「べらぼう」最終回、喜多川歌麿役・染谷将太が語る 「前作は炎の中で孤独にひっそり終わってしまったけど…」

横浜流星主演の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)で浮世絵の大家・喜多川歌麿を演じた染谷将太。染谷にとって大河ドラマへの出演は「武蔵」(2003)、「龍馬伝」(2010)、「江~姫たちの戦国~」(2011)、「麒麟がくる」(2020~2021)に続いて5度目。「天才絵師」とあって撮影中は自宅でも絶えず絵の練習を重ねていたという染谷が、約10か月に及ぶ収録、そして最終回の裏側を語った。
本作は、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴を見いだし、東洲斎写楽を世に送り出し“江戸のメディア王”として名を馳せた板元・蔦屋重三郎(横浜流星)の生涯を追う物語。脚本を、脚本を、大河ドラマ「おんな城主 直虎」、NHKドラマ10「大奥」シリーズなどの森下佳子が務めた。
収録を終えたときの心境を「ほっとしました。自分は去年末からの合流だったので、約10か月少しだったんですけれども、とても濃密で濃厚な時間だったので、演じきり、作品全体が無事に撮り終えることができて」と清々しい表情を浮かべる染谷。「麒麟がくる」の織田信長役に続いて実在した人物を演じたが、信長に比べて大変だったことを尋ねると「絵ですね」と即答する。
難しい絵に挑戦していくことも歌麿の役づくりの1つ
「絵は得意と言えるほどではないんですが絵を描く役に関しては(連続テレビ小説)「なつぞら」という朝ドラでアニメーターの役で動画を描くシーンで実際に絵を描いたり、『バクマン。』という映画の漫画家役としてGペンで漫画の練習をしたりしていました。でも、日本画は全然話が違いました。言い方が悪いかもしれませんが、もうごまかせないっていうか、技術が如実に出てしまうので。筆なので少しでも手が震えたり、体重のかけ方を誤るとすぐ絵に現れてしまうんです。今回絵師役の皆さんは全員、シーンで描いているところは吹き替えなしでやられたんですけど、自分も分量が多く、求められるもののレベルも高かったですし、責任も感じていましたし、緊張もしました」
収録中は自宅でも練習を行っていったといい、上達していく一方で、徐々に描く作品のレベルが上がっていくプレッシャーもあった。
「台本が上がってくると、演出と絵を担当されているチームの皆さんと打ち合わせがあって、その際に劇中に登場する絵のパーツが並んだ計算ドリルのようなものを何十枚といただくんです。それを宿題として持ち帰ってひたすら練習という感じでした。練習を重ねるうちに、最初の頃よりは描けるようになって現場で褒めていただくことも多くなったんですけど、そうなると今度は“もうちょっといけるんじゃないか”とどんどんハードルが上がっていって、それはそれで……。でも、難しい課題を与えてもらうことで練習量が増えるということは、それだけ歌麿と向き合う時間も増えることにもなるので、難しい絵に挑戦していくことも、歌麿の役づくりの1つだったと今振り返ると思います」
ところで、染谷は朝ドラ「なつぞら」で宮崎駿氏(※崎=たつさき)がモデルと思われるアニメーターや、映画『パラレルワールド・ラブストーリー』の脳科学研究者、『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』の僧侶・空海など“天才”を演じることが多い。「べらぼう」では喜多川歌麿が天才になっていく「過程」を演じることが挑戦だったという。
「確かに天才と名がつく役をいただくことが多い自覚がございまして。今回お話をいただいた時もプロデューサーから“天才絵師・歌麿です”と聞いて“天才絵師か……”と(笑)。ただ今回は、絵師としての才能というものが見いだされる前の状態から世に名が知られて大先生へと成長していく過程を演じることができたので、それは面白くもあり大きな挑戦でもありました。その過程を丁寧に演じないと天才に見えていかないので、頑張りました」
今振り返ると、絵を描くことと芝居をすることは近しいことのように感じられるという染谷。
「絵の場合、自分が経験してきたもの、積み重ねてきたことが1つ1つの線に現れるんだなと。その時の感情であったり気分が、筆だとのりやすいんだなとすごく感じたんですけれども、お芝居も、自分が何を見て何を感じてきたかっていうことがすごく現れやすい表現方法だと思うので。例えば、蔦重にディレクションしてもらって、歌麿がそれを表現していくっていうのも、自分が普段現場で監督に演出を受けて表現していることに近しいものを感じました」
「麒麟がくる」から一転してにぎやかなクランクアップ
14日放送の最終回は、脚気に倒れ死にゆく蔦重を、妻てい(橋本愛)、歌麿、朋誠堂喜三二(尾美としのり)、北尾重政(橋本淳)、北尾政演(古川雄大)、大田南畝(桐谷健太)らが見送るさまが描かれ、染谷は「皆さん勢ぞろいで蔦重を見送り、そのままクランクアップというなかなかない形だった」といい、蔦重を見送る際の気持ちをこう振り返る。
「「麒麟がくる」のときは(本能寺で)燃える中で一人孤独にひっそり終わってしまいましたが、今回はお祭りのような感じでした。とても悲しいシーンではありますけれども、「べらぼう」らしい、みな泣きながら、笑いながら蔦重を見送っていく、そういった気持ちでした。歌麿としては、最後は蔦重が病に倒れて、おていさんをはじめみな蔦重の気持ちに引っ張られるなか、恩返しじゃないですけど、何もしてあげられないなかで唯一できたのが、力強く居ることだったんじゃないかと思います。台本を読んだ印象として“意外としっかりしているんだ”と感じたので。本当は泣きたいんだろうけど、涙は絶対見せずに自分が描いた作品(『山姥と金太郎』)で元気づける。“この先、この二人(山姥と金太郎)がどうなってくか見たくねえか?”“なら死ぬな”と笑顔でいるというのは、演じながら思わずグッときてしまいそうになるけど、我慢して元気づけるというような。すごく印象深かったですし、蔦重と歌麿の関係性の素敵な最後だなと思いました」
そしてあらためて、歌麿として主人公・蔦屋重三郎を振り返ると、横浜流星と重なる部分があったとも。
「蔦重の魅力は人の気持ちをわかっているのかわかっていないのか、どこまで狙っているのかいないのかわからない、天然な感じ。でもすごく器用でもあって、人情があって、みながついていってしまう。人を愛し、愛される力がある。だからこそ、メディア王となって世を動かし、影響を与えられたんだろうなと。流星くんは主役としてずっと走り続けて、ずっと喋っていますし、相当大変だったと思います。そのエネルギーに加え、豪華なキャストの皆さんを引っ張っていく力があったのでみんなに愛されていましたし、流星くんも皆さんのことを愛しているんだなっていうことも伝わってきたので、そこは蔦重と重なりました」と一年半にわたって走り続けた横浜を称えていた。(編集部・石井百合子)


