宮沢氷魚、「べらぼう」意知&誰袖の儚い恋に思い 「気になる人が現れたら好きになるのは一瞬」

横浜流星主演の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)で老中・田沼意次の嫡男・意知を演じた宮沢氷魚。意次のいわば右腕として仕事一筋だった彼が、思いがけず恋仲となった花魁・誰袖(福原遥)とのロマンスも反響を呼んだが、27日放送・第28回では意知に突然の悲劇が降りかかり、誰袖は涙に暮れることとなった。宮沢が、あらためて意知の誰袖への思いや、約6年ぶりの福原遥との共演を振り返った(※ネタバレあり。第28回の詳細に触れています)。
貸本屋から身を興し、喜多川歌麿、山東京伝、葛飾北斎、曲亭馬琴、十返舎一九らを見出し江戸のメディア王として時代の寵児となった蔦屋重三郎(横浜流星)を主人公にした本作。宮沢演じる意知は、若くして若年寄に昇進。父・意次(渡辺謙)の右腕として時に厳しく意見することもあり、とりわけ蝦夷の上知(あげち)計画では積極的にかかわり、情報収集のために「花雲助(はなのくもすけ)」の偽名で訪れた吉原で誰袖と知り合い、距離を縮めていった。
意知と誰袖が初めて出会ったのは、6月1日放送・第21回。意次の腹心で、蝦夷通の土山宗次郎(柳俊太郎※「柳」は木へんに夘))らの花見に参加した際、駿河屋での宴席には土山の相方である誰袖が招かれ、誰袖は意知の姿に目を留めるや否やひと目ぼれ。誰袖は少女時代から蔦重命だっただけに突然の心変わりには驚きの声が上がった。本シーンを、宮沢はこう振り返る。
「正直、僕も早いなと思いました(笑)。でも、それが誰袖の可愛いところというか。少女のころから蔦重に“早く身請けして”と言い寄っていましたが、おそらく彼女には吉原から出て幸せになりたいとか、いろんな大きな夢があって。吉原という小さな世界で幼少期からずっと自分の中でいろんなことを夢見たり想像したりっていう時間が人一倍あったと思うんです。それを手に入れるためには何が必要かと考えて、それが初めは蔦重だった。一方で、“この人だったら自分の思っているものを与えてくれるんじゃないか”と不思議と可能性を感じられたのが意知だったと思うので、そうした期待から一気に心が変わったのではないないかと。僕はそういうふうに整理していました。でも、気になる人が目の前に現れたらその人にぞっこんになるのって意外と一瞬だったりしますよね。“もっとこの人のことを知りたい”とか“この人のそばにいたい”っていう感情は男女関係なくあると思うんですけど、誰袖と意知もそういうことなのかなって思います」
当初はビジネスとして始まった意知と誰袖の関係。誰袖は、吉原に客としてやってきた松前廣年(ひょうろく)から琥珀の抜荷(密貿易)の証拠をつかみ、蝦夷の上知に協力することと引き換えに、意知に身請けを持ち掛けた。初めは誰袖の一方通行に見えたが、意知が誰袖を女性として見るようになったのはいつからだったのか?
「誰袖はすごく勘がいいし、鋭いので、きっと意知は“この人だったら自分では気づかない新たな方法を見つけ出してくれるんじゃないか”と期待したところもあったと思うんです。一方で、誰袖のことをよく知らないので“本当に計画に交えていいものか”“信用していいのか、疑うべきなのか”とも。加えて、自分の計画はもう誰袖にバレているので、拒むことでバラされる危険性もあるし……と、気持ちがごちゃごちゃした時間っていうのがしばらくあって。でも、演じていて明確に“今好きになった”っていう瞬間はないんですよね。僕の感覚としては気が付いたらもう虜になっていたという感覚です。誰袖には中毒性があると思うんですよ。だから自然と誰袖の元に行きたくなるというか。後半になると特に用があるわけでもないのに一緒にいたりとか、そばにいるだけで落ち着く存在になっていく。これという瞬間はなく、じわじわという感じでしたが、初めて肌が触れ合う瞬間などは、気持ちが加速する感覚はありました」
前半では父・意次や側近・三浦庄司(原田泰造)らと江戸城にいるシーンが中心だったのが、誰袖と出会った第21回以降はたびたび吉原を訪れるようになり、意知のさまざまな表情を見られるようになるが、宮沢は「意知は誰袖といる時、一番自然体でいられる一方で、いろんな感情があった」と語る。
「基本的に江戸城や自分の屋敷にいる時っていうのは、何かの報告であったりとか、父に助言したり、自分の中で1つ鎧をまとっているような感じがあるんですけど、誰袖といる時は一番自然体で、自分の身分を忘れてしまうぐらい楽しい時間を過ごしているんです。一方で、田沼が蝦夷の上知をするための証をなんとか手に入れたいところで、初めて父に大きな仕事を任されたことで、それをなんとかやり遂げたい使命感と、関われているちょっとしたワクワク感もある。自分が手柄をあげられたらもっと認められて、もっといろんなことに関わっていけるっていう大きなチャンスなので、誰袖と一緒にその大きなミッションに挑めるっていうのは楽しい反面、いろんな感情があります」
やがて意知は表向きは土山に身請けされる形として、誰袖との将来を見据えるまでになるが、第27・28回では番士の佐野政言(矢本悠馬)が突如、意知に斬りかかり、意知は絶命。二人の花見の約束は果たされないままとなる。意知は最期、意次に誰袖の行く末を託していたが、誰袖に対して何を思っていたのか?
「意知は1度約束したことは必ず果たす人間で、身請けもそうですし、1度この人を大事にすると覚悟を決めた以上は嘘偽りなく、本当にその人のことを大事にして困らないようサポートもしっかりとする人なので。心の底から誰袖にどんどん惹かれていったし、蝦夷の上知においても、誰袖が大きな力になっていたので、そういう意味での感謝の思いもあった。松前家と繋がる大きなリスクを彼女に背負わせてしまっていることに対する罪悪感もあって。いろんな感情がごちゃごちゃになったからこそ、さらに大事に思える人物でもあったので、死に際も誰袖のこれからの人生はどうなっていくのかと心配だったと思いますし、悲しむ姿も想像したんじゃないかなと思います」
誰袖とのシーンにおいて、特に思い出深いシーンとしては第25回で意知が誰袖に歌を贈る場面を挙げた。
「意知が“下手ですまぬが”と歌を渡すのですが、その時、誰袖から見たことのない表情が出てきて。普段からすごく可愛らしい表情をしますけど、またちょっと違った表情が見えて、意知としては嬉しいけど、ちょっと恥ずかしくもあって。なので、あのシーンではあまり誰袖とお互い目を合わせられないというか、意知の方が目をそらしているんですけど、そういった若い二人のキュンキュンした恋愛のシーンになっていて。そこでの会話もすごく好きで。“そなたと添わぬのは間者働きをさせることがよりつらくなるからだ。好いた女に何をさせておるのだと私は、己を責めるよりほかなくなる。いっそ蝦夷などやめればと思うようになるかもしれぬ。しかし、蝦夷は蝦夷でやり遂げねばならぬ私なりの思いがある。私の弱さを許してくれるとありがたい”と。ちゃんと約束を果たすっていう覚悟でもあるんですけど、自分の弱さ、未熟さを誰袖には打ち明けられるんだなと。多分、意次にも三浦にも蔦重にも相談できないこと、見せられないものを誰袖には自然と見せられていたという印象があります」
誰袖を好演した福原とは、『映画 賭ケグルイ』(2019)以来、6年ぶり。宮沢は「とにかく明るくて、一緒にいるだけで自然とこっちもちょっとワクワクしてくるような方」と評する。
「『賭ケグルイ』の時は福原さん演じるキャラクターとタッグを組んでいて最終的に裏切られる関係でしたが(笑)、今回は恋仲になる関係で。花魁には所作がたくさんあって歩くにも立っているだけでもいろいろと工夫が必要で、なおかつ福原さんはセリフも多い。その中で、所作の先生の指導が入って、福原さんはそれに対して本当に的確に、瞬時に応えられていてとても器用な方だなと。それに、誰袖がいる日は朝から晩までずっと誰袖のシーンが多かったりするんです。なので相当負担はあると思うんですけど、福原さんがいると現場が明るくなるんですよね」と収録を振り返っていた。(編集部・石井百合子)


