坂口健太郎「昔はメッキをはっていた」 エゴを捨て見えてきたこと

自身で「年齢を重ねて、自分の見え方が多少なりとも変わってきたことをあらためて確信した」と語る坂口健太郎(34)。柚月裕子の同名小説を実写化した主演映画『盤上の向日葵』(10月31日公開)では、その言葉を大いに頷かせる存在感を放っている。同作では、異色の経歴をもつ謎めいた天才棋士、上条桂介を演じた。若手から中堅へと歩を進める坂口が、これまでの道のりを振り返りながら、この難役にどのように取り組んだのか。そして今、役者として大切にしている姿勢や矜持を率直に語った。
撮影現場に入ったら準備したことはすべて捨てる
20代の頃の坂口はそのルックスを活かし、観客が胸をときめかす今どきのクールな青年から心優しい好青年まで、等身大に近い役を数多く演じて来た。だがここ数年は意欲的に自身の殻を突き破り、新たな顔を覗かせて次々と代表作を更新。映画『孤狼の血』シリーズや『朽ちないサクラ』などの原作者としても知られる柚月裕子の同名小説に基づく『盤上の向日葵』では、多くの足かせや業を引きずりながらも道を切り開いて突如棋士会に現れるカリスマ性と、ある事件の容疑者となるまでの逃れられない運命に翻弄される孤独を、グラデーション豊かに演じ切った。
棋士という役どころについては、「将棋は昔かじっていた時期があるので、そのノウハウ--将棋の指し方や手(攻撃や守りなど駒の動かし方)をはじめ、新たに何かを準備する必要はありませんでした」と、第一段階は難なくクリア。「それにあまり準備をし過ぎてしまうと、準備したことで満足してしまうこともあれば、それに囚われてしまうこともあるので」と付け加える。「演じる役にまつわる知識は高め、リュックに詰め込んで行きますが、現場に入ったら一度すべて捨ててしまう。肩に掛かった重さがどれくらいだったのか、それさえわかっていれば十分なので。それが僕のスタンスとしては、今一番ちょうどいいんです」と胸の内を明かす。
とはいえ「すべてを捨てる」には、かなり勇気が要る。経験からくる自信、積み重ねたキャリアがなければ成しえないことではないか。そう問うと「確かに昔は出来なかったと思います」と認めながら「自分に変にメッキをはっていた時期もあり、いらない石ころをどんどん詰め込んで、重くなっていることに自分だけが気づかない状態だったこともあります。その荷を下ろして現場に挑めるようになった今からすれば、昔はエゴが強かったんだなと思います」と自己分析する。
「エゴが強いまま臨んだ現場は、不思議と記憶が薄いんです。それはきっと、自分がやりたいことだけやってしまっていたから。でも相手の芝居を見て、聞いて、受けて演じる方が楽しいと気づいたことがあって。かなり前のことですが」と苦笑する姿は、余裕を感じさせる。
音尾琢真&渡辺謙との共演で予期せぬ瞬間
映画の主人公・桂介が棋士として頭角を現すまでには3人の男たちが深く関わっているが、坂口は「桂介にとっては、3人とも父親みたいな存在だった」と語る。一人は飲んだくれて育児放棄していたにもかかわらず、大人になった桂介に金をたかろうとする父親の庸一(音尾琢真)。その対極の存在として、少年時代の桂介に将棋の才を見出し、手を差し伸べようとする恩師・唐沢光一朗(小日向文世)。そして、賭け将棋の世界で名を馳せ“鬼殺しの重慶”の異名をとり、かつて桂介が憧れた東明重慶(渡辺謙)。
彼らは桂介の人生に大きな影響を及ぼすが、そんな関係性にリンクするかのように、演じる俳優陣も撮影現場で坂口に大きな影響を与えたという。彼らと相対した際、予期せぬ感情に襲われたと坂口は語る。とりわけ観客にとっては眉をひそめずにいられない、息子の足を引っ張り続ける庸一と相対するシーンを、坂口は「忘れがたいシーン」に挙げる。
「庸一さんにまとまったお金を渡し、“もう俺とは一生、関わらないでくれ”と、とても悲しいセリフを言うシーン。台本を読んだ時は“なんて酷いクズな親父なんだ”と思っていたんです。ところが実際に現場で音尾さんとお芝居した時、ほんの一瞬、庸一の悲しみが流れ込んで来た。庸一自身とても悲しい人生を送って来たという、その苦しみが垣間見え、憎しみで握りしめていた拳が少しだけ緩んで。そうしたら不意に涙が溢れてしまって。台本上ではそんな描写はないのですが、桂介もそれを演じる僕も感情がまとまらず、重ねたテイク全カットで泣いちゃって(笑)」
2人が殴り合うアクションを含む本シーン。愛憎ないまぜの複雑な感情が膨れ上がる桂介を、坂口は「簡単な役ではなかったですね」と深いため息を漏らす。
一方で、東明とのシーンについては、特にクライマックスの“あるシーン”に深い感銘を受けたと坂口は語る。2人の絆と業の深さを表す衝撃的なシーンだが、坂口によると「謙さんの発案で、台本とは全く違う流れになった」そうだ。「あのシーンは、現場でいろんなことを試したからこそ生まれた動きであり、生まれたセリフです。桂介が東明に業を植えつけられたとも言えるし、それによって作品にハードな味わいが加わったと思います」と渡辺に圧倒された様子。
韓国での爆発的な人気に本人は……?
本作は今年の釜山国際映画祭のオープンシネマ部門(芸術性に富んだ新作や国際的に評価された作品)に出品され、韓国で渡辺と共に熱狂的に迎えられる坂口の様子が話題に。これまで映画『今夜、ロマンス劇場で』(2018)、『余命10年』(2021)のプロモーションや、Netflixシリーズ「さよならのつづき」(2024)が第29回釜山国際映画祭・オンスクリーン部門で日本作品として初めて出品された際など度々渡韓。2023年には韓国で初のファンミーティングを開催し、韓国ドラマ「愛のあとにくるもの」(2024)ではイ・セヨンとダブル主演を務めるなど、韓国で圧倒的な人気の高さを見せてきた。
そんな状況を坂口は「芝居という僕の仕事は、人気によってスタッフさんの数が増えるわけでもなく、環境は何も変わらない。常に現場に戻れば、然るべきスタッフさんがいる現場で、求められることを粛々とこなすだけ。僕が足をつける場所はその現場。だから、どこか他人事のように感じている自分がいます」と静かにほほ笑んだ。(取材・文:折田千鶴子)


