『国宝』吉沢亮が経験した究極の瞬間 「覚悟や挫折を経てたどりついた感覚」

準備期間から撮影まで約1年半を掛けて、歌舞伎の女形を吹替えなしで演じるというチャレンジを成し遂げた吉沢亮。昨年公開の映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(2024)では手話をこなし、数々の映画やドラマ、舞台で主演を務めてきた吉沢が「これまでの役者人生すべてを賭けたといっても過言ではない」と言い切った映画『国宝』(6月6日公開)が、間もなく公開される。徹底的なリアリティーにこだわる李相日監督との初タッグのもと、吉沢はどんな思いで撮影に臨んだのか。
李相日監督の現場は怖くも愛を感じさせる

第78回カンヌ国際映画祭「監督週間」部門に選出されたことでも話題の本作は、芥川賞作家・吉田修一が3年の間歌舞伎の黒衣を纏い、楽屋に入った経験をもとに書き上げた同名小説を、『怒り』(2016)や『流浪の月』(2022)など、徹底的に“嘘”を排除した作品で知られる李相日監督が実写映画化。吉沢は本作で、任侠(にんきょう)の一門に生まれるも数奇な運命をたどり、歌舞伎役者の家に引き取られた喜久雄を演じた。劇中では「二人藤娘」「二人道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」などの演目に吹替えなしで臨んだ。
念願かなってのタッグとなった李監督と格闘した日々。吉沢は、本作で歌舞伎を「いかにうまく、きれいに魅せるか」と1年半にわたって稽古し、撮影に臨んだ。しかし監督の口から出た言葉は“うまく踊れるのは分かったから、喜久雄として踊ってほしい”というオーダーだった。

吉沢は「監督は“お初を演じているときも、喜久雄がどんな思いでその舞台に立っているのか、これまで喜久雄が抱えてきた思いを乗せてほしい”とおっしゃったんです」と語ると「正直何が正解か分からないなか“これでいいのだろうか”という葛藤が常にありました」と率直な胸の内を明かす。
1年半、徹底的に体に叩き込んだ技術的なことは“当たり前の準備”としてあるだけで、大切なことは歌舞伎の完成度の高さよりも、喜久雄として生々しく生きること。そういった李監督のメッセージは、完成した作品を通して伝わってきたという。
「映画を観て、監督の演出が腑に落ちました。監督が求めていたエモーショナルなものが、物語の盛り上がりとして成立している。喜久雄の魂の叫びが映し出されていて、我々のような歌舞伎の世界にいない役者が、この作品をやる意味があったんだと感じることができたんです」
吉沢は李監督の撮影現場について「自分が頑張ってやってきて“これでいいだろう”と思うと、しっかり見抜かれる。満足させてくれない方」と笑い、「だからこそすごく苦しかったし、しんどい3か月(の撮影期間)でした。でもすごく役者を信頼してくれるからこそのことだと思う。自分の限界を超えさせてくれる。怖さもありましたが、とても愛を感じる監督でした」と振り返っていた。
ミリ単位で見え方を追求する歌舞伎に衝撃

李監督の演出意図により、エモーショナルな喜久雄を演じた吉沢。しかし一方で、1年半にわたり心血を注いだ歌舞伎という表現から得るものは大きかった。吉沢は「歌舞伎はいわゆる“型”の世界。瞬間を切り取ったとき、しっかり絵になるように見え方にこだわった究極体。手の位置や体の角度、視線の配り方など、ミリ単位で見え方を突き詰めていく表現には衝撃を受けました」と語る。
吉沢自身「これまでの役者人生で、ここまで見せ方を意識したことはなかった」と驚きがあったことを明かすと、本作でも李監督がこだわったエモーショナルな部分が役者にとっての武器となることは理解しつつも「自分を俯瞰してみることの大切さは、この作品をやったからこそ得られたこと。感情を優先してお芝居していたなかで、新しいチャンネルができたような気がします」と大きな気づきになった。
感情を爆発させながらも、同時に冷静な視点で自らをコントロールする。両立させるのは難易度の高いことだが「今回の作品を経験したことで新たな視点が得られた」と目を細めていた。
役者人生における究極の瞬間

吉沢は、演じる喜久雄についてクランクインして最初の1週間は「分からなさ過ぎて、全くつかめなかった」と言い、撮影後も明確につかめることはなかったという。そんな中で、手がかりとなったのが原作者の吉田修一からの言葉。
「吉田先生がおっしゃるには、喜久雄は大スターなんです。周りの人間は彼にすごく気を使って緊張するけれど、彼がふっと笑うと、その場の空気が一瞬で和む。そんな、笑顔がすごく素敵な人間なんです、と。いわゆる“スター”と呼ばれる人たちって、周りが勝手にいろんなイメージを投影しますよね。“きっとこういう人に違いない”“いや、本当はこういう面があるはずだ”と。みんながそれぞれの解釈を当てはめて神格化していくけれど、結局その人自身の本当の姿は誰にもわからない。喜久雄もそういう存在なのかな、と思うようになりました」
そんな喜久雄は劇中、壮絶な辛苦を経て、ある時舞台上で絶頂の瞬間を味わうことになる。これまでの俳優人生において、吉沢にもそんな瞬間はあったのだろうか。
「似たような経験は何度かあるのですが、芥川龍之介の『羅生門』(2017年上演)という舞台に出演したとき、終盤にステージの真ん中で10分ぐらい縛り付けられ、身動きができない状態のなか、激しい感情を吐露しながら、一人でしゃべり続けるシーンがあったんです。精神的にも肉体的にも、ものすごく消耗するシーンだったのですが、あのときは今まで経験したことのないような特別な高揚感がありました」

絶対的な孤独と静寂。そのなかで自らの肉体から得体の知れない音が聞こえてくるような極限の集中力。今まで感じたことのないような感覚を得た吉沢は「あの瞬間、芝居がより好きになった感じがしました。解き放たれたような高揚感、そして幸福感。これは芝居でしか感じられないものなんだろうな」と心に深く刻まれたという。
そして、そんな経験をしてみたいという思いで続けてきた俳優業。本作で「鷺娘」を踊っているとき、再びその瞬間が訪れた。「自分の呼吸と鼓動しか聞こえない。極限まで入り切った世界。ある種の覚悟だったり、いろいろな挫折だったりを経験して、ようやくたどり着いた感覚だなと思えたんです」
1年半という長い年月をかけて稽古を積み重ね、多くの難局を乗り越えてきたからこそ得られた感覚。技術と鍛錬、そして喜久雄という人間への深い没入。そのすべてが重なり合ったからこそ生まれた究極の瞬間。
吉沢は「役づくりにも時間をかけ、相当密度の濃い時間を過ごすことができました」と総括すると「本当にスタッフ、キャストの皆さんは素晴らしい方ばかり。今後、こんな贅沢な時間を味わえることがあるのかなと思えるぐらい完璧な現場でした」と感謝を述べ「今回の作品で、自分の役者として足りない部分、もっと成長しなければいけない課題もたくさん見つかったので、しっかり鍛錬してまたいつかこんな出会いを経験したいです」と今後に思いを馳せていた。(取材・文:磯部正和)
ヘアメイク: 小林正憲(SHIMA) スタイリスト: 荒木大輔