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映画『爆弾』なぜヒット?佐藤二朗怪演のキーパーソンから考察

映画『爆弾』より自称・スズキタゴサク(佐藤二朗)と類家(山田裕貴)
映画『爆弾』より自称・スズキタゴサク(佐藤二朗)と類家(山田裕貴) - (C) 呉勝浩/講談社 (C) 2025映画「爆弾」製作委員会

 「このミステリーがすごい!2023年版」で1位に輝いた呉勝浩のベストセラー小説を原作に、『恋は雨上がりのように』(2018)、『キャラクター』(2021)などで知られる永井聡監督によって映像化が実現した『爆弾』が現在ヒット中だ。累計興行収入10億円を突破し(11月10日時点)、また第50回報知映画賞では、作品賞をはじめ5部門で候補となるなど批評面でも好調。映画・ドラマ・アニメのレビューサイト「Filmarks(フィルマークス)」で5つ星中4.2、映画.comで5つ星中4.0といずれも高評価をマーク(11月14日時点)し、幅広い支持をうかがわせる。公開当初から、SNSを中心に絶賛の声が続々とあがるなど、その面白さが自然発生的に伝わっている印象の本作。日本映画界において、小説やコミックを原作としたサスペンス・ミステリーは定番ジャンルだが、ではこれだけ話題となっている『爆弾』は同ジャンルの他作品といったい何が違うのだろう? とりわけ注目を浴びている佐藤二朗演じる悪役像の非凡さを中心に、そのユニークさの秘密に迫ってみた(※一部ネタバレあり)。(文:宇都宮秀幸)

佐藤二朗、舞台挨拶でまさかの涙…【画像】

 泥酔の末、酒屋の店員に暴行を振るった容疑で警察署に連行された男、自称・スズキタゴサク(佐藤二朗)。冴えない風貌の中年男である彼は、取調中に突如、10時になんらかの事件が起こることを予言する。やがて秋葉原のビルで本当に爆発が発生。さらにタゴサクは第二・第三の爆発が起こると言い放ち、警視庁捜査一課の類家(山田裕貴)ら刑事たちとタゴサクとの息詰まる心理戦が開始される。

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序盤、秋葉原での爆破シーン

 このように幕を開ける本作は、多くのシーンが狭く薄暗い取調室の室内を中心に、タゴサクの謎めいた発言をきっかけとして展開する。原作者・呉勝浩の小説発表時のインタビュー記事(「小説現代」2022年4月号掲載・呉勝浩インタビュー「乱歩賞作家が辿りついた、“倒せない悪”に向き合うということ」)によれば、小説「爆弾」は2本の映画を発想の土台としているという。1本は『ダイ・ハード3』(1995)で、「爆弾の爆発を阻止するためにはクイズを解かなければならない」という設定はここから。もう1本は黒沢清監督のカルト的傑作『CURE キュア』(1997)で、なるほど言われてみれば、つかみどころのない容疑者の言動に刑事たちが翻弄されるという図式はよく似ている。『CURE』は黒沢監督も公言していたようにサスペンス映画の金字塔である、『羊たちの沈黙』(1991)の強い影響下にある。そう考えると『爆弾』のスズキタゴサクとは、ある意味で『羊たち~』の名悪役ハンニバル・レクター博士(演:アンソニー・ホプキンス)の系譜に位置する存在とも言える。

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 前置きが長くなってしまったが、本作の物語の中心であり、観た人の誰もに強烈な印象を残すのが、スズキタゴサクというキャラクターであることはまず間違いないだろう。実際、観客の感想の多くがタゴサク役・佐藤二朗の圧倒的怪演に対する驚きに集中している。

 では、タゴサクとはどういう人物なのか? レクター博士に代表されるように、警察官を相手取り、時には屈服させてしまうような悪役といえば、インテリジェンスを感じさせる知的なキャラクターというのがお決まりだ。対してタゴサクといえば、小綺麗さとはかけ離れた外見はもちろん、発言のひとつひとつが自虐的かつ卑屈であり、お世辞にも「知性的」とは言えない男として登場する。最初に彼の取調べにあたる刑事・等々力(染谷将太)にしても、はなからタゴサクを軽視しているのが態度に出てしまうし、観客もまたタゴサクを「取るに足らない人間」と、脳内で無意識に分類してしまうに違いない。

人たらしな側面もあるタゴサクと、侮る巡査長の伊勢(寛一郎)

 だが、次々に彼の予言が的中し、爆弾事件がエスカレートしていくなかで、タゴサクの怪物性はどんどん増幅していき、劇中の刑事たちも、そしてわれわれ観客もタゴサクをどこかで「見下していた」こと、そしてそれが浅はかな先入観によるものであることを思い知らされるのだ。警察官とゲーム性の強い頭脳戦を繰り広げる犯人像としては非常にトリッキーであり、映画を観ているだけなのに、観客もまたタゴサクの仕掛ける心理的挑発にいつの間にか引っかかってしまっている。レクター博士を模倣したようなよくいる頭脳派悪役キャラにはない、一見「敗者」であるが実は違うタゴサクの特異性こそが、本作が観る者の心をこれだけつかむ不可欠な理由のひとつではないか。

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 例えばタゴサクが刑事たちに長々と暴言を吐くシーンのある言葉には、一瞬「その通り!」と思ってしまいドキリとした人もいるかもしれない。タゴサクは非道な爆破事件に関わる悪人であると同時に、理不尽な社会に生きる市井の人々の過激な代弁者であり、さらには匿名性の陰に隠れてネット上で無責任に振る舞う人々の「悪意」が人間の形となって出現したかのような恐ろしさをも持つ存在だ。タゴサクという人物のこうした多面性は、そのまま『爆弾』という映画の、ただの謎解きミステリーに終わらない重層的な魅力につながっている。

はじめにタゴサクを取り調べる所轄刑事・等々力(染谷将太)

 さて、物語の「語り口」という面ではどうだろう? ストレートな作劇のサスペンス映画なら、タゴサクと対峙する刑事は最初から山田演じる類家に集中してもよさそうなものだが、本作では視点が複雑になることを恐れず、原作通りに、あえて等々力という刑事の行動にもフォーカスしている。等々力は序盤で早々にタゴサクと直接対決する役回りから外されるが、強く異議を唱えることもなく、その後はサポート的な捜査に徹する。彼の刑事としての行動原理ははっきりとは描かれず、激しく感情を表すこともないが、類家とは対照的な平凡な男としての等々力の存在感は物語を裏から強く支えている。

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ベテランの捜査一課・清宮(渡部篤郎)までもが翻弄され……

 等々力に限らず、外回りの警察官・倖田(伊藤沙莉)にしても、類家の上司・清宮(渡部篤郎)にしても記号的な脇役ではまったくなく、それぞれがタゴサクに対して異なる感情を持って戦っていることが示される。強烈な悪役を渦の中心としたサスペンスでありながら、『爆弾』は一種の群像劇としても豊かであり、「天才刑事VSサイコパス」の一騎討ちといった単純な構図には収まっていない。観客によって感情移入する登場人物は違ってくるだろうし、取調室以外の場所での警察官たちの動向が後半のミステリーとしての鮮やかな展開に大きく関わってくる。「ストーリーの行方が予想できない」という好意的感想もまた多いと思うが、こうした集団スタイルの作劇が大きく貢献しているのは確かだ。 

爆弾探しに奔走する巡査・倖田[伊藤沙莉)、巡査長の矢吹(坂東龍汰)

 『爆弾』がヒットしている理由は、悪役タゴサクの特異性、群像劇というチャレンジなどを含め、一言で言うなら観客にとってすべてが「新鮮」であり、他人事として傍観できない臨場感に満ちているからだろう。劇場パンフレット(『爆弾』完全解体マニュアル)によれば、本作の岡田翔太プロデューサーは、呉勝浩作品の映像化例がこれまでなかったにも関わらず、原作小説を読み終わると同時に発行元の講談社に映画化打診の電話をかけたそう。その勘が見事的中したのは見ての通り。成功する作品とは、観客が日常で感じている欲求、不安、怒り、苛立ちといった気分を刺激するものだが、『爆弾』は高品質のエンターテインメントでありつつ、まさにそうした人々の無意識を覚醒させるような社会的意味も持つ稀有な作品なのだ。

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