大河ドラマ「べらぼう」松平定信のオタク魂が露わに…井上祐貴、想定外の蔦重と雪解け語る

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)の物語はいよいよクライマックスへ。質素倹約を掲げた「寛政の改革」を断行し、出版統制によって蔦屋重三郎ら江戸の町人たちを締め付けた松平定信。しかし、その仮面の下には、国を憂うあまりに不器用な人間味が隠されていた。7日放送・第47回「饅頭こわい」で、かつて敵対した蔦重(横浜流星)との雪解けの瞬間。演じた井上祐貴が、撮影の裏側と定信への愛着を語った(※ネタバレあり。第47回の詳細に触れています)。
蔦重と“雪解け”の夜 「ツンデレ」な本音が漏れた瞬間
大河ドラマ第64作「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」は、江戸のメディア王として時代の寵児となった蔦屋重三郎(横浜流星)の波乱万丈な生涯を描く物語。親なし、金なし、画才なしの「ないない尽くし」から始まった蔦重が、喜多川歌麿や葛飾北斎(勝川春朗)らを見出し、やがて老中・田沼意次(渡辺謙)の失脚や、松平定信による寛政の改革という時代の荒波に揉まれながらも、“べらぼう”な夢を追いかける姿を鮮烈に映し出す。
歴史上、松平定信といえば「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」と狂歌に詠まれた通り、潔癖すぎる改革者として知られる。しかし、本作で井上が演じた定信は、理想と現実の狭間で揺れ動く、あまりにも人間臭い青年だった。そして迎えた第47回「饅頭こわい」では、これまで対立関係にあった蔦重と定信が、二人きりで言葉を交わすシーンが描かれる。それは、視聴者が待ち望んだ“雪解け”の瞬間であり、井上自身にとっても予想外の展開だったという。
「そうですね。演じている僕自身もそうですが、おそらく定信自身も、一番想像していなかったことだったのではと思います。あの瞬間、二人きりで、あの距離感で話すことになるとは思っていなかっただろうなと思うので、。その驚きのような感覚を残しつつ、あの会話のシーンには臨みました」
張り詰めた空気ではなく、どこか静謐な時間が流れる空間。かつては法の番人と罪人のような関係だった二人が、互いの腹の内をさらけ出す。しかし、そこは長年染みついた定信の性分なのだろうか。素直に心を開くのではなく、独特の間合いが生まれたようだ。
「そこがまた新鮮でしたし、定信としては、相手の出方を伺う癖が抜けていない、と言いますか。“どう返してくるだろうか”と考えてしまう。だからこそ、何かを伝える際にも少しシャイな部分が出てしまったのだと思います」
厳しい表情の裏で見え隠れしていた、定信の可愛らしさや不器用さ。「金々先生(栄花夢)よりこちら、黄表紙はもれなく読んでいる。春町は我が神。蔦屋耕書堂は神々の集う神殿(やしろ)であった」と語り、自身が死に追いやってしまった、恋川春町(岡山天音)への懺悔を素直に口にするなど、定信の“人間らしさ”が一気に噴き出るシーンだった。井上は、この重要なシーンに込められた感情を、ある現代的な言葉で表現した。
「一言で言えば“ツンデレ”のような感情が凝縮された、非常に内容の濃いシーンになっていたと感じています。ご覧いただく皆様の心に残るシーンになっていれば嬉しいですね」
撮影の順序としては、このシーンがクランクアップではなかったという。通常、役づくりにおいてはゴールから逆算して感情を積み上げる手法もあるが、今回は全く異なるアプローチとなった。それは、脚本を担当する森下佳子氏が描く予測不能なストーリーテリングによるものだった。
「あのシーンを逆算してこれまでの演技をしていたわけではありません。クランクインした段階では、ああいうシーンがあること自体、当初は知りませんでした。以前取材をしていただいた時点では、まだ蔦重とのシーンは撮影しておらず、私が把握していた台本は、最初の『身上半減』を伝える場面まででした。なので、その先で蔦重とどれだけ深く関わることになるのか、あの時点では全く知りませんでした」
台本が届くたびに驚かされる日々。まさか、自身が追いつめたはずのメディア王と手を組み、さらには黒幕である生田斗真演じる一橋治済への復讐劇へと転じるとは、誰が予想できただろうか。
「まさかこんな風に手を組んで、一橋に復讐する展開になるとは、当時は考えてもいませんでした。なので、本当に先が分からない状態でずっと収録に臨んでいましたね」
先の展開を知らずに演じてきたからこそ、耕書堂での会話には、積み重ねてきた迷いや葛藤がリアルに滲み出ることになった。計算された演技ではなく、定信として生きてきた時間の集積が、あの場所に結実したのだ。
「あのシーンの台本をいただいた時には、すでに収録もかなり進んでいましたが、先ほどもお話したように、今までの定信が持つ人間味や人間性が凝縮されたようなシーンだと感じました。素直になれないけれど、言いたいことは伝えなければならない、といった葛藤があり、それでいて相手の反応をしっかりと伺っている。さまざまな感情が内包されていました」
主演の横浜流星とは、このシーンについて言葉を交わすことはほとんどなかったという。言葉などなくとも、役として対峙すれば通じ合うものがある。監督を交えた確認はあったものの、二人の間には阿吽の呼吸が成立していた。
定信が“敗者”として終わらない意外な結末
そして話題は、物語の核心である結末へと及ぶ。第11代将軍徳川家斉の父として権勢を振るった一橋治済をも巻き込んだ最終的な着地点について、井上は脚本を受け取った時の高揚感を隠さない。
「うーん……全く想像もしていなかった展開だったので、“ああ、こういう終わり方をするんだな”と驚きました。非常に面白いですし、いかにも『べらぼう』らしい、そして脚本の森下さんらしい結末だと感じました。いろいろな『らしさ』が詰め込まれた、最後の山場だと思います」
史実における松平定信は、老中失脚後、失意の中で表舞台を去ったイメージが強い。しかし、この『べらぼう』という世界線において、彼は単なる敗者として終わることはなかった。「しっかりと人間味あふれる人物として描いていただけたのが、とても嬉しかったです。少しだけですが、“報われたのかもしれない”と感じました。白河藩主時代のヒーローとしての活躍は描かれていませんから。もちろん、視聴者の皆様はその史実をご存知だとは思いますが、物語としては、省略されています」と一年間この役を生き抜いた井上自身へのご褒美のようにも感じられたという。
厳格な改革者でありながら、誰よりも繊細で、誰よりも不器用だった男、松平定信。そんな定信が蔦重に見せた一瞬の雪解けと、その先に待つ結末は多くの人々の心に刻まれるだろう。(取材・文:磯部正和)


