表現の自由と闘い続ける映画祭

山形国際映画祭30年の軌跡

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山形国際ドキュメンタリー映画祭30年の軌跡 連載:第4回(全8回)

 「映画は社会を写す鏡」と称されるが、ドキュメンタリーにはダイレクトに時代が反映される。山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)でも人種差別、戦争責任、貧困、災害etc……と今起こっている問題を、作品を通して提示し、ときにさまざまな議論を呼んできた。2005年まで主催し、その後も共催としてYIDFFをサポートし続けている山形市の対応は? 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止問題で行政と芸術の在り方が問われる中、YIDFFを振り返ってみた。(取材・文・写真:中山治美、写真:山形国際ドキュメンタリー映画際)

山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイトはこちら>>

さまざまな争いを描いた作品の上映

世界先住民映像祭の特設野外劇場
さまざまな先住民が一堂に会した第3回(1993)の世界先住民映像祭の特設野外劇場の様子。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 YIDFFの魅力の一つに、充実した特集上映がある。そのどれもが刺激に満ちている。第2回(1991)の「日米映画戦」は、日米それぞれの視点で捉えられたプロパガンダ映画や記録映像を並べて、第2次世界大戦を検証した。第3回(1993)の「世界先住民映像祭」は、世界先住民映像作家連盟に作品選定を一任。市内の空き地に特設野外劇場「先住国シアター」が設営され、アボリジニ、アイヌ、ホピ族など7か国から11人の先住民族映像作家がいろりを囲んで集った。

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野外劇場・先住国シアター
第3回(1993)の世界先住民映像祭のために、アイヌの方々の協力で空き地に設営された野外劇場・先住国シアター。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 しかし同年のインターナショナル・コネペティション部門で大賞のロバート&フランシス・フラハティ賞を受賞したのは、パプアニューギニアで混血児とガニガ族が共同経営するコーヒー農場が相場の暴落と部族間の争いで崩壊していく悲劇を映した『黒い収穫』(1992)。監督がオーストラリア人のボブ・コノリーロビン・アンダーソンと白人であることも相まって「植民地主義の視点で撮られた作品」と、 世界先住民映像祭の参加者たちが猛反発。授賞式で彼らは、静かに席を立って抗議するという一幕もあった。

足立正生監督
第15回(2017)の特集上映「政治と映画:パレスティナ・レバノン70s-80s」の時は、足立正生監督によるトークイベントが開催された。(撮影:中山治美)

 第5回(1997)は大東亜戦争を振り返る「『大東亜共栄圏』と映画」、第8回(2003)は「沖縄特集 琉球電影列伝/境界のワンダーランド」、第10回(2007)は「交差する過去と現在‐‐ドイツの場合」。中東情勢が混沌としていた第14回(2015)の「アラブをみる‐‐ほどけゆく世界を生きるために」では、パレスチナ解放闘争に身を投じた足立正生監督が作品解説をした。

 それらの中には、観る人によっては「反日的」と捉える作品もあっただろう。実際、市が主催していた第9回(2005)では「在日」をテーマにした特集を行う際、特集タイトルで直接的な表現は避け、「日本に生きるということ‐‐境界からの視線」とした例はあったという。しかしプログラムの内容に関して、市が異論を唱えることはなかったと映画祭関係者は口をそろえる。

 共催している山形市文化振興課の杉本肇課長は次のように答えた。

 「行政が(上映内容に関して)フィルターをかけるというのはやるべきではないと思っています。そこはYIDFFに信頼してお任せしています」

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「わいせつ物」としてフィルム・カットになる

ヴィンセント・モニケンダム監督
検閲に抗議するヴィンセント・モニケンダム監督。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 市の姿勢が顕著に表れた事件がある。第10回(1997)のフィルム・カット事件だ。それは、YIDFFだけでなく東京国際映画祭(以下、TIFF)をも揺るがした問題だった。

 第10回TIFFのシネマプリズム部門に選ばれたロバート・クレイマー監督の短編『映画の未来-ロカルノ半世紀-電気の亡霊』と、YIDFFの特別招待作品であるヴィンセント・モニケンダム監督『マザー・ダオ』(1995)が共に性器が写っていたため、「わいせつにあたる」と東京税関からの修正を求められた。

マザー・ダオ
税関の検閲でカットされたことを示した『マザー・ダオ』のポスター。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 前者は肉体への非人間的な行為を描くことを目的に映像を断片的に組み合わせた作品で、このうちポルノ映画を引用した数か所が問題となった。一方後者は、オランダ国立フィルム・アーカイブが所有していたインドネシアでの植民地経営の実態を写したものを編集した作品で、その中で中国人労働者がシャワーを浴びせられているシーンで性器が写っていた。

 YIDFFでは第2回(1991)の時、インターナショナル・コンペティション部門の『グッド・ウーマン・オブ・バンコック』(1991)を税関に正式に通さず、ヘアが写っていたシーンを無修正で上映し、厳重注意を受けた“前科”がある。恐らくそのため、監視の目が厳しくなっていたのだろう。

ヴィンセント・モニケンダム監督
ヘアが写っていたシーンをカットした代わりに、メッセージを書き込んだフィルムをつなげたヴィンセント・モニケンダム監督。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 抗議の声の中心は、先に開催されたYIDFFから発せられた。クレイマー監督はYIDFFのインターナショナル・コンペティション部門の審査員でもあったのだ。さらにYIDFFに参加していた映画評論家の蓮實重彦山根貞男ら国内外の映画関係者も「税関による検閲」「ナンセンス」と非難し、東京税関に削除撤回を求める記者会見や署名活動も行われた。

『マザー・ダオ』の記者会見
急きょ行われた検閲に抗議する記者会見の様子。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 それでも結局、両作とも上映を優先することとし修正に応じた。ただし1997年10月12日付の日刊スポーツによると、クレイマー監督はカットした部分に「日本の税関は人体をカットしても(戦争の映像である)銃はそのまま見せる」というメッセージを入れたいという意向をTIFF側に伝えたが「税関ともめたくない」と止められたという。一方『マザー・ダオ』はモニケンダム監督 の意向で、カットした12秒の部分に真っ白なフィルムを挿入して上映した。上映会場ではその部分がスクリーンに投影されると、観客からもブーイングで抗議への賛同を示した。

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表現の自由に関わる問題

ダブル受賞した『標的の村』
第13回(2013)で、三上智恵監督『標的の村』(2012)は市民賞と日本映画監督協会賞をダブル受賞した。写真後方左から崔洋一監督、原一男監督。(撮影:中山治美)

 同じ「わいせつ物」と見なされたとはいえ、『マザー・ダオ』は植民地政策の非道さをリアルに伝える貴重な映像記録である。それでも、警察の差し押さえなどの万が一に備えて、スタッフは密かにフィルムを死守する対策を練っていたというウワサもある。そしてYIDFFでは映画祭終了後の「映画上映ネットワーク会議」 でフィルム・カット問題に触れ、他の映画祭でも起こり得る表現の自由に関わる問題として話し合いを続けたという。

 「当時の行政というのは、今よりもモノの考え方が堅かったと思うのですが、その中でYIDFFは自由に企画していてある意味すごいなと思います。わたしが市役所に入った当初は、応援職員としてYIDFFに携わる機会があったのですが、上映後の観客と監督のQ&Aは応酬がすさまじく迫力がありました。また台湾映画の上映の際、客席にいた中国の監督が『ところで知らないから聞くのですが、台湾では中国のことをどのように教えているのでしょうか?』という質問が飛んだ場面にも立ち会いました。お互いに眉間にシワを寄せながらでもなく『やっぱりそういう感じなんですねぇ』とほのぼのとやり取りしていたのが面白い。こんなに多様な価値観、文化が交錯する映画祭を行政が行っているとはと感嘆したものです」(杉本課長)

雨が降った夜
特集上映「リアリティとリアリズム:イラン60s-80s」で上映されるカムラン・シーデル監督『雨が降った夜』(1967)。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 もっとも市民から厳しい声が上がるときもある。観客投票による票が「市民賞」と名付けられているため、第13(2013)で基地問題で揺れる沖縄の人たちを描いた三上智恵監督『標的の村』(2013)が受賞した際、市民から「わたしはこの映画を評価していない」という抗議の電話があったという。

 「わたしの耳に届いていないだけで、この30年の間に同様のことはあったかもしれません。でも個人の意見はあるとして、それが大きな問題になることはなかったと思います。どんな芸術でもスポーツでも、市民全員が好きになるものはありませんし、同じものを見ても、どのように感じるのかは人ぞれぞれだと受け止めています。間口は広く、敷居は低く。まずはいろんな方にYIDFFに触れてほしいと思っています」(杉本課長)

 今年の特集は、「AM/NESIA:オセアニアの忘れられた『群島』」「リアリティとリアリズム:イラン60s‐80s」「春の気配、火薬の匂い:インド北東部より」など。いずれも過去、いや、今にも続く戦争の影がちらつく地域で、当然、上映作品の中にも反映されている。東京事務局長の濱治佳は今年の特集の意図について語る。

 「特集の選び方はそのときのスタッフやメンバーによって異なりますが、今回のイランに関しては第12~13回のアラブ特集を手がけた流れで、中東において、映画のみならず古(いにしえ)より文化交流の深いイランに今回は着目してみました。またオセアニアは日本とアメリカに植民地化されていた島々で、そうした日本とも関係の深い場所が今、どのようになっており、どのような声を上げているのか。今の日本人にとって新たな発見になるのでは? と意識的に考えて特集を組みました。第10回から特集『やまがたと映画』を設けていますが、その中でも山形で従軍した方々の話が出てきていました。東北でオセアニアの作品を紹介する意味があるのでは? と考えています」

戦場の女たち
特集上映「AM/NESIA(アムネシア):オセアニアの忘れられた『群島』」の中で上映される関口典子監督『戦場の女たち 英語版』(1990)(C)1990 TENCHIJIN PRODUCTION

 SNSの発達で多数の情報が得られる一方、自分の考えを熟考することも、真偽を確かめる時間も用いず、意図も簡単に大きな声に流されやすい傾向にある。その思考を高める場所と時間をYIDFFは培ってきた。

 YIDFFの初期から参加し、現在理事も務める映画評論家の村山匡一郎は語る。

 「YIDFFの場合、ドキュメンタリーとは何か? ではなく、映画文化とはどういうものか? というところから始まったようなところがあります。思想的に右だろうが左だろうが、映画を観てから考えようという姿勢がありました」

 今年も上映に合わせてのシンポジウムが多数用意されている。熱い日々となりそうだが、それがヤマガタなのだ。

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【懐かしアルバム】エドワード・ヤン監督&クシシュトフ・キエシロフスキー監督

エドワード・ヤン監督とクシシュトフ・キエシロフスキー監督
第2回(1991)でインターナショナル・コンペティション部門の審査員を務めたエドワード・ヤン監督(写真左)とクシシュトフ・キェシロフスキ監督(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 第2回(1991)のインタナショナル・コンペティション部門の審査員を務めた『クー嶺街少年殺人事件』(1991)のエドワード・ヤン監督と『トリコロール』シリーズのクシシュトフ・キエシロフスキー監督が、鑑賞の合間に仲良く一服。しかしキエシロフスキー監督は5年後の1996年に54歳で、ヤン監督は2007年に59歳で他界した。

 ちなみに『クー嶺街少年殺人事件』は先ごろ発売された映画雑誌「キネマ旬報」の1990年代の外国映画ベスト1に輝いた。天国のヤン監督! 朗報届いてますかー!?

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