略歴: 茨城県出身。スポーツ紙記者を経てフリーの映画ジャーナリストに。全国商工新聞、月刊スカパー!(ぴあ)、時事通信などに執筆中。
近況: 映画祭で国内外を飛び回っているうちに”乗り鉄”であることに気づき、2023年4月から1年間、全国商工新聞で「乗りテツおはるの全国漫遊記」を連載。旅ブログ(ちょこっと映画)もぼちぼち書いてます。
原作は韓国映画『テロ、ライブ』。メディアを使った劇場型犯罪の手法を使った作品は数あれど、『テロ、ライブ』はエンタメを使って容赦なく政治に物言う韓国らしく、実際に起こるかもしれないリアルな危機感を感じさせてくれる骨太でダイナミックな社会派だった。しかし本作の製作陣が興味を示したのは、結局のところ劇場型犯罪の部分だけだったようだ。それがタイトルの”ショウタイム”の言葉にも表れている。発電所を狙った爆破テロが起こるが、犯人の怒りが最終的に向かう矛先は巨悪の根源ではなく、一番叩きやすい相手。各方面に問題を起こさず、議論も呼ばないよう配慮された内容は、ある意味、昨今の日本映画を象徴している。
児童養護施設にカメラを向けると、どうしても子どもの家庭の事情に興味が向いてしまう。しかし本作は、子どもたちの心の成長にフォーカス。それは長期取材で彼らと交流を育み、信頼を得た制作体制だからこそ成し得た賜物だ。同時にカメラは、彼らを見守るスタッフと施設の存在の大きさを映し出す。登山、生い立ちの整理、独り立ちの準備、海外の孤児院へのボランティアetc.....。施設が設けた、子どもたちが己の心と向き合う時間と環境の豊かさは、”獅子の子落とし”のごとし。いつの時代も家族の存在は時に厄介だが、地域や社会といった”大きな家”で子を見守ることの大切さを伝える作品である。
冒頭の”阪神・淡路大震災15年特集ドラマ”の表記にハッとさせられる。人の生活音が微かに響く夜の街を彷徨いながら、この街に置き去りにしてきた”あの日”の感情を吐露する本作のライブ感は、今現在の物語かのように私の心に響く。追悼のつどい当日にロケを行い、その空気と史実を作品に取り込んで後世に伝える野心的な制作は、のちに「あまちゃん」「LIVE! LOVE! SING! 生きて愛して歌うこと」を手掛けることになる井上剛監督の原点であり、多くの震災ドラマに影響を与えたことは間違いない。時としてエンタメは非常時に不要不急論が湧き出る。しかしエンタメにしか出来ないことがあることを本作が実証する。
山間地帯を行き来するレトロなゴンドラ。その圧倒的な画力から着想を得て制作された本作。前作『ブ ラ!ブラ!ブラ!胸いっぱいの愛を』同様セリフなし。だが言葉に頼らずとも、子供たちの通学だけでなく、棺や牛も運ばれるというゴンドラを通して描かれる日常が、ジョージアの小さな村に暮らす人々の生活を想像させ、ゴンドラがすれ違う時に交わされる主人公たちの眼差しと遊び心が恋の始まりを予感させる。そしてセリフなしが可能にした、前作に続いてのボーダレスなキャスティング。無国籍キャストによるファンタジーを得意する監督だったが、術を得たかのよう。新作は猿が主演だし。歳を重ねてますます自由になる監督の伸び代が眩しい。
シネコンが浸透する一方で、希少な存在となっている”映画館”という単体の建物と、劇場を飾る大きな手描き看板。特に映画看板は、役目を終えれば消える運命にある広告に過ぎないのに、街の風景と共に鮮明に脳裏に刻まれる。何故か? 答えは本作にあった。「スパイダーマン」の看板があっという間に「スラムダンク」に塗り替えられ、フリーハンドでタイトルが加えられる驚愕の技術と手描きの妙。似てる、似てないも含めて、心を動かされずにはいられない。顔さんは今も台南の映画館で看板を描いている。しかも路上で。本作は、失われつつある映画文化と、台南の古き良き時代を伝える貴重な記録である。