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『野のユリ』(1963年)監督:ラルフ・ネルソン 出演:シドニー・ポワチエ 第38回

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1964年4月13日、第36回アカデミー賞で黒人初の主演男優賞を獲得したシドニー・ポワチエ
1964年4月13日、第36回アカデミー賞で黒人初の主演男優賞を獲得したシドニー・ポワチエ - Photo by Archive Photos / Getty Images

 まもなく発表の第88回アカデミー賞は、俳優部門のノミネーションをめぐって「オスカーは真っ白(Oscar So White)」騒動に揺れている。今回はアフリカ系俳優として初の主演賞を受賞したシドニー・ポワチエの『野のユリ』(1963)を紹介したい。出会うはずのない者同士が出会い、一つの目標を目指す過程で理解し合い、成長する様をユーモアを交えて描くヒューマンドラマだ。(冨永由紀)

史上初!黒人俳優が主演男優賞を受賞した『野のユリ』フォトギャラリー

 『暴力教室』(1955)で頭角を現し、『手錠のまゝの脱獄』(1958)でアフリカ系男優として初めてアカデミー賞主演男優賞候補になったポワチエが『野のユリ』で演じるのは、アリゾナの砂漠を気ままに放浪中の元GIの青年、ホーマー・スミス。桶1杯の水を借りたことから、荒地の一軒家に暮らす5人の修道女たちと知り合い、リーダーのマリア院長から屋根の修理を頼まれる。雇われ仕事のつもりで引き受けると、賃金を払ってくれないばかりか、拙い手描きの絵を渡され、そこに描かれた教会を建てろと言われてしまう。修道女たちは東ドイツから亡命してきて、ほとんど英語も話せない。マリア院長は、ホーマー・スミスという名前までもホーメル・シュミットとドイツ語に翻訳して、「シュミット! シュミット!」と呼びながら、あれこれ仕事を言いつけ、有無を言わさぬ勢いに押されたホーマーは教会建設に取り組んでいく。

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 修道女たちはベルリンの壁を越えてきたという。壁ができたのは1961年。原作小説は翌62年の出版で、映画製作時の“現代”を舞台にした物語だとわかる。アメリカでは公民権運動が激しさを増していた時代だが、この映画にはまったくと言っていいほど人種という概念が存在しないかのようだ。見知らぬ土地に来たばかりで、神の加護を信じながらも現実的には途方に暮れている彼女たちは驚くほど警戒心ゼロで、屈強なホーマーを神が遣わした者と信じて疑わない。そんな彼女たちの熱意にほだされ、質素な食事に文句を言いながらも、英語のレッスンまでしてあげるホーマーの優しさをポワチエはさわやかに演じている。

 同じキリスト教徒であっても修道女たちはカトリックでホーマーはバプテスト。その違いを易々と超えさせるのは、ホーマーがリードを取り、修道女たちに唱和させるキリストの生涯をテーマにした霊歌だ。「アーメン」と静かに祈る彼女たちを煽るように「エイメン!」と高らかに歌い、いつしか一緒になって「エイメン!」と歌い上げる。この霊歌は作品を象徴するものの一つだ。

 もう一つはタイトルである「野のユリ」が出てくる新約聖書の一節。ホーマーと院長が英語とドイツ語の聖書をつき合わせながら言い争う場面に登場する。ルカ伝を引用して、働く者は報酬を受けて当然だと主張する彼に、院長はマタイ伝の一節「又なにゆえ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。然れど我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装はこの花の一つにも及かざりき」。で応酬する。栄華を極めたソロモンの装いも野の花の美しさには及ばない。だが、明日は炉に投げ入れられる野の花さえ神はこのように創造するのだから、あなたがたにそれ以上良くしてくださらないはずがあろうか、と諌(いさ)めるのだ。揺るぎなき信仰を持つ院長は、他者から善意を受けても、その人にではなく神に感謝するというわけだ。

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 国境沿いの町にいるのはメキシコからの移民たちとアイルランド系の神父、東ドイツから来た修道女たち。1人で教会を建てようというホーマーの無謀な挑戦に、地元の建設会社のアシュトン社長は端から無理だという態度を見せ、逆にそれで火がつく。やがて地元民たちが総出で手伝い、アシュトンも木材やレンガを提供する。1人でやり遂げたかったホーマーは彼らを渋々受け入れ、英語、ドイツ語、スペイン語が飛び交う中、ついに教会は完成する。

 この映画の素晴らしさは、個々の違いを肌の色ではなく、それぞれの文化の違いで表しているところだ。映画史において最も人種差別から解放された作品の一つと言っていいだろう。ヒスパニック系住民から親しみを込めて「グリンゴ(よそ者)!」と呼ばれて功績を称えられたホーマーが「グリンゴ? これまでの他の呼ばれ方よりステップアップしたのか、ステップダウンしたのか、わからないな」とつぶやくあたり、あるいは、当初ホーマーを見下す白人のアシュトンが彼を「ボーイ」と呼ぶあたりに、かすかに当時の空気を匂わせるくらいだろうか。この役は監督であるラルフ・ネルソンが演じている。

 念願が叶い、完成するまで教会を「シャペル」と言い続けていた院長が「チャペル」と正しく発音し、ホーマーとの間にまた一つ共感が生まれる。そこから「私が教会を建てた、あなたが教会を建てた、私たちが教会を建てた」といつものように英会話教室が始まる。ここでも院長は相変わらず宙を見上げて「彼(神)が教会を建てた」と言い直す。その後のホーマーと彼女のやりとりが素晴らしい。頑固でありながら、オープンでもある大らかなホーマーという役で、ポワチエはアメリカ映画界において、それまで閉ざされていた扉を大きく開いた。

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 シドニー・ポワチエというと、若かりしウィル・スミスが出演した『私に近い6人の他人』(1993)を思い出す。スミスが演じたのは、ポワチエの息子を騙って白人富裕層の家に入り込む詐欺師なのだが、一見礼儀正しく利発な青年がそう名乗れば、誰もがコロッと騙される。ポワチエという名の持つ威力がよくわかる設定だ。アフリカ系初のオスカー主演賞受賞俳優となったことで、逆にその後のキャリアが制限されてしまった感はある。だが、ポワチエが開いた扉から後進が続き、今がある。そのきっかけとなった作品が、これほど人種差別という概念と無縁であったことにもまた、大きな意味があるのではないだろうか。

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