「べらぼう」佐野政言役・矢本悠馬、わずか1話で敬意が殺意へ…3度目大河で「精神的にきつかった」役づくり

横浜流星主演の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)で、田沼意知(宮沢氷魚)を斬りつけ、自らもまた壮絶な最期を遂げた佐野政言(さの・まさこと)を演じた矢本悠馬。その死は“世直し大明神”として、後世に大きな波紋を広げた。佐野という複雑で悲劇的な人物を好演した矢本が、当初抱いた“ヒール”のイメージが覆されたことへの戸惑いや、役の狂気と純粋さの狭間で精神を消耗した日々、そしてすべてを終えた瞬間に訪れたという達成感について語った(※ネタバレあり。第28回の詳細に触れています)。
ひっくり返った役のイメージ
物語の転換点でメインキャストの一人、田沼意知を殺める大役。矢本が最初に佐野政言と向き合った時、心には期待と重責への緊張が宿っていた。「衣装合わせの時、演出の方々から“不気味でヒール的な存在に”と言われました。意知を殺めることは知っていたので、今後の展開へのワクワク感と、重大な責務への緊張感が第一印象でした」
当初の演出プランも、その“ヒール”像を強調するものだった。しかし、脚本の森下佳子から届いた新たな台本が、方向性を大きく変えた。「父が認知症を患う背景や、宴席でうまく振る舞えない引っ込み思案な一面といったディテールが急に出てきて、僕の中のイメージが完全にひっくり返りました」
この予期せぬ“キャラ変”は、矢本にとって大きな挑戦だった。描かれていない空白の期間に、青年がなぜ心を閉ざし追い詰められたのか。その過程を自身の解釈で埋めていく。
「成功者への嫉妬より、自分の生活の厳しさや、うまく自己表現できない性格のジレンマという側面の比重を上げました。ただのヴィランではなく、悲しい背景から殺さざるを得ない状況に追い込まれていく男なのだと」
1話の中で敬意が殺意へと変わるスピード感
役の核が大きく変わったことで、矢本は政言を突き動かす原動力を「システムへの怒り」に見出した。恵まれた家柄に生まれながら時代の変化に取り残され、絶対的な父からのプレッシャーと介護の現実に苛まれる。その絶望感が芝居の軸となった。
「もともとの生まれは良いのに、自分で営業してのし上がる時代に変わってしまった。かつて格下だった田沼家が上にいて、父からはプレッシャーをかけられ、その父の世話もしなければならない。システムの中で板挟みにあう絶望感があったのだろうと。描かれていませんが、そこを軸に周囲のセリフや環境を受け取りました」
物語は意知への感謝から殺意へと、わずか1話のうちに感情が反転するクライマックスへとなだれ込む。この感情の急加速こそ、矢本が「精神的にきつかった」と語る最大の難所だった。「1話の中で敬意が恨みに変わり、殺さなければならないというスピード感は、演じていて大変でした。視聴者に唐突に感じられたくなかったので、27回の一つ一つのシーンで自分を追い込みました。普段なら1受け取るものを、セリフや環境から100倍、200倍に増幅させる作業は、精神的にきつく、初めての体験でした」と振り返る。
信じていた相手への単純な怒りではない。矢本は政言の内面を「壊れてしまった」状態だと分析する。「意知を信用している描写もありましたし、僕自身も恨みや怒りより、追い込まれて壊れ、気づいたら刀を手にしていた……という感覚でした」
清々しさと怒りの果てに得た達成感
運命の日、田沼意知に斬りかかる瞬間、矢本の心にあったのは意外にも「清々しさ」だったという。「限界に近い精神状態で生きてきて、“もう終わった方が楽だ”と。“どうせ死ぬなら、最後にでかいことをしよう”というマインドでした。何もしないまま消えるより、歴史に名を残せれば、この人生も報われるのではないか……という気持ちだったのかなと思っていました」
しかし、ひとたび刃を向ければ感情は一変する。それは相手への怒りというより、やるせない自分自身への激情だった。監督とは“綺麗な殺陣にしたくない”と打ち合わせ、テストは重ねず本番の生々しさを追求。「覚えがあろう」という象徴的なセリフも、感情が最高潮に達した瞬間に叩きつけた。
「人を殺せるタイプではない人物として演じてきたので、自らを奮い立たせて鬼になった感覚です。刀を振るう時は、殺める行為への怒りが湧きましたが、それは自分自身に対する怒りのようでした。やるせない、というか……」
そしてすべてを終え、自らも死罪となる切腹のシーンでは、苦悩から解放された男の姿があった。「もう完全に晴れやかな気持ちでした。父が恨んだ田沼に一矢報いることができ、これで辛い人生を送らなくて済む。最後は空を見上げ“いい空だな”という気持ちで死にました」
収録を「全然楽しくなかったです(笑)」と冗談めかしつつ、「今回は精神的に追い込まれました」と極限状態を明かした矢本。一方で「今までの作品で一番プランニングをしないで現場に入りました」と、相手との芝居から生まれる発見も多かったという。
8年ぶりの大河で感じた成長と変化
「おんな城主 直虎」(2017)以来、8年ぶりに大河の撮影現場に帰ってきた矢本。脚本は奇しくも同じ森下佳子だ。「膨大なキャストの中で、どのキャラクターも立っているのが森下さんのすごいところ。シリアスな根底に明るいノリとリズムがある。『直虎』でもそうでしたが、どのキャラクターも視聴者に覚えてもらえる。それは森下さんのマジックだと思います」と練りに練られた脚本に感嘆する。
『直虎』では剣の達人(中野直之役)、今回は気弱な武士。真逆の役柄を託された意図を「『直虎』では最強、『べらぼう』では最弱(笑)。そのギャップを僕にやらせてみたかったのかもしれません。役柄の幅に可能性を見てくれているのは、すごくありがたいです」と矢本は分析する。
この8年で、矢本自身も変化を感じていた。「『直虎』の時はがむしゃらで、自分の役を演じるのに精一杯でした。でも今回は少し周囲を見渡す余裕が生まれました。能動的な役だった前回と違い、今回は相手の芝居を受ける立場だったので、視野を広く持てたのかもしれません」
矢本に対する周囲の変化も感じているという。田沼意次役の渡辺謙からは“作品すごく見ているよ”と声を掛けられ、“共演したかったんだよ”と嬉しい言葉をもらった。
「やり終えた時、珍しく達成感があったんです」と語った矢本。“ヒール”から“悲劇の男”へ。役のイメージが覆る戸惑いを乗り越え、精神を削り、作り上げた佐野政言像。「『べらぼう』史上一番熱い回になってくれればという思いで演じました。メインキャストがいなくなる寂しさを凌駕するくらい、最後の殺陣は2人でしっかりやれたと思うので、自信をもって見てほしいと言えます」と力強くアピールした。(取材・文:磯部正和)


