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桃井かおり&イッセー尾形
『ふたりの旅路』
悲しみを乗り越えるための究極の方法
『ふたりの旅路』桃井かおり&イッセー尾形 単独インタビュー

取材・文:轟夕起夫 写真:尾鷲陽介

共に国際的なアクターとしても活躍する桃井かおりとイッセー尾形。古くは1980年代の名作テレビドラマ、また、ステージでは今や伝説の“二人芝居”、映画ではロシアの巨匠アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』(2005)があるが、その『太陽』以来の映画共演が実現した。日本とラトビアの合作映画『ふたりの旅路』がそれで、不思議な夫婦役を通して、名優にして盟友同士にしか出せない“唯一無二の世界”を作り上げている。そんな二人が作品の裏側と共に固い絆を明かした。

■なぜ黒留袖と羽織袴?

Q:本題に入る前に、まず、イッセーさんが作画と音楽を手掛けられた特報映像について、お聞きしたいのですが。

イッセー尾形(以下、イッセー):あれはね、僕が勝手に作ったの。

桃井かおり(以下、桃井):イッセーさんにこの映画の話をしたら、すぐに送ってくれたんです。「ぱっとイメージが湧いたので、こんなの作っちゃいました」って。

イッセー:そう、紙人形でね。

桃井:絵で描かれたリガの古い街並みを背景に、紙人形の夫婦……わたしとイッセーさんが順番に登場するんだけど、それを観て「あっ、この映画できる!」と思ったんですよ。わたしが黒留袖の着物、イッセーさんが羽織袴の格好で一緒に街を歩くだけで「映画になるなあ」って直感的に。

Q:映画の原題は『MAGIC KIMONO』ですね。

桃井:監督のマーリス・マルティンソーンスとはわたし、これで3作目になるんですが、最初は別の企画をやろうとしていて、着物姿のわたしがポルトガルで天ぷらを揚げる話だったの。「ならば絶対、黒留袖にした方がいい」って彼に提案して、結局それは流れてしまったものの、黒留袖の着物のイメージが残って、そこからこの映画が発想されていったんですよね。

イッセー:いろんなタイプの映画があるけれど、ここまで着物をメインテーマにした作品ってないんじゃないか。ところで、僕の衣装は何で羽織袴だったの?

桃井:最初の台本ではね、「侍のような格好をした夫が現れる」って書いてあって。マーリスには、着物を着ていたら誰でも侍に見えたみたい(笑)。

イッセー:なるほど。いやね、羽織袴を着て異国の地、リガの街の石畳を歩いていたら、普段僕の気づかない“日本人としてのDNA”みたいなものが強く触発されたんだよね。映画にはそれが映っていると思うな。石畳の上で桃井さんと口論めいた対話をするんだけれども、二人の体を通して、なぜだか日本人の歴史そのものが浮き彫りになっている感じがしました。

■ラトビアってどんな国?

Q:桃井さんが演じられた “ケイコ”は神戸から、着物ショーに出演するためラトビアの首都リガに渡るのですが、なぜ映画の舞台にラトビアが選ばれたのでしょうか?

桃井:先のイッセーさんの言葉とも関連すると思うのですが、ラトビアって1989年に、ソビエト連邦から独立するため大規模なデモ活動をやっている国なんです。200万人もの市民が手をつないで並び、“人間の鎖”を作ったんですね。そんな歴史を持つ場所に、阪神・淡路大震災で何もかも失ってしまったケイコは降り立つ。美しいだけでなく生命力がみなぎる街に、深い喪失感を拭い去るヒントを教えてもらいたいわけです。

イッセー:僕はね、完成作を見終えたあと、例えばニューヨークやパリ、ロンドンなど見知った街がもし舞台だったらどうなったか想像してみたんだけど、それだと映画が成立しないと確信しました。今、桃井さんが語ったバックグラウンドもありつつ、着物ショーに対する街の人々のリアルなリアクションがね、“ブラボー!”とか紋切り型ではないんですよ。静かな、でも温かな拍手がわーっと広がっていって、ケイコが出会うべきはこの街だったんだなあって。

桃井:ああ、やっぱり出会わなければならない運命だったんでしょうね。ケイコは何とか生活は取り戻したけれども、心の空白は埋められないままでいますから。

■ヒロインと“お化け”のコミュニケーションが独特

Q:そんな中、震災で行方不明になっていた夫が、リガの街に幽体として現れます。お二人は最初、なかなか目線を合わさないですよね。

桃井:そうなんです。夫がお化けである、ということをどうやって表現しようかと考えていたら、「目線を合わせないのはどう?」とイッセーさんがサジェスチョンしてくださって。やってみたらうまくいって、監督のマーリスも気に入ったので全編それで通そうとしたんです。するとイッセーさんが「やったり、やらなかったりにしようよ」って。

イッセー:パターン化というか、法則性を作っちゃうとそれに縛られるでしょ。そうなるとつまらないよね。

桃井:改めて「すごいなこの人は」と感じ入りました。

イッセー:いやいや、なるべく型にはまってはいけない映画だと思ったので。

桃井:脚本には書かれていないシーンやセリフのやり取りも、二人で随分作りましたね。面白かった発見は、3回ほど同じ言葉を続けて言うと、その本来の意味からズレていくこと。

イッセー:口だけが活発に動いて、意味や内容が無効になるんだよね。僕らは胸の中に伝えたいものがあり、言葉にくるんで相手に手渡していると考えがちだけど、案外、声を出すときの気持ちよさに脳が従っている場合も多い。早口言葉とか勢いに任せた口喧嘩なんて特にそうで、今回は意味というものを一回棚の上に置く、というか「人間から意味を引いたら何が残るか」を試せたね。

桃井:大胆にも! 結局、意味ではなく言葉を必死に発しようとする“体温”が、画面に映るんですよね。これは新鮮な体験でした。

■失ったものを失わずに済む方法

Q:感覚的な映画ですけど腑に落ちて、ラストは胸がキュっとしますね。

桃井:互いに気を許し合っている夫婦の日常を描きながら、実は夫はもうこの世にはいない……けれども死によって奪われたはずの“二人の間の温もり”を、スクリーンに映し出したかったんですよね。幸せな気分になる映画であってほしかった。

イッセー:うん、日常の特別ではない、何でもない事柄に宿っている温もりにこそ価値があって、そのことを押し付けがましくなく、優しく提示する映画になっているんじゃないかな。

桃井:わたし、こんなふうに考えたんです。思い出が過去の産物にならず、未来を作り出すようなものにならないかなあって。つまり、亡くなった人々のことを思い出の中に封印するのではなく、お化けであってもずーっと共に暮らしていけるなら、死んだことにはならないんだと。大震災みたいな、神を超えた不条理と闘わなければいけないんだから、わたしたちも“超人間化”すべきなんですよ、亡くなった人々と共存できるように。

イッセー:その考えを桃井さんから聞いたとき、突飛だったり理屈めいたりした話ではなく、とっても切実に響いたんだ。失ったものを失わないで済ませる方法というのは、僕らがやっている仕事と似ていて、フィクションの力でリアルな世界に対し“強い思い”を重ね書きしていくことで生まれると思うから。

Q:お二人のそんな強い思いが、隅々まで行きわたった映画になりました。

桃井:大変デリケートな作業でしたね。ただ、相手役がイッセーさんだったので、一人で責任を抱え込まなくて本当に助かった(笑)。やっぱりイッセーさんとでしかできないことなのね。

イッセー:振り返ると、僕も桃井さんとだから、いろんなことができたんです。もっと言えば、全幅の信頼をもってゆだねたんですね、僕もかおりさんも。自分が何かを完璧にやり通すよりも、相手に体ごとゆだねることが大切。

桃井:そうですね。そして二人して、映画の可能性にも身をゆだねました。

イッセー:うん。ちょっと怖いもの知らず過ぎたかもしれないけれどね(笑)。

インタビュー後の写真撮影。桃井とイッセーは、一枚一枚の構図にも心を配っていた。「この映画の雰囲気に合わせて、もう少し不思議な味わいのあるものにしてみましょうか」と桃井が提案すると、すかさずイッセーが立ち位置を変える。あうんの呼吸。と同時に二人の、作品への尽きぬ“強い思い”を感じることができたひとときだった。

(C) Krukfilms / Loaded Films

映画『ふたりの旅路』は6月24日より全国順次公開

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