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「仮面ライダークウガ」25周年、脚本・荒川稔久が振り返る五代雄介の旅路 次世代へつなぐ作り手の情熱

「超クウガ展」メインビジュアル
「超クウガ展」メインビジュアル - (c)石森プロ・東映

 2000年に始まった「仮面ライダークウガ」から続くシリーズは、いつしか「平成仮面ライダーシリーズ」と呼ばれるようになり、さらに時代は平成から令和へと移り変わり、現在放送中の「仮面ライダーガヴ」に至る。「クウガ」25周年を記念した展覧会「超クウガ展」の開幕を記念して、メインライターを務めた荒川稔久が取材に応じ、「クウガ」に参加していた当時の貴重なエピソード、「超クウガ展」に際して再会を果たした当時のキャストやスタッフへの思い、さらに未来へ向けてのメッセージを語った。(取材・文:トヨタトモヒサ)

【動画】「仮面ライダークウガ」25周年!一条薫役・葛山信吾からメッセージ

大変な中でも喜びが継続した一年間

「仮面ライダークウガ」メインライターの荒川稔久

Q:メインライターを務めた「仮面ライダークウガ」ですが、改めて当時の一年を振り返ってみていかが思われますか?

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 渡辺勝也監督も言っていましたが、当時、ものすごく大変だったはずなんですけど、やっぱり楽しかったです。泊まり込みで打ち合わせなんて、今ではあり得ないけど、それを一年間続けられたというのは「これまでとは違う作品を作るんだぞ」という意気込みがあったからだと思います。1・2話の頃でよく覚えているのが、制作の沼尾和典さんというコワモテのおじさんがいたんですけど、その方がラッシュの夕焼けの映像に見入ってるわけですよ。「あの怖そうな人があんな満足げに見てくれてる」と思ったら、なんかすごくワクワク感が増して来たんですよね。その後に上がってきたカットのどれもが、過去の東映の特撮ヒーロー作品とは一線を画していて、そういう意味では、その瞬間に立ち会えているという喜びが継続していたからこそ、一年間乗り切れたんでしょうね。

Q:一方で、スケジュール的には相当タイトだったようですが。

 1・2話の撮影時には、6話くらいまで上がってたんじゃないかな。それが11・12話をやっていた3月頃になるとかなり切羽詰まってたような記憶があります。だって、5・6話を撮っている頃に7・8話の打ち合わせをしてましたからね。その辺りの話題も今回の「超クウガ展」の展示で触れてるので、是非御覧になってください(笑)。

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Q:「クウガ」に関しては、本当に数々の「伝説」がありますよね。
 
 1・2話の打ち合わせの途中で教会を燃やすことになったくだりもその一つですね。何稿か重ねて大筋は固まったものの、「何か足りない気がする」と膠着状態になってたんですよ。その空気に耐えられなくなって「ちょっとトイレ」って行って戻って来たら、なぜかみんな晴れ晴れとした笑顔になってて。「教会燃やすことにしました」って(笑)。えーっ、マジですか!? って驚きましたけど、その「やるんだ!」がどんどん蓄積して「クウガ」という作品を作り上げたところがあると思います。

落命するラストも検討された五代雄介の行く末

「超クウガ展」で再現された、クウガアルティメットフォームとン・ダグバ・ゼバの最終決戦

Q:最終回は、それこそ雄介が落命する案もあったと当時の「仮面ライダークウガ超全集」(小学館)のインタビューなどで証言されていますね。

 今でこそ、“みんなの笑顔で終わる”というラストは、視聴者からしても、すごくホッとできる結末で良かったと思っているんですけど、自分で書いておきながら、当時はあのラストに対して、どこか腑に落ちないものを感じてました。落命するのは最も極端な案だとして、雄介は、心情的にみんなとニコニコ暮らし続けるのは難しいんじゃないかなと思ってたんです。詳しいことは展示を見ていただきたいんですが、最後は先代のクウガと同じように自らを封印するべきではないかと。ただ、途中からキューバロケの話が持ち上がったりしてきて、だったら、ある程度譲歩して生き残らせるかと。それで、冒険者として世界を巡ることにして、みんなとはしばらく会わない決断をする、という結末に落ち着きました。

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Q:そこに至るまでには荒川さんご自身、かなり葛藤があったと。

 ええ。当時は高寺さん(高寺成紀プロデューサー※高ははしごだかが正式)に対して具体的に反論が出来なかったんですけど、25年ぶりにやりとりをして、今回そこが整理出来たんですよね。自分がどうして最終話だけなかなか書き進められなくて、それを高寺さんはどう見てて、どうしてそうなったのか、というところが。当時ちゃんと整理出来てれば、石田さん(石田秀範監督)にご迷惑をかけずに済んだんですが。

Q:石田組の最終回は、通常の2話持ちではなく、第47~49話の3本持ちでしたよね。

 とにかく撮り始めて数日経っている状況で、本当に時間がないことがひしひしと伝わってきて、そうなると、やっぱり焦りもあるし、そんな中、自分を納得させながら、あの結末を書いていたんです。

Q:そこは25年の歳月を経て、荒川さんの中で本当の意味で納得ができるようになってきた、ということですか?

 ええ。今はあのラストにして本当に良かったと思っていますけど、小説を書いているときにもモヤモヤした気持ちがあったから、なんとなくどちらでも解釈できるような感じで書いていたし、石田監督も「天国にも見えるように撮った」と仰っていたから、或いは石田さんの中にも、もしかしたら、そういう感覚があったかもしれませんね。

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Q:番組が終わった後はどのようなお気持ちでしたか?

 打ち上げもあって、「楽しかったな」という印象で終わってはいるんですけど、当時、映画化の話も出ていたでしょう。すぐに気持ちを切り替えてそちらに移行していたから、余韻に浸っているヒマはなかった、というのが正直なところです。映画に関しては紆余曲折あって、9か月くらい他の仕事を殆ど入れずに色々検討を繰り返しましたけど、書いては白紙に戻り、また書いては白紙の連続でした。流石に他の仕事もしなきゃ生活に響くということになって、高寺さんから「ある程度形が決まってきたら、またお呼びします」と言われて、そのまま25年の歳月が流れてしまいました(笑)。

「クウガ」の作り手から次世代に向けてのメッセージ

「超クウガ展」に展示されているマイティフォームの立像

Q:今回「超クウガ展」の仕事に関わってみて、どのような手応えを感じていますか?

 25年の歳月を経て、久々に高寺さんやオダギリジョーくんと仕事をさせていただいた感触から言うと、みんな変わってないんなあと。変に粘ってしまうところとか、端から見たらどうでもよさそうな部分にこだわるところろとか(笑)、みんなどこか似てるんですよ。だから「しょうがないなぁ」と思いつつも分かるところがあるし、だいたい僕らのような仕事には、その「大人になり切れない」ところも必要なんです。だから今回も、それぞれの人生を抱えながらも「久々だし、思い切りやりましょう」と。改めて、あの頃に近い感覚に戻ったような気がしています。東映ヒーローでは初の番組単独の展覧会なので、湯水のように予算がもらえるわけでもなく限界はありましたが、それなりに頑張った結果を楽しんでいただけたらと思います。

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Q:今回のイベントを通じて、「クウガ」の魅力を再発見する機会にもつながるのではないかと思います。

 さすがに25年も経つと、時代に合わないところも多々あるとは思いますけど、それでも画面から伝わる熱気はあるはずなので、そこを感じてもらえると嬉しいです。僕自身としても、それまでとは違う作品を作ることができたという手応えは感じていて、「どうしてこの人たちは『クウガ』を作ったんだろう?」と今の若い人たちや子どもたちが「クウガ」から感じたことを次の世代につなげてもらえれば、これに勝る喜びはありません。僕らも「ウルトラマン」を作った金城哲夫さんや上原正三さんといった方々に影響を受けて今があるわけですからね。

Q:幼少期に特撮作品に夢中になり、マニアからやがて作り手に転じた荒川さんですが、次世代に向けてのメッセージはありますか?

 「仮面ライダー」にせよ、「ウルトラマン」にせよ、右も左も分からない中、創世記の方々が夢中になって作った作品だからこそ、我々の心に届いたんです。「セブン」は、今でこそ名作と言われてますけど、予算的に厳しくて途中から怪獣や宇宙人が出ない回が増えてきたり(笑)、尻すぼみになっていく中、当時のスタッフは気概を持って作っていたわけですよね。そして、それを特撮評論家の池田憲章さんが「我々はすごいものを見せられていたんだ」と説き、それに触発されて僕らはこの世界に入ってきたんです。今の時代はシステムが確立されて、コンプラもあるのでとんでもない無茶は出来ないかもしれないけど、若い人もチャンスがあれば徹底的にこだわって、新たな世界を切り開いて行ってほしいですね。

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 そして製作サイドにも、たとえば一人でもそういうプロデューサーがいれば、面白いことができるはずなんですよ。僕なんかは今でもおかしなプロットを出して、プロデューサーから「ベテランなんだからこんなの通らないってこと分かりますよね?」ってよく怒られるんだけど(笑)、敢えて無茶を入れたりしているんです。ダメなら引っ込めればいいだけですから。そんな中、もしかしたら気まぐれでも「やってみますか」となるかもしれない。もう、その繰り返しですよね。「クウガ」で言えば、本当にそれの当たり年だった。今だって、可能性は決してゼロではないんです。いろいろと胸の奥底に溜め込んでもらって、逃さずチャンスを掴んで欲しいですね。以前、上原正三さんから「僕はウルトラマンも仮面ライダーも(スーパー)戦隊も宇宙刑事もやった。君たちの世代は、そのいずれでもない新しい作品を作ってくれなくちゃ」と言われていて、残念ながらそれは今だに果たせずにいるわけですが、僕は今でもそれらの作品のインパクトを引き継いで、何か新しいものを生み出したいと思ってますし、これからの皆さんにも大いに期待しています。

「超クウガ展」東京会場は7月6日(日)まで東京ドームシティ Gallery AaMo で開催中 ※休館日なし

「超クウガ展」展覧会&一条薫役・葛山信吾のコメントが到着!仮面ライダークウガ25周年記念「超クウガ展」 » 動画の詳細
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