「べらぼう」岡山天音、最後までふざけ続けた奇才・恋川春町に思い「生きづらい人生だっただろうな」

横浜流星主演の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)で戯作者・浮世絵師の恋川春町(倉橋格)を演じた岡山天音(31)。芸歴17年で初の大河ドラマ出演作となった本作だが、21日放送・第36回が最後の出演回となった。同回で描かれた春町らしい人生の締めくくりについて、岡山が振り返った(※ネタバレあり。第36回の詳細に触れています)。
大河ドラマ第64作「べらぼう」は、江戸時代中期、貸本屋から身を興して書籍の編集・出版業を開始し、のちに江戸のメディア王として時代の寵児となった蔦屋重三郎(横浜)の物語。岡山演じる春町は、小島松平家に仕える武士で、挿絵も文章も書ける戯作者。地本問屋・鱗形屋から出した「金々先生栄花夢」が大ヒットし、その後に続く黄表紙の先駆けとなる。本屋の新参者の蔦重とは、親交のあった戯作者・朋誠堂喜三二(尾美としのり)の仲介で知り合う。蔦重とは次々と作品を出すものの、老中・田沼意次(渡辺謙)の死後、時代の変わり目で発表した「鸚鵡返文武二道」が幕府に目をつけられ、思わぬ事態となっていく……。
目指したのは繊細で不器用な恋川春町
これまでの収録を「実在の人物を全うするというよりも、いろいろハチャメチャにやっちゃってすいません」という思いが強かったと振り返る岡山。春町のキャラクター像についてはチーフ演出・大原拓の言葉を頼りに作り上げていったというが、特に参考になったのが初登場となった第11回での子供とのやりとりのシーン。
「一番最初の収録をするときに大原さんが見ていらっしゃって、いろいろ指示をいただいたんですけど、子供に絵を描いてあげるところから始まって。普通、子供と対面していたら、ふと笑顔になったりする瞬間があると思うんですけど大原さんは“そういうのもない方がいい”と。子供と接していても笑えないって、つくづく不器用というか、繊細な人なんだなって。だから、平均的な感情表現とは違うだろうなっていうところはありましたかね。大勢で集まって喜んだり、あるいは悲しいムードになったりする時も、周りとはちょっとずれていくというか。感情表現の仕方の切り口が少し違う。それは大事にしたところであって、途中からは自然とそうなっていきました」
春町は、劇中においても「廓●(※竹冠に愚)費字盡(さとのばかむらむだじづくし)」「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」「無益委記(むだいき)」など多くの名作を生んできたが、第36回では老中・松平定信(井上祐貴)の文武奨励の策が空回りしていくさまを描いた「鸚鵡返文武二道」が定信の逆鱗に触れ、絶版へ。春町が仕えていた松平信義(林家正蔵)は「恋川春町は当家の唯一の自慢。密かな私の誇りであった」と春町の才能を高くかっていたが、春町はその信義や蔦重ら周囲に迷惑が及ぶことを案じて自害してしまった。岡山は、自死のシーンに臨んだ日のことをこう振り返る。
「自死の、切腹の収録をする日は“今日が最後の日だ”って思いながら家を出ました。と同時に、“俳優って何回死ぬんだろう”っていうことを改めて思って。家を出るときから“明日死ぬ”とか“今日最後の日だ”といった気持ちを持ちながら収録に臨んだのは初めてのことでした。自分で死を選んだこともあったので、すごく独特な気持ちになりましたが、簡単に整理することもできないし、するのも違うような」
死の瞬間もふざけた春町の思い
春町は“真面目に戯ける”人物として描かれていたが、それは死にざまも同様。切腹した春町の髷にはなぜか豆腐の断片がついており、朋誠堂喜三二らは、「豆腐の角に頭をぶつけて死んだことにした」のだと思い至る。そんな春町の死にざまから、岡山は「改めて春町のスケールの大きさを感じた」という。
「最後まで詰めが甘くない、ただ死ぬ形では終わらせないというか。本来、死を前にして、その先に思考が発展していきようがないと思うんですけど、春町の場合はただ真剣に死ぬわけにはいかないという。自分の信念を全うしきった死にざまだと思うので、多くの人の生死が描かれる大河ドラマの中で、ここまで死に向かっていくキャラクターの姿が描写されていることも非常にありがたかったですし、ここまで人格が投影された死にざまもなかなかないんじゃないかと感じました。本当に一貫した人だったんだなと。真面目なキャラクターだとは思っていましたけど、ある種、狂気にも似たと言いますか、改めて春町のスケールの大きさみたいなものを感じました」
ちなみに、収録では実際に豆腐が用いられたといい、岡山は「演じていても脳のいろんな部分を刺激された」と振り返る。
「台本上では状況が描写されているのみなので、その間の動きだったりとかは現場で作っていかないといけない。なので、春町がどう腹を切って、豆腐に突っ込むかみたいなところは演出の深川さんが試行錯誤されていました。それにしても不思議ですよね……。悲しみとユーモアと、ある種自分の人生の終わらせ方も創作っぽいというか、そういうものが入り込んでいる死に方はなかなかないと思うので。演じていても脳のいろんな部分を刺激されるというか、興味深い現場でした」
第36回において、岡山が特に印象に残っているのが蔦重をはじめ仲間たちの「春町の弔い方」。演出の深川貴志による、とある演出に思わず涙腺を刺激されたという。
「もちろん春町の最期に至るエピソードも感じるものはあるのですが、亡くなった後の周りの仕事仲間だった人たちの弔い方に一番、感情を揺り動かされました。蔦重や喜三二が春町の遺体と対面した後のやり取りは、台本を読んでいて僕もすごく悲しかったですし。あと、蔦重が「耕書堂」で春町キャンペーンみたいなものを行うのですが、春町が最後に豆腐の桶に顔を突っ込んで亡くなったということにちなんで、蔦重が桶の中に本を入れて並べて売り出すっていう描写があるんです。それって粋だなって。本人は“悲しく終わらないでくれよ”っていう思いを最後の最後まで持ち続けて亡くなったわけですから、その遺志を汲んで“悲しまずに面白くしちゃおうよ”っていう。それがこの人たちの弔い方なんだなって。そのアイデアを、収録の合間に演出の深川さんから伺った時には、春町を演じた身としては天国から見ているじゃないですけど、琴線を刺激されるような思いになりました。廊下で一人涙ぐむみたいな感じになって、気恥ずかしかったです(笑)」
初めての大河ドラマで得難い経験
死にざまも含めて、春町の生涯に「生きづらい人だっただろうな」と思いを馳せる岡山。
「かりそめだったとしても本番中は春町を生きるつもりで演じるなかで、社会の中で生きていくのが本当に大変だなと思っていました。その分、ある種の美しさ、チャーミングさみたいなものを感じる。だから戯作というものに出会えてよかったんじゃないかなと。僕自身も結構変な人なので、この仕事をしていなかったら大変なことになっていただろうなと思いますが、それにしても春町は生きづらい人だっただろうなって。自分の美意識みたいなものがありすぎて。アーティストだからだとも思うんですけど……」
初めての大河ドラマの収録現場では、他ではなかなか経験することのない長い収録期間で得るものがあったようだ。
「収録期間が長いので、共演者の方、スタッフの皆さんにも特別な思い入れみたいなものができます。それに、大河ドラマの主演は俳優の中でも限られた人しか体験できないものだと思うんですけど、そういう存在を間近で見られたのも特別な経験になったなと。横浜流星君は、現場でひょうひょうとされている感じがあって、それがすごいなと思いました。大河ドラマの主演ってセリフ量もそうですし、撮り順も数話分、行き来しながら撮ったりしているので、尋常じゃない過酷さがあると思うんです。でも流星君はそれを全く感じさせない。唯一無二の戦場で戦っている人だと思うので、そういう人の背中を見るのはいい経験をさせていただいたと思います」と主演・横浜の背中を見つめてきた日々を振り返り、今後も「機会をいただけるなら」と大河ドラマへの意欲を見せる。
「大河ドラマは、自分ととてつもなく大きく離れた時代、場所で呼吸していた人を演じることにはなると思うので、どんな時代であってもその作品ならではの面白さがあるというのは今回も感じられましたし、何でもやってみたいです」と積極的な姿勢だった。(編集部・石井百合子)


