トラブル多発だった映画祭ゲストと宿泊宿が共に成長

山形国際映画祭30年の軌跡

山形国際ドキュメンタリー映画祭30年の軌跡 連載:第3回(全8回)

 2018年の訪日外国人観光客数は過去最多の3,119万人(日本政府観光局調べ)を突破し、今や日本全国津々浦々で旅している姿を見かけるようになった。しかし山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)が始まった1989年当初、地方都市の山形に外国人が大挙してやってくるのは一大事だった。まして家族経営の旅館に泊まるなんて……。YIDFF開催を契機に育まれてきた草の根の国際交流の歴史に触れる。(取材・文・写真:中山治美、写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭、山形ドキュメンタリー道場)

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それは、第6回(1999)のことだった

呉耀東監督
第6回のアジア千波万波部門で見事、小川紳介賞を受賞した『ハイウェイで泳ぐ』(1998)の呉耀東監督。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 アジア千波万波部門に参加する『ハイウェイで泳ぐ』(1998)の呉耀東ウー・ヤオドン)監督と『I Love(080)』(1999)の楊力州ヤン・リージョウ)監督ら台湾一行と、宿泊予定の藤旅館の女将との間でトラブルが発生したという。連絡を受けた映画祭専門員(当時)の宮澤啓さんは藤旅館へ走った。宮澤さんと共に奔走した当時の映画祭事務局スタッフの浅野藤子さんが振り返る。

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花笠音頭を踊るロックス・リー
地元の人の指導を受けながら花笠音頭を踊るフィリピンの漫画家・映像作家のロックス・リー。第3回(1993)に『ハラジュク』(1992)で参加した。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 「藤旅館は昔ながらの家族経営の旅館です。その部屋を見た通訳ボランティアが『こんな部屋……』のような不用意な言葉を発したようで、女将の逆鱗に触れてしまったらしい。『ならば宿泊しなくて結構』という険悪な事態になっていました。事情を聞き、通訳ボランティアと共に女将に謝罪をして、何とかご理解をいただいたそうです」(浅野さん)

裸の付き合い
露天風呂で裸の付き合いをする第3回(1993)のゲストたち。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 国内外から数多くのゲストを迎える映画祭では、交通と宿泊先の手配は重要事項。それいかんでゲストの映画祭に対する印象もガラッと変わってしまう。それを請け負うホスピタリティースタッフの存在は、まさに縁の下の力持ち。YIDFFの黎明期において、宮澤さんはその一人だった。

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海外ゲストの定宿となった旅館

呉耀東監督と楊力州監督
呉耀東監督(写真下段・中央)は小川紳介賞、『I Love(080)』の楊力州監督(同・右端)はNETPAC特別賞を受賞し 藤旅館の皆さんから祝福を受けた。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 ただ映画祭専門員とはいえいきなりのプロではない。回を重ねながらノウハウを蓄積していたところだったが、第1回(1989)では1万1,920人だった動員数も 第3回(1993)で2万人を突破と映画祭は成長を遂げていた。その人数を受け入れる宿の確保は急務だ。加えてプレスや評論家など長期滞在者からホテルより安価な宿の要望が出ていた。そこで宮澤さんが掛け合ったのが山形市旅館組合。まずは、第5回(1997)にメイン会場・山形市中央公民館近くにあった仙台屋旅館に。第6回(1999)は一気に10軒の旅館・ビジネスホテルに、1泊4,000円台~の映画祭特別料金で対応してもらえるよう協力を得た。同時にそれらの宿は、家族単位で参加する海外ゲストの定宿となっていく。

 「最初の頃は、韓国ですらまだ軍事政権下にあったため映画祭のレターヘッド付きの招待状をこちらで発行しなければビザが出なかったような時代で、社会主義国家やアジアからゲストを招くのには苦労しました。何通招待状を発送したかわかりません。ときには大使館まで電話したこともありました。そんな状況でしたのでビザが発給されるのならこの機会にと、家族単位で来日するのです。その場合はホテルよりも大人数で宿泊でき、かつ布団が慣れているアジア人には和室の方が快適に過ごせるかと。こちらの予算的にも助かります」(浅野さん)

仙台屋旅館
惜しまれながら昨年廃業した仙台屋旅館。夜遅く帰ってくる映画祭参加者を寛大な心で見守ってくれた。(撮影:中山治美)

 ただ前文で示した通り、ほんのひと昔前の旅館は、必ずしも万人に開かれた場所ではなかった。最近はようやく女性の一人旅も社会に受け入れられてきたが、かつては傷心旅行と疑われ、旅館に泊まろうものなら「自殺するかもしれない」と断られることも多かった。言葉も習慣も異なる外国人ならなおさらだ。和式マナーを熟知していない外国人とトラブルになった例もあるようで後ろ向きな旅館がほとんど。そこで外国人ゲストを受け入れるにあたっては「共同浴場の栓を抜かない」「ゴミの出し方を守る」などの注意事項を徹底することを条件に、協力してくれることになったという。

 「その後は藤旅館と呉監督との間では大きなトラブルはなかったようです。あったかもしれませんが、現場レベルで解決できるようになっていたのかもしれません。何より呉監督が小川紳介賞、楊監督もNETPAC特別賞(最優秀アジア映画賞)と2人とも受賞するという朗報があって、女将さんたちが本当に喜んでくれた。それから女将さんがわたしたちYIDFFのサポーターのようになってくださり、他の旅館の方たちも外国人ゲストの受け入れに協力して下さるようになりました」(浅野さん)

文化交流プロジェクト
映画祭参加ゲストを地域の学校に派遣する文化交流プロジェクトも実施している。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 残念ながら最初に門戸を開いてくれた仙台屋旅館と藤旅館は廃業し、功労者でありYIDFFの理事も務めた宮澤さんも2018年9月9日に他界された。だが山形市旅館組合の協力は今も続いており、今年は6軒が協力している。

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地域と共にさらに広がる国際交流

山形ドキュメンタリー道場
蔵王温泉・松金屋アネックスで行われた山形ドキュメンタリー道場2018の歓迎の宴の様子。(写真:山形ドキュメンタリー道場)

 彼らが築いた草の根の国際交流は、さらなる広がりを見せている。その一つが山形を代表する温泉地・蔵王温泉で行われる滞在型ワークショップ「山形ドキュメンタリー道場」だ。蔵王温泉観光協会の協力のもと行われるもので、開催はオフシーズンの晩秋で、温泉旅館・松金屋アネックスに各自、自炊しながら逗留し、製作中の作品のブラッシュアップをする。ドキュメンタリーに特化した“アーティスト・イン・レジデンス”はアジアで初の試みで、初回の2018年には、日本・インドネシア・マレーシア・フランスなど世界8か国から映像作家や講師など計22人が参加した。

想田和弘ら
こたつを囲んでディスカッションをする(写真左から)講師の想田和弘監督、マレーシアの脚本担当のライアン・オンとノヴァ・ゴー監督。(写真:山形ドキュメンタリー道場)

 インドネシアのドゥウィ・スジャンティ・ヌグラヘニ監督は編集作業に集中できただけでなく、「故郷から遠く離れたことで、毎日、自分の人生・夢・仕事を考え続けた」と語っており、濃厚な時間を過ごせたようだ。同道場を主催するドキュメンタリー・ドリームセンターの代表でYIDFF理事の藤岡朝子さんによると企画の実現には、蔵王温泉に若者を呼び込もうと、かつてロック・フェスティバルの開催にも尽力していた松金屋アネックスの齋藤龍太さんの文化への理解が大きいという。今年も11月8日~11日に蔵王温泉で開催され、さらに日本とシンガポールの映像作家の交換レジデンシーも行われる。

山寺中学校の生徒
映画祭参加者向けの山寺ツアーで、英語でガイドを務めるのは地元の山寺中学校の生徒たち。授業の一環として行われている。(写真:中山治美)

 また学校教育にも取り入れられており、学校単位での映画鑑賞や、映画祭ゲストを学校に派遣してのワークショップも実施されている。

山寺ツアー
山寺ツアーですっかり意気投合。『乱世備忘ー僕らの雨傘運動』で第15回(2017)の小川紳介賞を受賞した陳梓桓監督のカメラで記念写真を撮る参加者たち。(撮影:中山治美)

 ユニークなところでは期間中、松尾芭蕉の名句「閑さや岩にしみ入蝉の声」で知られる山寺(立石寺)ツアーの英語ガイドを、地元・山形市立山寺中学校の生徒たちが務めるのだ。山寺を登った後は、映画祭ゲストと中学生たちが入り混じっての山形名物・芋煮会が待っている。山形ならではの体験だ。地域を巻き込み、地域に支えられて見出した映画祭の新たな可能性がここにある。

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【懐かしアルバム】フレデリック・ワイズマン監督

呉文光とフレデリック・ワイズマン
芋煮を食べるフレデリック・ワイズマン監督。左は『私の紅衛兵時代』の呉文光監督。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』が公開中のドキュメンタリー映画界の巨匠フレデリック・ワイズマン監督。YIDFFの初参加は『動物園』(1993)がインターナショナル・コンペティション部門に選ばれた第3回(1993)で、山形名物の芋煮に舌鼓を打った。同作は山形市長賞(最優秀賞)も獲得し、さぞや思い出深い旅となったに違いない。

 以降、ワイズマン監督の最新作はYIDFFが日本初上映というのがお約束のようになっており、『ニューヨーク公共図書館』も第15回(2017)のインターナショナル・コンペティション部門の上映作品だった。そして今年も『インディアナ州モンロヴィア』(2018)がインターナショナル・コンペティション部門に選出されている。巨匠、89歳。お元気。

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