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宍戸錠、モテキに1,331人の女性と関係をもった!ニューヨーク映画祭に登場しハリウッドスターも仰天の衝撃発言!

宍戸錠、モテキに1,331人の女性と関係をもった!ニューヨーク映画祭に登場しハリウッドスターも仰天の衝撃発言!
パワフルな宍戸錠! 御年77歳-ニューヨーク映画祭にて - Photo:Nobuhiro Hosoki

 日活ニューフェイス第1期生として入社して、その後タフな悪役として人気を博した「エースのジョー」こと宍戸錠が、現在開催しているニューヨーク映画祭で行われている「日活創立100周年記念」のために渡米し、過去の出演作品と共にインタビューで当時を振り返った。

 まず、宍戸錠の小学生時代は、父親が満州事変の際に事業で成功し、一時期は裕福な暮らしをしていたそうだ。「実際に1500坪くらいある庭と、75坪くらいある平屋に住んでいたんだ。当時、そこには竹やぶや池、小さな島、檜(ひのき)、そしてその檜の横から富士山も見えていて、映画の真似ごとをするには最適だったんだよ」と恵まれた環境で育ったことを語り、「それに靴下が破けていたりすると、(機嫌を損ねて)学校に行かないほどの偉そうなガキだったんだ(笑)!」と生意気な少年であったことを話してくれた。ちなみに、そんな学校をよく休んでいた彼を、同じクラスの生徒と先生が自宅を訪ねてきたこともあったそうだ。

 ところが、その自宅が東京大空襲で全焼し、宮城県の白石市に疎開することになる。「白石という町は小さかったけれど映画館が二つあって、(悪ガキだったから)無料で入る方法をすぐ覚えちゃったね(笑)! ただ、高校2年生まで身長が152センチしかなくて、いじめられていたこともあったが、高校3年の時に一挙に身長が伸びて175、6センチにもなったんだ」。それからはいじめられることはなく、逆にけんかが強くなっていたそうだ。

 1954年に日活に入り、日活映画の黄金期には1年で10本以上の映画に出演していたが、当時の生活状況については「遊ぶ間もないほど忙しかったわけじゃない。(小林)旭と(浅丘)ルリ子が当時付き合っていたから、彼らとは遊ばずに、おれはよく二谷(英明)と遊んでいたんだ。彼には「ヤリにいくぞ!」と言ってよく一緒に出掛けていったよ……(笑)。彼は以前に佐世保にある進駐軍のラジオ番組で働いていて、英語ができてすごくモテていたんだ。僕らは撮影も全国各地で行っていたから、行く先々でよく遊んでいたが、日活ニューフェイスの5期生で、映画『男の紋章』シリーズの高橋英樹だけは女に堅かったんだ」と当時の遊び仲間も教えてくれた。

 そんな遊びの中でも、彼にはワイルドな話があるようだ。「僕にもモテキみたいな時期があって、これまで1,331人の女性と寝てきたんだ。どれも売春行為なんかじゃなく、みんな自分で口説いた女性だけだったよ。その中には女優もいたけれど、大スターはいなかったね。それをやると、いちばんやばかったからね」と衝撃的な話もしてくれた。

 アメリカのウエスタンの影響を受けていた映画「流れ者シリーズ」や『早射ち野郎』などについては「アメリカのウェスタンの俳優が好きだったね。最初はジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『駅馬車』で、あれは世紀の名作だから5回以上観ているよ! ただ、ウエスタンで使っているような早撃ちのピストルが(当時の日本には)なかったんだ。当時、(宣伝部では)僕のことを「早撃ち世界第3位、0.65秒」と宣伝で売り込んでいたが、あれは、まっかなうそなんだよ(笑)。ただ、そんな宣伝文句を考えた(宣伝部の)遠藤醇は偉いと思うよ!」とキャッチコピーだけで、売り上げが変わる時代だったことを明かした。

 映画『肉体の門』や『殺しの烙印』の鈴木清順監督との仕事について「『殺しの烙印』を製作したときに、当時日活の社長だった堀久作の逆鱗に触れて、『何だこの訳わからない映画は?』と言われて、鈴木清順監督がクビになってしまった時があったんだ! ただ、彼には僕も助監督もついているから、今は次の映画を考えていてください! と言ったんだ。ところが結局10年間ブランクがあり(1977年に松竹で映画『悲恋物語』を監督するまで)、その間は僕がやっていたTBSラジオの脚本のギャランティーを、彼の子分である僕らが「清順さんに渡さなければ意味ないぞ!」と言って、脚本を書いていた時期もあったんだよ」と深い師弟関係のように結ばれていたことを話してくれた。

 頬にシリコンを入れた豊頬手術をして、悪役を確立したことについて「あの頃は、アメリカの俳優リチャード・ウィドマーク(映画『死の接吻』や『暗黒の恐怖』)が、悪役でもスターになれると証明してくれていたんだ。実際には映画『第三の男』のオーソン・ウェルズを観て、その頃から悪役について考えるようになったんだ。もちろん、(シリコンを入れた豊頬手術で)醜くなっちゃうなーという気持ちはあったけれど、僕の責任でやっているわけで、誰にも迷惑を掛けているわけではないと思って仕事をしていたんだよ。ただ、この顔も20世紀までにしようと思って、2001年にシリコンを摘出することになったんだ」と、わざわざ美男だった顔にシリコンを入れて悪役に徹する役者魂には感服させられる。

 彼は2006年に虚血性心不全と診断され、冠状動脈カテーテル・バルーン手術を受けたが、現在はかなり元気な姿を見せていた。最後に日活創立100周年記念して、ニューヨーク映画祭では10月1日~10月16日まで日活映画37作品が上映されている。 (取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)


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