織田裕二主演、連続ドラマ「北方謙三 水滸伝」宋江のビジュアル公開 2026年WOWOW放送決定

累計発行部数1,160万部を突破する北方謙三の歴史大河小説シリーズを、織田裕二主演で初めて映像化する連続ドラマ「北方謙三 水滸伝」が、2026年にWOWOWで放送・配信されることが決定し、織田演じる主人公・宋江(そうこう)のビジュアルが初公開された。
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本作の舞台は12世紀初頭、北宋末期の中国。民たちが苦しみにあえぐなか、同じ志を持つ漢(おとこ)たちが“梁山泊(りょうざんぱく)”に集い、腐敗した世を正すべく敢然と立ち上がる。織田が演じる宋江は、正義を信じ、信頼で人を動かす稀代のリーダー。武力に長けているわけではないが、誠実に紡ぐ言葉とカリスマ性により仲間を束ね、世直しを唱える書物「替天行道(たいてんぎょうどう)」を書き記し、梁山泊の頭領となる。
公開された場面写真は、宋江が「替天行道」を書き記す劇中シーン。この四文字は「天に代わって正義を行う」という意味を持ち、理不尽な世に追い詰められた者たちにとって、志を掲げる旗にして希望の光となる。全国に散らばる仲間たちは、この書に心を震わせ、次々と決起していく。物語が大きく動き出す“始まりの火”とも言える、本作を語るうえで欠かすことのできない象徴的な場面だ。
宋江は、表向きは戸籍係として働く下級役人だが、腐敗した世を憂い、自ら筆を執って「替天行道」を記したことで運命が動き出す。剣の達人でも、軍略に秀でた知将でもないが、多くの者が彼のもとに集い命を懸けて共に戦う。それは、彼の持つ「徳」の力ゆえ。どんな人間も見捨てず、信じ、包み込む宋江の生き様は梁山泊の核となる。そんなカリスマ役に挑む織田は「最も気をつけているのは、彼は何処にでもいる普通の人だということ」とコメント。「精神的に強い訳でも無い。悩んだり、弱味を曝け出したり…。人に寄り添う。宋江という男は、ただ人に寄り添う。今はこれだけをキーワードに戦い、演じております」と語っており、そんな織田と撮影現場で会話を交わした北方は「かなり入れ込んでいた。燃えていた。どんな宋江が見られるのか、楽しみだ」と期待を寄せている。
監督は、映画『沈まぬ太陽』『Fukushima 50』などを手がけ、織田とは、テレビドラマ「振り返れば奴がいる」(1993)、「お金がない!」(1994)、「正義は勝つ」(1995)などのヒット作を世に送り出した若松節朗。脚本は、舞台「キングダム」をはじめ、ミュージカル、ストレートプレイ、アニメ、ゲームと幅広いジャンルを手掛ける劇作家・藤沢文翁が担当する。織田裕二、北方謙三のコメント全文は以下の通り。(編集部・入倉功一)
織田裕二コメント
昨年12月から撮影を開始した。
凍てつく寒さ…
洞窟、
過酷な環境下での長時間に渡る撮影の中、あるシーンで突然空から降ってきた様にアイデアが湧いた。実はこのシーンをどう演じれば良いのか、直前まで考えあぐねていた。この昼も夜も分からない寒ーい洞窟での撮影は一生忘れることはないだろう。
雪山、また別の洞窟、山、川、湖と…
一体、何十県行っただろう。
車、新幹線、飛行機に乗り南へ北へ。
この作品は半年が経過してもまだ終わらない(笑)
8か月かかる予定だという。
これまで40年近く役者をやってきたが、このスケールでの撮影は無かった。
どれだけ力を入れているのか、
毎度毎度、山奥に建てられる撮影隊のテントや車輌、スタッフの多さに驚かされる。メイク、結髪、衣装を身につけるまでにかなりの時間と労力を使い、そこから撮影現場に辿り着くまでまた時間を要する。
そして主演である私ですら、この作品の一部でしかない。
何故なら私が出演していないシーンが多数あり、そこでほかの役者たちがどう演技しているのかわからない。
全ての撮影が終わり、編集され、放送までにどんな作品になるのか、いまは想像出来ない。
こんなに時間と労力をかけた作品がどんな物になるのか、楽しみでしかない。
私が宋江という人物を演じるにあたり、最も気をつけているのは、
彼は何処にでもいる普通の人だということ。
晁蓋の様な漢らしいリーダーシップを持つ訳では無く、林冲や楊志の様な武の才も無く、呉用の様な作戦軍師でも無い。
精神的に強いわけでも無い。
悩んだり、弱味を曝け出したり…
人に寄り添う
宋江という男は、ただ人に寄り添う
今はこれだけをキーワードに戦い、演じております。
作・北方謙三コメント
織田さんが宋江を演じる。あれだけの役者が衣装を纏い、言葉を発するのだ。だが、それを超えたところに“芝居”はあると思う。会話をした。かなり入れ込んでいた。燃えていた。どんな宋江が見られるのか、楽しみだ。
ドラマ制作陣は、むさ苦しいほど熱い。だが、あれだけの長編を作るには、それくらいの熱がなければできないだろう。俳優の演技力や存在感、監督や脚本の表現力、衣装・小道具を含めた創造力が、どう支えるか。
これは、作家と映像制作者の“勝負”。私は今、無邪気に、圧倒される瞬間を待っている。


