特殊メイクの伝説スクリーミング・マッド・ジョージさん死去 69歳『ポルターガイスト2』『帝都大戦』『ガイバー』など

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Everett Collection/アフロ

 特殊メイクアップアーティスト、造形作家、映像作家、ミュージシャン、教育者として国内外で活躍したスクリーミング・マッド・ジョージさんが、2026年2月に69歳で亡くなった。8月17日、X(旧Twitter)のマネージャーアカウントを通じて、関係者一同、喪主の谷ミキ氏、友人代表の西村源一郎氏の連名で発表された。

 発表によると、ジョージさんは2026年2月、入浴後に意識不明となり心臓が停止。家族が救急隊からの指導のもと対応し、一命を取り留めた。その後、救急搬送され、ICUで治療を受けたが、4日間にわたり家族が寄り添い続けたなか、意識が戻らず息を引き取ったという。

 1956年大阪府生まれのジョージさんは、18歳で単身ニューヨークへ渡りスクール・オブ・ビジュアルアーツでファインアートを学びながら、在学中にパンクロックバンドを結成。音楽、身体表現、視覚表現を融合させたシアトリカルなライブ表現を追求する過程で、独学で特殊メイクの技術を身につけた。

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 その後、特殊メイクの巨匠リック・ベイカー氏にその才能を認められカリフォルニアへ。地道な下積みを経て、1986年に 『ポルターガイスト2』でプロデビューを果たした。ハリウッドに日本人として初めて自身の工房を構え、『ゴースト・ハンターズ』(1986)、『エルム街の悪夢4/ザ・ドリームマスター最後の反撃』(1988)、『帝都大戦』(1989)、『ソサエティー』(1989)などで印象的なシーンを作り上げ、初監督作品『ガイバー』(1991)などの映画やトップミュージシャンたちのMVなど、ジャンルにとらわれない活動を国内外で展開。異彩を放つ独自表現で多くのクリエイターやファンに影響を与え続けた。

 帰国後は大阪芸術大学にて客員教授を務め、妥協を許さない指導と深い愛情をもって後進の育成に尽力。近年も2019年や2025年に個展を開催し、東京コミコン2025にも出展するなど精力的に活動。2024年頃より体調を崩し、車椅子での生活となっていたが、体の不調と向き合いながらもアートへの意欲は衰えることなく、生徒たちのために大学へ足を運び続けたという。

 突然の別れによる遺族の心の整理に時間を要したこと、日米関係者と慎重に協議を重ねたことから、死去から約半年を経ての報告となった。なお、一周忌にあたる時期に「お別れの会」が執り行われる予定となっており、詳細については改めて案内される。

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