「べらぼう」蔦重の最期は碑文通り 脚本・森下佳子「嘘かホントかわからない死にざま描きたかった」

横浜流星主演の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で脚本を手掛けた森下佳子が、自身2作目となる大河ドラマを脱稿したときの心境や最終回に込めた思いを語った(※ネタバレあり。最終回の詳細に触れています)。
大河ドラマ第64作「べらぼう」は、江戸時代中期、貸本屋から身を興して書籍の編集・出版業を開始し、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴、東洲斎写楽らを世に送り出し、のちに江戸のメディア王として時代の寵児となった蔦屋重三郎(横浜流星)の物語。森下は足かけ3年ほどの制作期間を経て、今年10月に最終回を書き終えた。
「正直なことを言うと40回あたりからは終わりが見えてきて元気になってくるんです。“あと少し!”だと。1番つらかったのは30回後半。書き終えて“あ~これでやっと外に行ける”って思ったのが素直な感想です」
大河ドラマの前作「おんな城主 直虎」(2016)は、戦国時代を舞台に、男の名で家督を継いだ遠江・井伊家の女城主・井伊直虎(柴咲コウ)の生涯を描いたが、「べらぼう」の脱稿時期はそれよりも遅く、インプットの量は遥かに多かったと振り返る。
「『べらぼう』の方が2か月ぐらい遅かったと思います。それは私の加齢もあると思いますが、何より資料の量が圧倒的に違ったことが大きいです。おそらく2か月は史料を読んだ期間と思います。とにかく登場人物の数が尋常じゃないのと、舞台が市中と江戸城の二本立てになっていたので。調べたり、識者の方に教えていただいたり。でも、そうして物語ができていったわけなので感謝しかないのですが、「直虎」と比べて何が1番違ったかなっていうと資料をインプットしている時間だったんじゃないかなと思います」
本作で全編を貫くキーワードとなったのが、非業の死を遂げた平賀源内(安田顕)がかつて蔦重に告げた「書をもって世を耕す」。蔦重はこの言葉を胸に刻み、錦絵、黄表紙、洒落本など数々の書物を売り広め江戸の文化を発展させていくこととなったが、蔦重にとって源内を大きな存在として描いた理由について、森下はこう語る。
「やはり蔦重の一番初めの仕事として、吉原細見の序文を源内に書いてもらったことが一番大きくて。実は、そのあと二人が関わった形跡はあまり残っていないのですが、源内の持っていた、はぐれ者でも自由に明るくというスピリットは蔦重に通じている感じがしたんですよね。それに、源内の書いたお話ってアナーキーですごく面白いんです。これは絶対、蔦重たち本好きに息づいていた精神、後に戯けきった黄表紙を生み出す精神だとも思ったので、源内を蔦重の初めのメンターとして据えさせてもらいました」
もう一つ、全編を通じて描かれていたのが毎話、登場人物たちのセリフに「べらぼう」のワードが入っていること。これは、主人公・蔦重を象徴する言葉として用いたという。
「わたし、割とそういう小細工が好きで(朝ドラの)『ごちそうさん』でも登場人物に毎回『ごちそうさん』って言わせていたんです。今回は毎回必ずというところまでではなく、できるだけ言わせたいぐらいだったんですけど、蔦重自体が大べらぼうなので、大体誰かと絡ませたらすんなり入れられるんです。べらぼう=蔦重なのですが、物語の序盤では“馬鹿”“役立たず”といった意味合いだったのが、だんだん変わってくる。吉原の女郎たちを救おうと奔走する蔦重に、(花魁の)瀬川が“そいつはべらぼうだねえ”と言っていますが、あの辺りから“馬鹿なんだけどすごいね”というふうにちょっとニュアンスが変わってくるので、そうしたことで蔦重自身の変化を感じていただけたらとも思いました」
14日放送の最終回では、蔦重が脚気を患い死にゆくさまが描かれたが、最終回で必ず描きたかったことを尋ねると真っ先に「蔦重の最期」を挙げる。
「やっぱりラストシーン。実際に大田南畝と宿屋飯盛が蔦重の墓碑に書いた、嘘かホントかわからない面白い蔦重の死にざまを描きたくて。あとは、最終回直前で写楽という大きな“祭り”を描きましたが、その後に蔦重が本屋として成し遂げたことも見せたかった。蔦重は脚気になってから蔦唐丸名義で黄表紙『身体開帳略縁起(しんたいかいちょうりゃくえんぎ)』を書いたりしているのですが、それって一体どんな気分で書いたんだろう? と。意外にセンチメンタルだったのかな、いやいや意外と死ぬって思っていないんじゃない? で、商人なら死すら金になるって思うんじゃない? と至りました。最後までふざけきるという死にざまを描きたかったです」
蔦重の最期はまさに「べらぼう」らしい粋な描写だった。蔦重に九郎助稲荷(綾瀬はるか)から“今日の昼九つ午の刻に迎えに行きます”とのお告げがあり、危篤に陥った蔦重のもとに妻てい(橋本愛)、喜多川歌麿(染谷将太)、朋誠堂喜三二(尾美としのり)、北尾重政(橋本淳)、北尾政演(古川雄大)、大田南畝(桐谷健太)ら仲間たちが集まるも、なかなか迎えが来ない。最後は、死んだと思ったら「(周りが騒がしくて)拍子木、聞こえねえんだけど」と目を開ける……という場面で幕を閉じる。この奇想天外なシーンは、どのように生まれたのか?
「大田南畝と宿屋飯盛が墓碑に書いた通りにしたらああなりました。碑文にあのシーンが全部書いてあるんです。蔦重が“俺は正午に死ぬ”と言い出して、女房や店の人に采配をしたり、“時間が来ても迎えが来ない”“拍子木が鳴らねえ”って言ったところまで書かれていて。アレンジの部分としては、臨終の際に仲間たちが来て、拍子木が聞こえなかったのはうるさかったから、ということぐらいです。このお話を横浜さんにしたとき、“いいな、俺もそんな風に死にたいですね”とおっしゃったんですけど、わたしも同じで。理想の臨終ですよね」
ちなみに、九郎助稲荷が死を告げるという設定については「じゃあ蔦重は何をもって今日の正午に死ぬって言いだしたのかと考えると、九郎助稲荷しかいなかった」と話す。「それに、臨終の場面には初回から蔦重を見守ってきたお稲荷さんも出てきてほしいなというのは、当初から思っていたことで。どのように登場させようかと考えていたときに“これだ!”と。“もう逝くよ”と連れに来たっていうことですね(笑)」
そうして蔦重の最期を書き終え、「江戸っ子の文化って明るくていいな、当時の人はこんなに明るかったんだ」と痛感したという森下。本作を通じて蔦重の人生に触れ、「蔦重はいろんな功績を残した人。黄表紙、錦絵……。流通網を整えて江戸から地方に広げていったのも彼だし、そういう意味では笑いを届けた人だったんだろうなと。それはとても大事なこと、尊いことだったんじゃないかなって。今はどんどん笑うことがしんどい世の中になってきていると思うし、内心では笑っていても笑っちゃいけないんじゃないかと感じる場面が生活しているとあるような感じがするんですよね。そんな時代にあって、時に財産をめしあげられて、半ば死んでふざけ切った彼はあっぱれだなって」と思いを馳せていた。(取材・文:編集部 石井百合子)


