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第5回 『野火』への道~塚本晋也の頭の中~

『野火』への道

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 大岡昇平の原作小説「野火」の映画化を思い立ってから二十数年。塚本晋也監督が遂に夢を実現し、映画『野火』が7月25日に東京・渋谷ユーロスペースほかで全国順次公開されます。劇場映画デビュー作『鉄男 TETSUO』(1989年)から常に独創的かつ挑発的な作品を発表し続けてきた鬼才がなぜ、戦争文学の代表作といわれる「野火」にたどり着いたのか? 製作過程を追いながら、塚本監督の頭の中身を全8回にわたって探っていきます。(取材・文:中山治美)

■危険と隣り合わせの撮影

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原色の景色の中を兵士がさまよう - この映像が撮りたくてフィリピン・ミンダナオ島へと赴いた。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 2013年7月、フィリピン・ミンダナオ島で撮影がスタートした。撮るのはジャングルの実景。その中をさまよう、田村1等兵(塚本晋也)の姿であ:る。その他、リリー・フランキー中村達也など俳優陣やエキストラが多数参加するシーンや、大掛かりな仕掛けを要するシーンは国内で行う。これは、最小人数で渡航して製作費を抑えつつ、かつ効率よく作品に必要な映像を収めるために練られた、自主映画出身監督の知恵である。渡航者は塚本監督を含めて4人。あとはコーディネーターやエキストラなど、全て現地でまかなった。

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理想の風景を求めてジャングルの奥深くへと進む塚本監督ら撮影スタッフ。実は危険と隣り合わせの撮影だった。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 ただし、原作の舞台はレイテ島。今回、ミンダナオ島に決めたのは現地コーディネーターと、フィリピンでの井戸採掘事業のボランティア経験を持つ現場制作担当者が、同島になじみがあったということが決め手となった。彼らの尽力により、現地でしか絶対に撮ることのできないニッパヤシで作られた病院や、地元の人たちが長年生活を共にしている教会でも撮影が許可された。

「ところが、これは後から知ったことなのですが、ミンダナオ島はフィリピンの中では比較的危険度の高い場所だったようです」(塚本監督)。

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フィリピンでしか撮れないニッパヤシで造られた病院。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 フィリピンで、ルソン島に次いで2番目に大きい島であるミンダナオ島は、1970年代以降、先住民のムスリムによって構成される反政府武装組織が同島の独立を要求し、政府と抗争を続けてきた。2014年に和平合意がされたにもかかわらず、今年1月にも衝突し、40人以上の警官が命を落とす事件が起こったばかりだ。

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やせ細った芋をむさぼり食う田村1等兵(塚本晋也)。美しい自然とのコントラストが余計に胸を打つ。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

「地元協力者が万が一のために警護によこしてくれたのが、おそらく、その地元のゲリラ組織の関係者だった……というような物騒な状況でした(苦笑)。夜間は危険なため、撮影は日中のみ行うように、とも指導を受けました」(塚本監督)。

 もっとも塚本監督は、現地状況に気を配りつつ、目の前のことに必死にならざるを得なかった。

 飢餓状態の田村を演じる為に減量をし、普段は約60キロある体重を53キロにまで落としていた。さらに理想の映像を求めて、熱帯モンスーン気候であることを嫌というほど思い知らされながら、スタッフと共に機材を背負ってジャングルを走り回る日々は、一層体にこたえた。

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やせ細った芋を食するときの「パリッと感」を映像で表すために、スタッフは、サツマイモの周囲に、薄く切ってしょうゆで煮たゴボウを貼り付けるなどの工夫をした。一部には、小麦粉を練ってきな粉やココアをまぶして作成したサツマイモもどきも使用されている。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

「鮮やかな景色の中を、ただ田村が歩いている絵を撮りたいだけなのに、モニターをのぞくと理想とする映像じゃない。ジャングルを走ってモニターをチェックし、戻ってまた納得するまで演技をするというのが大変で。本当は食べないと体力が持たないのですが、現地では、地元民と同じ定食屋で食べる脂っぽい料理が中心で、役の設定上、余計に食べられない。さらに足元をゲートルでぐるぐる巻きにしているのにもかかわらず、どこからか虫が入り込んでふくらはぎをかまれ、痛くて痛くてたまらなかった。自然を相手に撮影することが、これほどまでに大変なのかと思いました」(塚本監督)。

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フィリピンロケのワンシーン。虫に刺されてふくらはぎに痛みに耐えながら撮影を行う塚本監督。足には大きな絆創膏が。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 現地では、思わぬ反応にも見舞われた。冷ややかな視線と共にぶつけられたのが、「宝探しに来ているのか?」という言葉。フィリピンには終戦時、山下奉文・陸軍大将が東南アジア諸国から徴発した金塊などを隠したとされる「山下財宝」の存在が都市伝説として残っている。その財宝目当ての一行だと疑われたのだ。

「撮影に協力的だった方ももちろんいらっしゃったのですが、最後の最後までお宝目当てではないか? と言われました。いまだに宝探しに来る日本人が多いということなのでしょうか」(塚本監督)。

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劇中、飢餓状態の田村1等兵が体にまとわりついてきたヒルを無意識に食べるシーンもある。フィリピン戦体験者をリサーチした結果が、わずかなシーンにも生かされている。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

■戦後70年で覚えた危機感

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戦闘シーンで、倒れ方を自らエキストラにレクチャーする塚本監督。ワンシーン、ワンカットに監督のこだわりが見える。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 塚本監督は今回、戦後70年を迎えて、戦争の記憶を語り継ぐ人たちがこの世からいなくなっていくことに危機感を覚えて、『野火』の自主制作に踏み切ったという。しかし、このミンダナオ島同様、その土地に、人々の心の中に、戦争の痕跡は確実に残っているようだ。

 沖縄ロケもそうだった。

 周知のように、沖縄は太平洋戦争時、国内唯一の地上戦となった場所だ。特に撮影でお世話になった本部町は、日本軍が配置されていたことで壊滅的な被害を受けている。今も町には歴史を継承するべく、八重岳野戦病院跡や監視哨跡などの戦争遺産が数多く保存されている。その町で、やせ細った体にボロボロの軍服をまとった中村達也ら日本兵姿の出演陣が、ロケ地と宿泊先を、連日闊歩(かっぽ)することとなった。町民を一瞬、驚かせてしまったことは言うまでもない。

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沖縄・本部町での撮影風景。ここは、沖縄戦の激戦地だった。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 2013年9月に行われた埼玉県深谷市のロケでは、希望をなくした日本兵が手りゅう弾で自爆したり、田村の運命を変えることになる、教会で出くわしてしまったフィリピン女性を撃ち殺してしたり、生死を扱うシーンが撮影された。いずれも火薬などや弾着など用いた慎重なシーンだ。

中でも病院が爆破する大掛かりな撮影は、映画前半の要である。手がけたのは「操演」スタッフの鳴海聡(『妖怪ハンター ヒルコ』、『バレット・バレエ』)。さらに深谷フィルムコミッションの全面的な協力のもと、同市で造園業を営む会社の敷地をお借りし、ボランティアスタッフが約2か月かけて竹を切るところから病院を造り上げた。それが、一瞬で燃える。スタッフは関係各所への申請を経て、消防車を一台待機させて一発勝負に挑んだ

 爆音と共に、高く上がる火柱。その迫力は『野火』の予告編でも確認できるが、結果的にご近所の方々を驚かせてしまい、消防車7台が駆け付ける騒動となってしまった。その空が赤く燃える様子は、約12キロメートル離れた熊谷市からも見えたという。熊谷市在住の老人がこう漏らしたという。

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東京大空襲の時も、東京の空があんなふうに赤かったなぁ」。

 戦後70年。忌まわしい記憶は、そう簡単には消えない。

映画『野火』は7月25日より渋谷・ユーロスペース、立川シネマシティほかにて公開

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