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マイケル・ジャクソンは何がすごかったのか

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伝説のスーパースターだ!
伝説のスーパースターだ! - 写真:ロイター/アフロ

 “キング・オブ・ポップ”と呼ばれ、音楽のみならず世界中にさまざまな影響を残したマイケル・ジャクソン。その人生と偉業を描いた映画『Michal/マイケル』が、本日6月12日に日本公開となる。2009年、50歳の若さでこの世を去った後も現在に至るまで、その人気は衰えることはないマイケル。映画公開に合わせて、その才能と人気がどこまでスーパー級だったのか、改めて振り返ってみよう。

【画像】映画『Michael/マイケル』ジャパンプレミア

 マイケル・ジャクソンの偉業で必ず語られるのは、レコードセールス。1982年発売のアルバム「スリラー」は、全米チャートで37週にもわたって1位をキープ。世界の総売り上げは、7,000万枚以上と推定され(1億枚という説も)、ギネスも「世界で最も売れたアルバム」と認定。現在、音楽は配信が主流になったこともあり、この記録はおそらく永久不滅だろう。マイケルのレコードの世界総売り上げは10億枚というから驚くばかり! その「スリラー」によって1984年のグラミー賞では8部門を受賞。1回の授賞式で8部門は単独アーティストとして今も史上最多記録である(カルロス・サンタナも2000年に8部門を達成なのでタイ記録)。

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 こうした数字が示す「記録」はもちろんだが、マイケル・ジャクソンが人々の「記憶」として残り続けるのは、その楽曲と映像、ダンスが結びついた「総合表現」が、後のアーティストに多大な影響を与えたからだろう。

 歴史を変えたという意味では、「スリラー」の中の3曲が代表格。1980年代に入り、MTV(ケーブルチャンネル)の登場でミュージックビデオ(MV)が曲とセットで人気を博し始め、マイケルやマドンナがその流行を牽引。マイケルは「今夜はビート・イット」で本物のストリート・ギャングをダンサーとして起用し、センセーショナルなMVを発表する。そして今もMV史上最高傑作といわれる「スリラー」では、監督に『ブルース・ブラザース』などの気鋭の才能、ジョン・ランディスを起用。同監督の『狼男アメリカン』(これが「スリラー」MVへの最大のインスピレーション)で特殊メイクを務めたリック・ベイカーも参加するなど、14分もの長さとその完成度の高さから、短編映画と言っていい世界観を結実させる。「スリラー」MVは、2017年のヴェネチア国際映画祭で3Dバージョンがお披露目されるなど、「映像遺産」と呼んでもいい評価を獲得した。ちなみに「スリラー」に続くアルバム「バッド」では、タイトルと同名の「バッド」のMVで、あのマーティン・スコセッシが監督を務めており、いかに超一流の才能がマイケルとの仕事に積極的だったのかがわかる。

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 ダンスという面では、「スリラー」と同時期、映画『フラッシュダンス』でブレイクダンスの人気に火がつくなど、世界的なダンスムーブメントも起こっていた。マイケルもブレイグダンスなどを取り入れ、さらに独創的なダンスを開発。中でも「ビリー・ジーン」のステージ(モータウン25周年番組)で初披露したムーンウォークは、マイケルの“代名詞”となる。スパンコールの手袋や、白いソックスとペニーローファーなど、ムーンウォークとともにファッションでも、その個性が世界的な注目を集めた。さらにダンスでは、「バッド」の中の「スムーズ・クリミナル」で、直立した全身を45度の角度でキープする、ゼロ・グラヴィティという前人未到のテクニックに挑むなど、そのオリジナリティは他のアーティストを寄せ付けなかった。

 そして映像へのチャレンジでは、「スリラー」の直後の1986年、ディズニーランドにオープンした3Dアトラクション「キャプテンEO」(監督はフランシス・フォード・コッポラ、製作総指揮はジョージ・ルーカス)に出演。東京ディズニーランドでも翌年3月にオープンし、マイケルの人気は日本でも社会現象化した。この時期、日本ではテレビのバラエティ番組などで、ムーンウォークや「スリラー」のゾンビダンスをはじめ、マイケルのモノマネやパロディが披露されるのが日常風景。1988年、マイケルがソロアーティストとして初のワールドツアーを敢行した際、そのスタート地に選ばれたのが日本だったことで、当時のメディアは彼の来日を「マイケル台風」と名づけ、大々的に報じる。チンパンジーのバブルスを伴うという過去に例のない来日風景は破格のインパクトを与え、マイケルの動向が連日、各媒体をにぎわせた。現在、このような取り上げ方をされる海外のアーティストがいるかと考えると、いかにマイケルの存在が特殊だったのかを実感する。老若男女、あらゆる世代にとってマイケル・ジャクソンはスーパースターだったのだ。

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 このように唯一無二のスターとしての地位を固められたのは、持って生まれた「才能」のおかげでもある。1963年、5歳で兄たちのグループ、ジャクソン5に加わったマイケルは、早くから天才的な歌唱力を発揮。高音で伸びのある彼のボーカルがあったからこそ、ジャクソン5は大手レコード会社モータウンからデビューを果たせたと言っていい。そこからジャクソン5はヒット曲を連発。映画『Michael/マイケル』では当時のマイケルの音源も使われているので、そのボーカルがどれほど魅力的だったのか実感できる。ジャクソン5は来日公演も行うなど日本でも人気を誇り、フィンガー5など日本のアーティストもカバーしていた。「帰ってほしいの」をはじめ、ジャクソン5時代の名曲は現在もあちこちで耳にする。

 また、その偉業としては、映画『Michael/マイケル』でもMTVとの交渉シーンで触れられたように、黒人アーティストの活躍の場を切り拓いた功績が絶大。さらに「ウィー・アー・ザ・ワールド」のプロジェクトの主導など生涯にわたるチャリティ活動では、寄付の総額が5億ドル(750億円)といわれ、そこにもスーパースターとしての群を抜いた貢献を見てとれる。

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 ビヨンセレディー・ガガBTSなど、マイケルからの影響を強く受けた世界的アーティスト/ミュージシャンは後を絶たず、マイケルをリアルタイムで知らない若い世代がその独創的パフォーマンスに魅了され、SNSで拡散するという流れも作られた。つまり「スリラー」の時代から40年以上を経ても、マイケル・ジャクソンの輝きはまったく失われていない、ということ。言い換えれば、この40年、彼を超えるほどのパフォーマーが出現していないのだ。(文:斉藤博昭)

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