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『仁義なき戦い』『トラック野郎』名コピー生みの親 惹句師・関根忠郎さん死去、87歳

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関根忠郎さん(2016年撮影)
関根忠郎さん(2016年撮影)

 東映は14日、『仁義なき戦い』や『トラック野郎』シリーズをはじめ、数々の東映作品で名コピーを生み出してきた惹句師(じゃっくし)・映画ライターの関根忠郎(せきね ただお)さんが、2025年11月11日午後0時30分、間質性肺炎のため東京都内の病院で亡くなったと発表した。87歳だった。葬儀は家族葬として執り行われた。

『仁義なき戦い』シリーズ&『県警対組織暴力』ビジュアル

 関根さんは1937年12月25日、東京生まれ。1956年に東映株式会社に入社後、1962年に本社宣伝部に異動。1997年に映画宣伝部長付チーフ宣伝プロデューサーとして定年退職するまで、東映作品の殆どのコピー(惹句/じゃっく)制作を担当した。その手掛けたジャンルは、やくざ映画、実録映画、時代劇、アクション映画、ヒューマンドラマ、ポルノ映画に至るまで多岐にわたる。

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 退職後は惹句師のみならず、 フリーランスの映画ライターとしても活躍した。著書に「惹句術 映画のこころ」(山田宏一・山根貞男との共著)、「関根忠郎の映画惹句術」など。

 東映株式会社代表取締役会長の多田憲之氏は、関根さんについて「映画の内容を一言で語ってくれる惹句、成績を左右させる惹句、そんな伝説の惹句師の関根さん。もっともっと仕事をして欲しかった。ポスターに躍る関根さんの惹句は東映在籍時も他社から依頼があった程、皆に愛された。移転前の7月、銀座の本社にふらりと訪ねてくれたのが最後だった。 心よりお悔やみ申し上げます」と哀悼の意を表している。

 代表的な担当作品と惹句は以下の通り。

『昭和残侠伝 破れ傘』(1972):「旅人(たびにん)です花田秀次郎 仁義渡世は男の闇か 闇と知ってもなおドスぐらし!」

『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970):「つろうござんす浮世のしがらみ 純子は何んにも言いせん 文太も何んにも言えません こゝで別れりゃ二度とは会えぬ 熱いものがこみあげる だが美しいーー無言で見せて無言で演じたラブシーン」

『仁義なき戦い』(1973):「暗殺、裏切り、報復・・・・・残虐な死闘の日々の中で怒り、苦悩する男たち! 殺しが殺しを呼ぶ非情なやくざ社会の内幕を暴いた「美能組」 元組長 美能幸三の手記『広島やくざ・流血20年の記録』をこゝに映画化!」

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『トラック野郎 御意見無用』(1975):「腕っぷし、気っぷがドンと気に入った! スピード・バクチ・酒・喧嘩 車体飾り(デコレーション)もNo.1 だから通称一番星〈菅原文太〉 女にモテたいばっかりに相棒ジョナサン七人子持ちがなぜやもめ〈愛川欽也〉 にっぽん列島 男の意地と汗・ほこり ハードに行くぜ痛快豪放トラック野郎」

柳生一族の陰謀』(1978):「我(わし)につくも敵にまわるも 心して決めい! 親も子も仏もない凄絶な権力争い! 超豪華スターと巨大スケールで蘇る本格的時代劇ロマンの面白さ!」

『鬼龍院花子の生涯』(1980):「愛に染まれば 女は狂女」

極道の妻たち』(1986):「愛した男が、極道だった。 日本を一分する暴力抗争ー男たちの銃後(かげ)で、妻たちはどう生きているか!?」

ヒート』(1995):「叫ぶか、黙るか。二人は出会った。いま高鳴る銃撃のシンフォニー!」

あなたへ』(2012):「大切な想い 大切な人に届いていますかーー」

ブラック・スキャンダル』:(2015) 「信じられない真実ーー。アメリカは正義を見失っていた。」

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