「教場」動かない木村拓哉の魅力 中江監督「若者のすべて」からのタッグを振り返る

2020年のSPドラマ始動から5年、シリーズ集大成となる映画『教場 Requiem』が公開中だ。監督を務めるのは、主演の木村拓哉とは1994年放送の連続ドラマ「若者のすべて」以来の盟友である中江功。本作で木村が体現した、従来のイメージを覆す「動かない」凄み。あえて“削ぎ落とす”スタイルをとったという演出の意図と、撮影現場で目撃した木村の真価を中江監督が語った。
身体的魅力を封印した“引き算”の美学
警察学校という閉ざされた空間を舞台に、木村演じる冷徹な教官・風間公親と生徒たちの対峙、葛藤を描いてきた本シリーズ。2020年のSPドラマに始まり、その第2弾となるSPドラマ「教場II」が翌年放送、2023年には連続ドラマ「風間公親-教場0-」が月9枠(フジテレビ系・毎週月曜よる9時~)で放送された。感情を表に出さず、アクションも極端に少ない風間の「静」の在り方はどのように構築されたのか。
「風間に関しては、例えば“どこかに駆けつけた”“向こうからやってきた”といった描写は、授業や教場以外ではやらないようにしました。神出鬼没で、全てを見ている、知っているという作りにしています。見えている部分は全然動いていない。僕の中に“ただ立っている”というイメージがあったので、削ぎ落としていったらそうなった結果かもしれません」
木村拓哉といえば本来、身体的な表現力が非常に豊かな俳優だ。小道具や仕草一つで心情を雄弁に語り、彼が身につけたものや髪型は、こぞって世間の若者たちに模倣され社会現象となってきた。中江監督は、そんなパブリックイメージと今回の役柄とのギャップに言及する。
「木村さんは普段、すごく動く人。動きが話題になるような人ですが、今回はあえてしなかった。これまでは喋り方や髪型、細かな動きがトレンドを作り出してきましたが、この作品に関してはその意識は全くなかったと思います。ほぼ制服しか着ず、閉ざされた空間でコートも着ない。立っているのがメインという、これまでとは大きく違うキャラクターでした」
「立つ」ことに徹するサイボーグ的なキャラクター
装飾を剥ぎ取り、ただそこに「在る」ことだけが求められる現場。長年染み付いた習性を封印する作業でもあった。重心の置き方一つにも、監督からの厳密なオーダーがあった。
「普段なら腰掛けたり、もたれたりするのが彼の一つのスタイルでしたが、今回は一切やらない。“体重をどちらにかけるのもやめよう、真っ直ぐ立つだけ”と話しました。そうしたことであまりにも動きがなく、初めは“大丈夫かな?”と思ったぐらいです。俳優はどうしても動きたがるものですが、今回は一切なかった。撮影中もほとんど座らず、ストイックな部分が結集した感じでした」
風間というキャラクターからは、体温や息遣いといった生々しさが徹底して排除されている。それはキャリアを重ねた熟練の技か、それとも役柄への過剰なまでの没入か。監督の目には、制約すらも味方につけ、ある種の快感領域へと達したかのように見えていた。
「一概に年齢を重ねたからスムーズになったとはいいがたい。むしろ生徒たちの前で教官然とするためのスタイルを見つけていったのでしょう。役が違えば新しい言葉遣いや動きが出たかもしれない。今回は私生活を描かない約束だったので、温度も感じない、汗もかかない、ある意味サイボーグ的なところを作った。そこに本人も特化していったというか、もしかしたら気持ちよくなって削ぎ落とすようになったのかもしれません」
剣道シーンを挿入した理由
監督と木村の関係は連続ドラマ「若者のすべて」(1994)から始まり、30年近くに及ぶ。長い歳月を経て再タッグを組んだ今、制限された動きの中で最大限の表現を模索する姿に、監督は変わらぬ役者魂を感じ取っていた。
「“この範囲でしか動けない”と言われたら、その範囲を全部使うようなことをやられている気がします。それはさすがです。変化については、変わらないですね。20年、30年のお付き合いになりますが、貪欲だし周りをよく見ている。特にスタッフのことをよく見ているし、この役を自分がやるならどうするか、自分にしかできない役にしようという思いは昔から変わらないと思います」
あらゆる職業を演じてきた木村だが、そのアプローチは一貫している。今回の「教官」という役柄においても、画面に映らないバックボーンまで作り込む姿勢に揺らぎはなかった。
「必ずその役に対して外見から持ち物、歩き方やしゃべり方も変えていて、毎回すごく考えている。今回も警察官を育てる教官としてのプロになろうとしていました」
劇中、印象的に挿入される剣道のシーン。実は原作にはない要素だが、これは単なるアクションの追加ではない。従来の作品であれば人間味を与えるために用意されるであろう “定番の描写”を排除した結果、必然的に生まれた演出だったという。
「剣道もご本人がやられているのを知っていたので入れただけで、木村さんがやりたいと言ったわけでもないんです。あと、これまでなら屋上で佇んだりタバコを吸うカットを入れたりしますが、今回はそういう描写は一切排除しました。そのなかで“剣道はいいな”となって。木村さんに“やる?”と聞いたら“はい”という感じで。僕らが決めたことを忠実に、真摯にやってくれる。そういうところも昔から変わらないですね」
これまでの「足し算」ではなく、「引き算」の演技。何もしないことの凄みを、監督は改めて評価する。
「役に奥行きを与えるために、いろいろなことをやるのが木村拓哉という俳優だと思っていたので、今回の『やらない』という決断も、実はすごく『やること』なのかもしれないと考えました」
シリーズを通して排除された人間味。だからこそ、風間の刑事時代を描いた「風間公親-教場0-」で、これまで作り上げてきた風間のトーン&マナーを守ることは容易ではなかった。
「『教場0』はちょっと大変でした。風間は刑事だったので街に出る。さすがに“何も動かない”では物語が成立しないかもしれない。でも、今までそうやってきた人が急に街を歩いたりすることに、木村さんはすごく抵抗があったようです。閉ざされた場所でいつどう動いたか分からない、というのが風間の見せ方だったので、“事件に臨場するとか大丈夫かな”みたいな話はありました。とはいえ風間の動きは極力短く、車で出るところ、到着するところ、乗降のようなカットしか描きませんでした」
一切の無駄を削ぎ落とした木村の「静」の演技。それは30年来の盟友・中江監督だからこそ引き出せた新たな境地と言っても過言ではない。大きな挑戦を経て完成した風間公親の異質な存在感と底知れぬ深淵は、大スクリーンでさらに凄みが増している。(取材・文:磯部正和)


