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『理由なき反抗』の巨匠ニコラス・レイ監督が70年代に制作した実験的映画がニューヨーク映画祭で上映!当時のクルーメンバーと妻が語る!

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(左から)ケン・ロス、スーザン・レイ、フィル・ワイズマン、ペール・ボード
(左から)ケン・ロス、スーザン・レイ、フィル・ワイズマン、ペール・ボード

 第49回ニューヨーク映画祭(N.Y.F.F 49th) で、映画『理由なき反抗』や『北京の55日』などでメガホンを取った巨匠ニコラス・レイ監督が、1976年に手掛けた映画『ウー・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン(原題)/ We Can't Go Home Again』が上映され、故ニコラス・レイ監督の妻で脚本家スーザン・レイ、そして当時この映画に参加したクルーメンバー、フィル・ワイズマン、ケン・ロス、ペール・ボードが登壇した。

映画『理由なき反抗』写真ギャラリー

 同作は、アメリカ映画界の巨匠ニコラス・レイ監督が、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校の学生たちとともに授業の一環として制作した先駆的なアート作品で、長らく上映されなかったが、今回デジタル復元されて同映画祭で上映された。クレジット上では、ニコラス・レイ監督の最後の作品は、ドキュメンタリー映画『ニックス・ムービー/水上の稲妻』とされているが、あれはヴィム・ヴェンダーズ監督がニコラス監督を描いたドキュメンタリーで、アメリカでは同作をニコラス監督の最後の長編作品としてみているようだ。

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 まず、故ニコラス・レイ監督の妻スーザンは「この映画は、ジャーナリストの視点から人々の日々を撮影したもので、実際に撮影しながらニコラスは構成していったわ」と明かし、さらにこの作品が1970年代にカンヌ国際映画祭で上映されたものと違っている点については「編集に携わってくれた人たちはみな同じだけれど、学生たちが初めて撮った映画ということで、後の編集ではもっと(観客にとって)観やすくしたり、学生がナレーションしていたものを、再びニコラスがナレーションし直しているの。さらに台詞が途切れてしまっていたものは、後でその部分のフィルムを探し出してきたりもしたわ」と説明した。

 この映画に、当時学生としてかかわっていたケン・ロス(当時は音響を担当していた)は「(実験的な作品だったために)ニコラス監督が何をしたいのか初めはよくわからなかった。彼があらゆるシーンを集めながら構成しようとしていることだけはわかっていたが、彼があるとき自ら描いたいくつかの絵画を、スーパー8や35ミリ、ビデオなどのそれぞれ違ったカメラで収めようとしていることで、これまでとは違った(実験的な)映画を製作しようとしていることがわかったんだ」と述べた。

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 この作品は、当時台頭してきたインディペンデント映画やヨーロッパ映画の影響はあるのだろうか。「ニコラス監督の50年代の作品を観ればわかるが、彼は常にその時代の背景を映画に反映させてきた。さらに彼は、政治背景と(人々の)生活を重ね合わせて描いてきていた。だから、この映画の冒頭部分でも1968年に起きたシカゴ民主党大会の暴動の映像が使われているんだ。それは、彼の(この時代への)怒りや困惑として表現されている。したがって彼は、常にその時代背景や環境を通して映画を製作していたと思うんだ」とペールが答えた。

 最後に、この映画全体が実験的要素が強く、料金を払って観る作品としては、映画を勉強している人々以外にはあまりお勧めできないが、映画内で使用されているいくつかの手法が、後のMTVのミュージック・ビデオなどでも垣間見ることができ、斬新なアプローチを試みていたことは間違いないようだ。 (取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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