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スーパー戦隊50周年 アクション監督・福沢博文の演出論「ヒーローの“気持ちの高ぶり”を表現したい」

スーツアクターからアクション監督へ - 福沢博文
スーツアクターからアクション監督へ - 福沢博文

 スーパー戦隊シリーズ50周年記念作品「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」のアクション監督を務める福沢博文。1980年代からアクションの道を志し、スタントマンや特撮作品のスーツアクターを経て、2012年からアクション監督となって手腕をふるっている。50周年記念として福沢がインタビューに応じ、スーツアクターからアクション監督へ転身した経緯や、キャラクターの感情の流れを断ち切らない、自然な形で見せるアクション演出について、自身の思いを語った。

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 特撮ヒーロー作品では、全体のドラマを演出する「監督(本編監督)」の他に、特撮(ミニチュア・CG)全般を統括する「特撮監督」と、スタント・アクションを統括する「アクション監督」が重要な役割を担っている。特撮ドラマにおいてアクション監督という肩書が使用されるようになったのは、スーパー戦隊シリーズ第6作「大戦隊ゴーグルファイブ」(1982~1983)からだった。それまでも「殺陣(たて)」および「技斗」と呼ばれ、専門的な技術と知識が求められるスタントや立ち回りを任されてきたポジションだが、アクション監督という名前がついたことで、より演出に対して意見が出せるようになり、重要度が増している。

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名だたるアクション監督との仕事が財産に

「高速戦隊ターボレンジャー」- (C)東映

 福沢が特撮ヒーロー作品に参加し始めたのは「高速戦隊ターボレンジャー」(1989~1990)のころ。最初は集団でヒーローに挑む兵隊(ウーラー)の一人や、あるいはアクションメンバーの補助を務めていたのが、経験と実績を重ねることにより演じる役柄も大きなものになっていったという。「超力戦隊オーレンジャー」(1995~1996)では怪人(マシン獣)や幹部(ボンバー・ザ・グレート)、続く「激走戦隊カーレンジャー」(1996~1997)だとレギュラー幹部のゼルモダ、暴走皇帝エグゾス、「仮面ライダークウガ」(2000~2001)では敵グロンギ怪人全般と、悪の重要キャラクターをこなしてきた福沢は、「百獣戦隊ガオレンジャー」(2001~2002)のガオレッドから「海賊戦隊ゴーカイジャー」(2011~2012)のゴーカイレッドまで、10年にわたってスーパー戦隊シリーズで「ヒーロー」を演じ、好評を得る。この時期、スーツアクターたちの演出を担当していた歴代アクション監督について、福沢は次のように印象を語った。

 「最初に『ターボレンジャー』で撮影現場へ入ったときから、ガオレッド、ハリケンレッドのころまでご一緒していた竹田道弘さんの印象が強烈ですね。『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992~1993)では師匠の新堀和男、『オーレンジャー』では山岡淳二さん、『クウガ』では金田治さん、『特捜戦隊デカレンジャー』(2004~2005)からは石垣広文さんと、そうそうたるアクション監督と一緒に仕事ができたことが、今の自分の財産になっています。みなさん演出の付け方が異なるので、いろんな方向性が自分の中に入っている感じです」

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 福沢がスーツアクターとしてヒーローを熱演していた「平成」時代における、アクション監督の演出風景はどのようなものだったのだろうか。

 「竹田さんがやっていたころは、トランポリンを使ってジャンプするとか、身軽に飛んだり跳ねたりする、JAC(現JAE)特有の動きがメインでしたね。あと、山岡さんだと高いところからの“落っこち”“飛び降り”が名物になっていました。先輩たちに聞いた話だと、早朝ロケ現場に着いた時点で、山岡さんが周囲の建物を見上げて、どこからキャラクターの飛び降りをさせようか考えていると、その様子を見ていた『飛び降りるほうの人たち』が気持ちを張り詰めさせていたとか……。もう、尋常じゃない高さから飛び降りていたそうなんです。石垣さんが入られた2000年代になると、リアリティのある立ち回りも際立っていきました。このころは、以前なら飛び降りOKだった場所でも、だんだん許可がおりなくなってきて、高いところからジャンプするつもりで段取りをつけていたのにダメになって、どうしようなんて場合も多かったんですよ。そんなときは、カメラワークを駆使していかにも高い場所から飛んでいるようにみせるなど、画作りで工夫するようにしていました」

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 昭和、平成のアクション作品に参加したスタントマン諸氏による「伝説」として、現在の感覚では非常に危険と思われることでも命がけでこなしたエピソードが語られることがある。そういった先人のチャレンジ魂があるからこそ、安全対策を万全にしつつ、迫力あるアクション・スタントが表現できるのだと福沢は語る。

 「昔の方たちも、もちろん安全確認を行った上でやっていました。全体的には手探りの状態で、ここまでなら大丈夫とか、ここから先は限界だから避けようとか、実際に撮影をしながらデータを集めていたというと変ですけれど、徐々にノウハウを築いていったところがあります。落っこちにしても、今回はうまくいったけど落ち方によっては怪我をする危険があるから、こういう場合は段ボールでクッションを作っておこうとか、蓄積があれば事前に判断ができる。先人の試行錯誤のおかげで、今のスムーズな流れが生まれたのは間違いないですね」

 福沢の師である新堀和男は、大野剣友会メンバーとして「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975~1976)でアカレンジャーなどを演じていた。その後フリーとなり、「バトルフィーバーJ」(1979~1980)のバトルジャパンから「鳥人戦隊ジェットマン」(1991~1992)のレッドホークまで歴代「レッド戦士」のアクションを連続して務めている。時代劇の立ち回りを源流とする大野剣友会と、立体的なスタント・アクションをこなすJAC、両者のやり方を経験した新堀は1980年代に「レッドアクションクラブ(現:レッド・エンタテインメント・デリヴァー)」を結成し、次代のアクション俳優育成にも尽力するようになった。

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 「新堀は大野剣友会出身ですから、剣での立ち回りが得意な反面、スタント的な動きをやっていなかったのですが、JACのメンバーと一緒に『電子戦隊デンジマン』(1980~1981)や『太陽戦隊サンバルカン』(1981~1982)に関わるようになり、そのころ大葉健二さんたちに教えてもらったりして、高所からの“腹落ち”ジャンプや、落っこちなどをマスターしたそうです。僕も新堀について立ち回りやスタントなど、総合的なアクションを教わることができた。そういう環境がありがたかったです」

アクション監督としての新たな一歩

アクション監督を務めた「特命戦隊ゴーバスターズ」- (C)東映

 スーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズ、仮面ライダーシリーズなどでスーツアクターをこなしながら、将来的にはアクション監督として演出の道に進みたい、という思いが福沢にはあったのだろうか。

 「後々は作り手のほうに行きたいなという思いは、アクションをしているころから抱いていました。中澤(祥次郎)監督と一緒にご飯を食べるたび、そんな希望を話していたところ、『特命戦隊ゴーバスターズ』(2012~2013)のとき、アクション監督をやってみないかとお声をかけていただいたんです。でも、石垣さんや竹田さんがアクション監督になったときは、それ以前から1年くらい、他の方についてアクション演出を学ぶ期間があったのに対し、僕は直前までゴーカイレッドをやっていて、いきなりの話でしたから、ちょっと不安はあったんです。でも、ここで躊躇していたらもう二度とチャンスがこないのではないかと思い、失敗を恐れずやるしかない! と決意して、お引き受けしました」

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 それまでは撮影現場で、アクション監督の指示や提案を受けて動いてきた福沢が、今度は演出をつける側に回った。立場が変わったことで、見えてくるものもあったのだという。

 「立場が変われば、考え方も変わりますね。今まで、自分でこう動けばヒーローがカッコよく見えるだろうと思ってやっていたけれど、今度は『映るのは俺じゃないんだ』という意識が強まりました。相手にどう伝えればカッコいい動きになるのか、ということをものすごく考えるようになりました」

 「ゴーバスターズ」のヒーローは、十数年間にわたって特別な訓練を受けてきたという設定だった。それゆえ、派手さを抑えて無駄のないプロフェッショナルな動作が大きな特徴となった。

 「立ち回りのリズムを変えて、もっとテンポを高めるよう意識しました。従来、ヒーローが戦いに臨む直前にやっていた“カメラ越え”の動作をなくしたのも狙いです。ヒーローがカメラを飛び越えて戦いに向かっていくというのは、竹田さんたちが築き上げた鉄板の演出。新たに自分がアクション監督を務めるのなら、また違うものを生み出さなければならないと思いました」

 「ゴーバスターズ」のアクションについては、福沢がヒーローを演じていたころから考えていたアイデアが形になって表れているという。

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 「プレイヤー時代から気になっていたのが、ヒーローに変身した時点で、それまでやっていたドラマの流れが飛んでしまって、いきなり戦いになったりするところでした。ヒーローと敵との距離が20メートルほどあったと仮定して、僕としては一歩一歩歩きながら間合いをつめ、気持ちを徐々に高ぶらせつつ、変身して戦いに臨むという風にしたほうがいいと思っていました。ドラマ部分とアクションが分離せず、一体化した状態で進行できないだろうか。変身前のキャラクターの気持ちの高ぶりが、そのまま変身後のヒーローへと自然に移行し、アクションにつなげていくといった演出をやってみたかったんです」

アクションを言葉だけで表現する能力

福沢博文、シンケンレッドの構え!

 アクションとドラマが分断せず、ひとつのストーリーとして融合させたいという福沢の狙いは、スーパー戦隊シリーズの質的向上に貢献したに違いない。しかし、限られた放送時間の中、すべてが福沢の狙いどおりに行ったとは限らないのが、テレビドラマの難しいところだ。

 「どうしても“尺”の問題があって、放送時間内に収まらなければ、切るしかないんです。台本でセリフのあるところを切るとお話がわからなくなりますから、真っ先に短くなるのは立ち回り、アクションの部分なんです。剣での斬り合いがあったとして、5つ“手”をつけたとしても、2手になったり、最悪の場合は一回ガチーンと斬り合っただけで次に行くとかになることもあります。ケースバイケースではありますが、いくつかのカットをどう組み合わせて、観ている人を飽きさせないようにするか、が大事なところです」

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 スーツアクター、アクション監督を経て、本編監督も務めたJAE代表・金田治から、福沢は次のような激励を受けたという。

 「『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015~2016)でご一緒したとき、金田監督から『作品っていうのは、とにかく撮って撮って、撮りまくって、美味しいところだけを残して、それをつないで完成するものなんだ。最初から計算して、うまく収まるようにしていたらいい作品ができないぞ』と言ってもらったんです。ただ、一日に撮れるカットの分量って限られてくるので、その日も結局『間に合いません』みたいなことになって最後は『このシーン、ワンカットで撮っちゃおう』みたいにはなりましたが……(笑)。金田さんの言うように、いい作品にするためとことんクオリティーを突き詰めていこうという気持ちの部分は、絶対に持っていたほうがいいなと思いました」

 福沢がアクション演出を手がけるにあたり、特に強く意識しているのはどんなところだろうか。

 「演じる相手に対し、こういう動きをしてほしいと伝えたいとき、どのような表現をすればうまく伝わるか、というところです。たとえば金田さんだったら、言葉よりも“擬音”が主体となって、『ここでドーン!』とか『次はバーン!』とか端で聞いているとよくわからないんですけど、実はそういった擬音のほうが実際に動くほうとしては感覚として伝わりやすいことがあります。僕はそういったパッションで行く場合もあれば、理論的な言葉を組み立てて細かく演出意図を説明する場合もあり、両者を状況に応じて使い分けるようにしています。感覚にうったえるのも大事な一方で、どう動いてほしいかをすべて言葉だけで表現する能力も必要だと考えています。アクションパートだけのことを考えるのではなく、物語全体のテーマを見極めて、それに合わせてキャラクターをどう動かしていくか……。それを明確な言葉として、関わっている人みんなに伝えていくのが理想かなと思っています」(取材・文:秋田英夫)

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「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」

最高最強のナンバーワンを目指し、子どもたちに圧倒的な人気を誇る動物や恐竜=獣(けもの・ジュウ)をモチーフにした5人のヒーローが活躍する物語。脚本は「仮面ライダーガッチャード」の井上亜樹子、演出は「仮面ライダーガッチャード」「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」などの田崎竜太(崎はたつさきが正式表記)が担当する。

「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」テレビ朝日系にて毎週日曜午前9時30分~放送中

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