よく聞かれるんですけど、特に変わっていません(笑)。ただ応援してくださる方は増えました。SNSのフォロワー数も急激に増えましたし。東映京都撮影所でも、外部からいらしている監督さんやスタッフさんからも声をかけられるようになって。「映画観たよ」「面白かったよ」と言っていただけるのはうれしいですね。
安田淳一監督(以下、安田):それはあなたが(『侍タイムスリッパー』で)助監督の役をやっていたからじゃない? 女優としてだけでなく、スタッフ仲間だと思われてるんだよ(笑)。
沙倉:そうなんですかね(笑)。でも俳優部の先輩たちからも「わたしも出たかった」と言ってもらえて。特に先輩たちは、ずっと時代劇に携わってきた方たちなので。そういう方にそう言ってもらえるのは、本当にうれしいことですね。
ーー沙倉さんは現在、東映京都撮影所の俳優部に所属されているんですよね。
沙倉:そうです。『侍タイムスリッパー』の撮影が2022年くらいだったので、入ったのはその1年くらい前。だからまだ新人です。
安田:その前に違う事務所にいたこともあったんですが、『ごはん』でつながりもあったし。「沙倉さんをお願いできませんか」ということで。少し時間はかかりましたが、向こうも受け入れてくださった。
ーーまさに職人さんに囲まれた、『侍タイムスリッパー』の世界ですね。
沙倉:そうです。最近はスタッフさんとも仲良くなりました。やはりわたしが入ったのはコロナ禍に入った頃だったので、皆さんがマスクをしていて。本当に誰かわからない状態。もちろん向こうもわたしのことは分からなかったでしょうし。
ーー東映京都撮影所といえば、『ごはん』でも共演した、“日本一の斬られ役”とも言われた福本清三さんの存在も大きかったのでは?
沙倉:それは大きいですね。福本さんは、監督のこともそうだけど、わたしのこともすごく心配してくれていて。東映京都撮影所の担当の方に「なんとかしてやりや」と言ってくださっていたみたいです。
ーーおふたりを気にかけてくださっていたんですね。ところで安田監督とはイベント用のオープニングムービーでご一緒して以来、20年来の付き合いということになるわけですが、ここまで一緒にやってこれた理由は何なのでしょうか?
沙倉:それはどんだけ時間がかかろうが、映画は絶対に完成させる、ということですよね。自主映画だと途中で辞めちゃったり、バラバラになったり、ということもあると思うんですけど、安田さんは絶対に完成させてくれるし、見てもらったらみんなが喜んでくれるというのもあったから。『ごはん』の時には(安田監督の制作会社)未来映画社の所属になったんですけど、その時に3本は長編映画を一緒に撮ろうと。3本であかんかったらあかんやろうと言ってましたからね。
『侍タイムスリッパー』に続くタッグは?
ーーとなると『侍タイムスリッパー』が3本目となったわけで、4本目は?
安田:そろそろ巣立ってほしいなと思うんですけど(笑)。
沙倉:これはいつも言われるんですよ(笑)。
安田:ゆうのちゃんのお母さんにも、ゆうのちゃんを世に出すためにも頑張りますわと言って預かったんですけど、『ごはん』の撮影も4年かかりましたからね。だから僕には彼女を長く付き合わせすぎたという負い目があるんです。
沙倉:それこそ『侍タイムスリッパー』だって、企画から考えたら公開まで7年かかってるんですよ。やはり金額もかかるから、監督はなかなか動かないんです。
安田:それはお金のこともあったし、時期的にもちょうどコロナだったから。
沙倉:それでもコロナの時期にオーディションをやったんですよね。
安田:その時は大阪で場所を借りて、ゆうのちゃんとお母さんが受付をしてくれた。
沙倉:でも結果的にコロナ禍はその後も続いていたんで、オーディションに受かった方には2年くらい待っていただく形になったんですが、いざ撮影がはじまるとなったら「待ってました!」と。全員参加してくれましたよね。
安田:でも結果的に出てくださった方たちが、たまたま関西の朝ドラとかで活躍している方たちばかりだったんですよ。僕の目は確かだなと思うと同時に、彼らのスケジュールを組むのが大変だった。おかしなことに主演の山口馬木也さんからはまとまったスケジュールをいただいているのでスケジュールが組みやすかったんですけど、むしろ脇で出る人たちのスケジュール待ちみたいなことが出てしまって。それでもなんとかギリギリまで待ってスケジュールを組んだんですが、そうすると東映京都に遅いですと怒られたり。本当に大変でした。
ーー沙倉さんは役柄だけでなく、実際に助監督もされていましたからね。
安田:もちろん全部のところで助監督をしていたわけではないけど、ゆうのちゃんは本当に頑張ってくれて、俳優さんへの連絡や、ホテルやお弁当の手配、それと美術も担当してくれた。実際に(その仕事分の)お金も支払っていましたが、ある時、僕がバタバタしているうちに銀行にも行けなくなって。足りない分は彼女が立て替えてくれたこともあったんです。そのお金はちゃんと返していったんですけど、ある時、ちょっと待ってと。そのお金を返してもらうか、出資ということにするかどうかは、今後の映画祭でのお客さんの反応を見てから決めると言うんですね。
沙倉:結果、出資にしました。もちろんその時はこれだけの大ヒットになるなんてわからなかったですが、出資した分は絶対に返ってくる映画だと思っていました。
家族の年賀状も安田監督が担当
安田:この人は、そういう目がしっかりとあるんですよ。ただ自分への投資は失敗することもあるんですけどね(笑)。未来映画社に所属してた時も、芝居のレッスンに行ってもらってたんですけど、途中で歌をやりたいと言って歌をはじめたこともあったし。
沙倉:最初は歌をやってたんですよ。でも歌が一向に上手くならないから、芝居の勉強をしてくれと言われたんです。
安田:何かやらせておかないと、何のために所属したのかわからないから。あの頃はオーディションがあるたびに応募して、仕事もいくつか取ってきたよね。ただそれもそんなに高い仕事じゃなかったから、間を取らずにギャラは全部渡してた。僕はホワイトプロデューサーですよ(笑)。だから早く次の事務所を探さなきゃという感じに思ってました。
ーー沙倉さんのカレンダー撮影なども安田監督が担当されていたとか。
安田:そりゃ僕だったら願ったり叶ったりでしょうからね。そういうことは僕に言われるわけですよ。あまつさえ、個人的な家族の年賀状の撮影も僕が何年もやっていますから(笑)。とにかく彼女もいろいろと頑張ってますからね。
沙倉:(『拳銃と目玉焼』主演の)小野孝弘さんの知り合いのキャスティング会社の方を紹介してもらったりもしています。関東の仕事も呼ばれたら行くんですけど、関西にいるとなかなか呼ばれないですね……。関西でドラマや映画の撮影があっても、そこに関西の役者さんが呼ばれることも少ないですし。
安田:ただ関西には、峰蘭太郎さんもそうだし、紅萬子さんもそうですが、いい役者さんがたくさんいるので、それは是非とも知っておいてもらいたいなと思っています。
長い歳月をともに歩んできたふたりの関係は、監督と女優という関係の枠を超えた、映画仲間、そして親戚同士のような絆に支えられているようだ。『侍タイムスリッパー』で結実した多くの縁と経験は、きっとふたりにとって、次なる物語の礎となるはず。これからも安田監督と沙倉の映画づくりから目が離せない。


