ギレルモ・デル・トロ監督『フランケンシュタイン』は「私の自伝」父と子の関係 人間観の変化を語る

『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)、『パシフィック・リム』(2013)などの名作で知られるギレルモ・デル・トロ監督のNetflix映画『フランケンシュタイン』が劇場公開を迎えた。アカデミー賞に輝く華々しいキャリアのなかで、“異形”への愛を貫いてきたデル・トロ監督にとって、一人の科学者が生み出した“怪物”の葛藤を描く本作の映画化は、まさにライフワークだったという。
『フランケンシュタイン』は、作家メアリー・シェリーが1818年に発表したゴシック小説が原作。科学者ヴィクター・フランケンシュタインと彼が生み出した“怪物”の物語は大衆文化に多大な影響を与え、本作を基に、数多くの映画が製作された。デル・トロ監督もその物語に魅了された一人であり、自宅に「フランケンシュタイン」の関連物を集めた専用ルームがあるほどだ。
「これまで私が手掛けた、全ての作品に『フランケンシュタイン』へとつながる学びがありました。『ピノキオ』『クリムゾン・ピーク』『クロノス』……『ブレイド2』は特に“フランケンシュタインの怪物”的なストーリーでした。全てが『フランケンシュタイン』に到達するまでの道筋だった。この作品は、私にとっての“富士山”みたいなものなんです(笑)」とデル・トロ監督は語る。
父と子、赦しの物語
さらに本作は「私にとっての自伝。私と父だけではなく、私と子供たちの物語でもあります」というデル・トロ監督。厳格な父親のもとで育ったフランケンシュタイン博士(オスカー・アイザック)は、禁断の実験によって怪物(ジェイコブ・エローディ)に命を吹き込むことに成功する。喜びのなかで怪物の世話をするヴィクターは、やがて思い通りに育たない怪物に憎悪を向けるようになり、二人の運命は悲劇へと突き進む。
デル・トロ監督は「もちろん、私の父は私のことを愛してくれました。ただ、父にとって“男の子”とは、野球やサッカーをするのが大好きなもの。でも私は、部屋に閉じこもって本を読み、いつも悲しんでいるような子供だった。父は自分とは全く違うタイプの人間だった私を理解し、手を差し伸べることができなかったんです」と振り返る。
「そうした経験から、“私は父とは違う”と思っていました。しかしある時、自分の子供に私が彼の祖父、つまり私の父と同じだと言われたのです(笑)。その気づきは痛みを伴う苦しいものでしたが、美しい瞬間でもありました。私は子供に詫び、自分を変えようと思ったんです。そうした父と子の関係……私と父の、私と子供との関係がこの作品に反映されているんです」
「怪物は“息子”として、あらゆる物事に対して“反応”をしています。憎しみや憎悪を向けられると彼は憎悪で返し、エリザベス(ミア・ゴス)がするように愛を受けると、愛で返すのです」
年齢を重ねた自身の変化
そのうえで、怪物への共感だけでなく「ヴィクターも(ヒロインの)エリザベスも私自身だと言えます。自分の映画のキャラクターの全員を、私は愛しているんです」というデル・トロ監督。特に、出資者の要求に悩まされながら実験に臨むヴィクターは、自身の創作とスタジオの要求の狭間で悩む、映画監督を思わせる。
その指摘に、デル・トロ監督は「そうです。まさにヴィクターも私自身。彼に出資するヘンリッヒ(クリストフ・ヴァルツ)は映画監督にとってスタジオのような存在で、金の力や嘘でフィルムメーカーをコントロールしようとするのです」と笑顔。
ただ、ここ数年で、モンスターだけではなく、人間の愚かな一面にも優しいまなざしを向けるようになった。「『シェイプ・オブ・ウォーター』を作る前くらいまで、私は常にモンスターが良き者で、他の人間は全て悪い者として描いていました。しかし、年齢を重ねたことで、人間というのは誰もが等しく、良い面と悪い側面を持っていると考えるようになったんです」
「人生に問題が生じたとき、突き詰めて考えると、それは他人のせいではなく、自分に原因があるのだと考えるようにもなった。それからは『ナイトメア・アリー』でも『ピノキオ』でも、善悪は同時に存在するものとして描いています。『フランケンシュタイン』でもそうです。本作でヴィクターは、ひどい過ちを犯します。私にもそういう経験があった。しかし、それが人間というものであり、不完全な自分を許すことが大切であり、そうした人を愛するべきであると描いているのです」(編集部・入倉功一)
Netflix映画『フランケンシュタイン』一部劇場にて公開中/11月7日(金)より世界独占配信


