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イスラエルの映像作家アモス・ギタイ、中東和平に対話の重要性訴える「自民族中心的な苦しみにのみ込まれている」

第38回東京国際映画祭

アモス・ギタイ監督
アモス・ギタイ監督

 イスラエルを代表する映像作家アモス・ギタイ監督が4日、TOHOシネマズ日比谷で行われた第38回東京国際映画祭コンペティション部門作品『ポンペイのゴーレム』上映後に行われたQ&Aセッションに登壇し、中東和平に対する思いを語った。

 ユダヤ人の受難の歴史、イスラエル、パレスチナが抱える問題などを出発点に、フィクション、ドキュメンタリー、インスタレーション、演劇など幅広いジャンルで90以上の作品を発表してきたギタイ監督。最新作となる本作は、2025年6月にイタリアのポンペイで開催された演劇祭で上演された、アモス・ギタイ演出による舞台劇「ゴーレム」を記録したドキュメンタリー。イレーヌ・ジャコブミシャ・レスコーらギタイ作品に縁のある俳優たちが出演し、中世ヨーロッパを舞台に、カバラ神話に登場する土人形「ゴーレム」にまつわる物語が展開する。

 ゴーレムといえば、ゲームやマンガに登場するキャラクターをイメージする人も多いかもしれないが、もともとはユダヤ人の民間伝承に登場する土人形のことを指す。そんなゴーレムを題材とした理由として「パリのとある国立劇場のイラン出身のディレクターからゴーレムを題材とした演劇を上演しないかと提案されたのがきっかけでした。ゴーレムの神話には様々な側面があるわけですが、その中でも、追放された人たち、亡命状態にある人たちを助ける守護者としての側面を持つゴーレムをテーマにした舞台作品を作ろうと考えたわけです」と説明。「わたしはずっと様々な国籍の俳優たちを集めたグループで仕事をしてきました。例えば、今回の作品ではフランス人やイラン人、イスラエル人、アラブ人、ユダヤ人も参加しています。それはまさに現代の世界において非常に重要なことだからです。残念ながら現代の世界は非常にニヒリスティックで危険な状態にありますが、だからこそ異なった出自の者たちが集まってコミュニケーションをとり、一緒に何かを作るという体験が非常に大事だと思いました」

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 ギタイ監督と同じイスラエルの都市ハイファの出身だという観客から、イスラエルのイツハク・ラビン元首相の時代の楽観主義の糸口をこの映画に感じた、という意見も。ラビン元首相とは、1993年にPLO(パレスチナ解放機構)との歴史的和解を果たし、中東和平を実現させようとした矢先に、その和平に反対するユダヤ教徒の青年に暗殺された人物だが、ギタイ監督は「わたしは実際にラビンと一緒にワシントンとカイロに行き、彼に長いインタビューをしました。その映像は今回、日本に来る数日前に初めて、テルアビブで上映したわけですが、ラビンの殺害はイスラエルとパレスチナの間の対話を断ち切ってしまった。そしてわたしたちは今も非常にシニカルなイスラエル政府とハマスのテロという、この事件の余波の中にいます。わたしたちはラビンの時代のような和解や新しい共存の創造を望もうとしない、この二つの力に押しつぶされています。これは非常に悲劇的な状況です」と見解を述べる。

 さらにギタイ監督は「あなたが完全に間違っているわけではないんです」といいながら、1982年の第一次レバノン戦争の時にナブルスの市長であるバッサム・シャカー氏にインタビューを行った時のことを振り返る。「彼自身もイスラエルの右翼による攻撃の対象でしたが、あなたがしたのと同じ質問を彼にしたんです。『シャカーさん、あなたは楽観的ですか、それとも悲観的ですか?』と。その時の彼の答えがとても良かった。『アモス、我々には悲観的でいる余裕はない。それは贅沢なことだ』。それは良い答えだと思いました。なぜなら悲観的になればニヒリストになり、退廃的になるからです。我々は変化への道筋として希望を持ち続けなければならないのです」

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プログラミングディレクターの市山尚三と

 そんな中、ギタイ監督の映画が好きでいくつも作品を観てきたという観客から「この映画のテーマは、迫害されるユダヤ人に対する暴力から守ってくれるゴーレムの存在にあると思うのですが、こうして戦争が続く中では、例えばイスラエルの国の安全が脅かされている中でゴーレムが守ってくれる、というメッセージが込められているようにも読めてしまう」といった指摘も。それには「わたしはこの映画の解釈、受け止め方はそれぞれ異なってもいいと思っているんです」と前置きしつつも、「もちろんわたしはユダヤの神話に関連する物語を描きましたが、それは迫害を受けているあらゆる人々、差別されている人々のコミュニティに共通するものだと思います。そしてもうひとつわたしが大事にしているのは、(アメリカの作家、社会運動家)スーザン・ソンタグの書いた『他人の苦しみに想像を及ぼすことの大切さ』を説いた文章です」

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 その上でギタイ監督は、平和への道筋を訴える。「それぞれのグループが自民族中心的な苦しみにのみ込まれている。彼らは相手側を見ません。平和とは、親密な人間関係とも似ています。相手が存在しなければ、それは愛ではない。平和のためには、イスラエル人はパレスチナ人の状況に責任を持ち、彼らの苦しみを認識しなければならない。そしてパレスチナ人もまた、ハマスが戦争初日に平和を愛するキブツ(農業共同体)の住民を殺害したということ、その行為がもたらした壊滅的な影響を認識しなければなりません。わたしたちは他者の苦しみに敏感でなければならない。そうすればいつか平和が訪れるかもしれません」とせつせつと語りかけた。(取材・文:壬生智裕)

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