『マーティ・シュプリーム』の疾走感と切迫感はこうして生まれた ジョシュ・サフディ監督インタビュー

ティモシー・シャラメが「卓球で世界一になる」という1950年代のアメリカでは誰にも見向きもされないような夢を抱き、地獄のような苦難を突き進んでいく青年マーティ・マウザーにふんした映画『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』。監督・脚本・プロデューサー・編集は『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』などのジョシュ・サフディで、嵐のように利己的に周囲を巻き込みながらも、憎み切れないマーティのめくるめく冒険を鮮烈なテンポで描き切った。来日したサフディ監督がインタビューに応じ、そんな圧倒的な疾走感が魅力のサフディ流映画作りの秘密を明かした。(編集部・市川遥)
物語自体が持っていた切迫感
Q:この映画の熱狂的なスタイルは、向こう見ずで生き急いでいるマーティのキャラクターを完璧に反映していました。これはあなたの映画に共通するユニークな点だと思いますが、あの疾走感はどのように作り上げたのでしょうか?
誰にも信じてもらえないような夢を抱いていると、絶え間ない嘲笑と屈辱がつきまとうことになる。アメリカという国において、そんな馬鹿げた夢が実現していない一瞬一瞬が、周囲の疑念を正当化することになってしまうから。
だからこそ、彼はさらにのめり込まなければならず、その激しさが切迫感を生み出し、彼の夢をある種、病的なものに変えていくんだ。そこで僕が面白いと思ったのが、夢を強盗映画のように扱ってみるというアイデアだった。言わば“自分の運命についての強盗映画”のようなもので、その夢がいつ消えてしまってもおかしくないとわかっているからこそ、その前に達成して手に入れなければならないという、一秒一秒を争うような状況だ。
そうして、映画全体をその本質に一致させようと試みた。それはキャラクターの精神性から来るものだけど、結局のところ映画とは一つの視点であり、キャラクターの主観、そして彼を取り巻く人々すべてから構成されるものだから。
Q:そのプロセスは脚本執筆の段階から始まるのでしょうか?
脚本よりも前からだね。その世界と情熱を発見するところから始まる。例えるなら、ガスコンロの種火が消えると家の中にガスの臭いが立ち込めるけど、僕にとって目的や情熱がない人生はそんな感じ。“種火が消えて、部屋にただガスが漏れ出している状態”だ。
映画を撮り、その視点や情熱を見いだすことは、僕にとって“炎を見つけること”に他ならない。僕は常にそれを探し求めている。この物語が持つ切迫感を見つけた時、僕は深いレベルで共感することができた。僕にとって映画を作るプロセスとは、“夢を実現できていない一瞬一瞬、映画そのものが崩壊していく”のを感じるようなものだから。
マーティというキャラクターに強く共感できたのは、彼が周囲に何を言われようと“最高の自分になる”というビジョンを持っていたからだ。その信念のエネルギーと激しさは、僕自身の経験とも重なった。僕は前作の『アンカット・ダイヤモンド』の完成までに10年を費やしたんだけど、その間、誰も信じてくれず、やめるように求められていたから、“諦めてしまおうか”という衝動と戦い続けなければならなかった。だからこそ、彼には深く共感できるんだ。
Q:実際の撮影では、あらかじめ決められた脚本にきっちり従うというよりも、日々、撮影現場でシーンを見つけていくという感じなのでしょうか?
映画を撮る際に僕が目指しているのは、“生の人生”を捉えること。人生には台本なんてないよね。時にそう感じることもあるかもしれないけど、実際には筋書きなどない。ただ、今回の物語は非常に緻密で複雑だったから、脚本に忠実に進める必要があった。
そういう時に僕がよく取るのはこういう手法だ。僕にはそのシーンが持つべき感覚や感情がわかっているから、俳優たちには一度脚本から離れて、その感情を探しに行くよう促すんだ。脚本に戻るのはその後で構わない。
撮影現場で僕が探し求めているのは、胃の奥に響くような、人生の本質を感じる瞬間、ただそれだけ。シーンの中にそういう瞬間が一つでも見つかれば、そのシーンは映画に残る。もし見つけられなければ、カットだね。
キャラクターと演者の本質が一致していることが重要
Q:「ストリート・キャスティング(素人起用)」をよく使われていますが、プロでない演者を混ぜることがシーンを生き生きとさせる鍵なのでしょうか?
そうだと思う。僕は、キャラクターとしてそこに存在する人々は、そのキャラクターの本質と一致していなければならないと思っている。
それはつまり、演者はどこにいたって見つけ出せるということ。それは映画スターかもしれないし、ミュージシャン、政治家、実業家、あるいは道端で見かけた誰かかもしれない。キャスティング・ディレクターのジェニファー・ヴェンディッティとの仕事は、ほとんどドキュメンタリーの製作過程に近い。彼女はドキュメンタリー作家で、僕自身もドキュメンタリーを何本か撮ってきたからね。
僕は映画監督としてキャリアを積む中で、初期の頃は“本物の人々(素人)”とだけ仕事をしたいと思っていた。観客がその演者を全く知らない状態で映画を観ると、キャラクターと一緒に成長し、それが本物の人生であるかのように感じられるからだ。
だけど、最近はプロの俳優についても、別の視点で見るようになった。彼らもまた一人の人間であり、内側に独自の本質を秘めている、とね。もしその本質をキャラクターとうまく結びつけることができれば、あるいは、キャスティングした人物に合わせてキャラクターそのものを書き換えることができれば、プロの俳優であってもストリート・キャスティングされたかのような生々しさが生まれる。そして僕のゴールは、映画の中のあらゆるキャラクターが、現実の人生からそのまま抜け出してきたかのように感じさせることなんだ。
今回の映画のグウィネス・パルトローが良い例だよ。しばらく演技から離れ、引退状態にあった彼女に“演技の世界に戻ってくる女優”の役を演じてもらう──そこには、僕たちが触れることのできるある種の真実が宿っている。
ティミー(シャラメ)についても同じ。初めて会った時の彼は(マーティ・シュプリームならぬ)“ティミー・シュプリーム”そのもので、彼は「自分はスターになるんだ」という強いビジョンを持ち、何百万回ものオーディションを受け、小さな役をこなしながらスターたちを見つめていた。彼はすでにスターだったんだけど、世界がまだそれに気付いていなかったんだね。彼のその本質を引き出すことで、たとえ彼自身ではない役であっても、キャラクターが彼そのものであるかのように感じられるんだ。
Q:プロと非プロで演出に違いはあるんですか?
違いはない。一人一人がユニークだから。演技経験が全くない人でも驚くほど直感に優れた人がいて、100本の映画に出演してきたベテランよりも演出が簡単なことだってある。こればかりはやってみるまでわからない。
演出において最も重要なのは、環境作りなんだ。全員がインスパイアされ、その世界やキャラクターを“自分のもの”にしているという主体性を持てるようにすること。それがシーンをリアルなものにする。各自が、自分には自由があり、何だってできるんだと感じられるようにしたいんだ。
例えば、本職の俳優ではなくミュージシャンのタイラー・ザ・クリエイター(マーティの親友ウォーリー役)。彼には現場でリラックスしてほしかった。彼はセリフを暗記する方法を知っていたけど、僕は暗記してほしくなくて。暗記してしまうと、単にセリフを“言っている”だけになってしまうから。僕は彼に、キャラクターそのものになってほしかったし、その場に存在してほしかった。
また、俳優にはしばしば“相手の話をしっかり聞くこと”を思い出させる必要がある。全員が一体となって取り組めば、そこには一種の民主主義が生まれ、その民主主義こそが、全員に“自分も貢献しているんだ”と感じさせることになるから。
ティミーのような俳優なら、プロだから、一言伝えるだけでそれを解釈してくれる。非プロの俳優に対してそうすることもあるけど、彼らの場合はどちらかというと“一緒に演じる”感覚に近い。僕にとってもっとフィジカルな作業になる。彼らの前で、実際に演じて見せる必要があるから。
アベル・フェラーラ(エズラ役を務めた映画監督)は、まず全てのシーンを僕にやって見せてほしいと言った。僕が彼の前でシーンを演じて見せると、彼はそれを見て「よし、やり方はわかった」と言う、といった具合だ。
つまり、一人一人が完全にユニークであり、決まった型はないんだ。プロの俳優に対してあえて非プロに対するようなアプローチをしたりすると、彼らはそれを非常に新鮮に感じてくれることもあるね。
映画が観客の目の前でリアルタイムに起きているように感じさせたい
Q:編集で気を付けていることは何でしょう? 代名詞とも言えるサフディ印のリズムをどのように維持しているのですか?
僕は撮影中にデイリーズ(その日撮影した素材)は一切観ない。だから、編集が始まる時こそが、僕にとって映画を再発見する瞬間なんだ。そしてその発見こそが、映画を形作る上での大きな原動力になる。
当然、シーンによって求められる緊張感は異なる。卓球のシーンの編集は、対話のシーンとは全く異なるアプローチになることもあった。だけど、僕が一貫して追い求めているのは、感情とエネルギーだ。映画が観客の目の前でリアルタイムに起きているように感じさせたいと思っていて、その感覚こそが“これは人生そのものだ”という錯覚を生み、次に何が起こるか分からないという、ある種の不安感や切迫感をもたらすのだと思う。
編集において助けになるのは、“視点”を理解することだ。撮影中、僕はできるだけ多くの視点、つまり主観を捉えるようにしている。先日亡くなったドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンの編集スタイルと映画へのアプローチは、僕のキャリア全体に多大な影響を与えた。
彼は現実の人生を撮影し、それをまるでフィクションのように感じさせた。それが可能だと知った時、僕その逆もできるはずだと考えたんだ。つまり、フィクションを現実の人生のように感じさせることもできるはずだと。面白いよね。だから編集するとき、特に対話のシーンでは、ひたすら感情を追い求める。何らかの確かな手応え、感覚がそこに宿っていること。僕が求めているのは、それだけなんだ。
映画『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は公開中


