「べらぼう」田沼意次の死を描かなかった理由

横浜流星主演の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)で主人公・蔦屋重三郎にも大きな影響を与えた人物として描かれた老中・田沼意次(渡辺謙)。14日放送・第35回では老中首座となった松平定信(井上祐貴)の質素倹約を掲げた政によって、蔦重をはじめとする版元や戯作者、絵師たちに暗雲が漂うなか、蔦重のもとに意次の訃報が届いた。これまで多くの人物の死が描かれたが、なぜ意次の死は描かなかったのか? その理由を制作統括の藤並英樹チーフプロデューサーに聞いた。
1月5日放送の初回から9月7日放送・第34回まで、長きにわたって登場した意次。足軽出身の出自から遠江相良藩(現在の静岡県牧之原市)の五万七千石の大名、そして老中へ上り詰めた“成り上がり”。賄賂も行う悪徳政治家という説もあるが、本作では「新しい世を創る」ことに尽力した先進的な人物として描かれた。主人公・蔦重とは、蔦重が貧困にあえぐ吉原の女郎たちを救うべく商売の妨げとなる岡場所へ警動を行うよう意次に直談判するところから始まり、意次が蔦重に告げた「お前は何かしているのか、客を呼ぶ工夫を」の一言は、蔦重が版元への道を歩み始めるきっかけともなった。時の権力者であり、蔦重にとって大きな存在だったが、その死はあっけなく、第35回では狂歌師の大田南畝(桐谷健太)が訃報を告げる形となった。
近いところでは蔦重の友人だった新之助(井之脇海)が「天明のうちこわし」の渦中で非業の死を遂げたが、なぜ意次の死は描かれなかったのか? 藤並CPいわく「死ぬところを見たくなかった」のが理由の一つであったという。
「これまで長きにわたって意次というキャラクターを作っていく中で、最後は死ぬところは描かない形にしたいと(脚本の)森下(佳子)さんからお話があり、僕も“その方がいいんじゃないか”と。最後の出演回では、意次が蔦重に家中の役目を入れ札(投票)で決める話をして、それから沙汰を言い渡される流れでした。意次って幕府から罰を受け、領地も取り上げられ、城も破壊されていくんですけれども、枯れない人、不屈の人という印象がある。最後まで政治に関心があって、政治を楽しみ、世の中を良くしようという思いが強かった。だから老中をクビになろうと、領地を取り上げられようと、次はどんな政治をしようかとか、どうやったら国が良くなるだろうかと考え続けた。そんな“負けない人”であることを描きたかったので、亡くなるところは描かなかったということです」
第34回では「俺はお前と同じ成り上がりであるからな。持たざる者にはよかったのかもしれぬ。けれど、持てる側からしたら憤懣やるかたない世でもあったはず。今度はそっちの方が正反対の世を目指すのはまあ当然の流れだ」と話す意次に、蔦重が「田沼様、私は書をもってその流れに抗いたく存じます」「最後の田沼様の一派として。田沼様の世の風を守りたいと思います」と固く誓っていた。松平定信による寛政の改革が推し進められ町人文化に影を落とすなか、蔦重はどのように立ち向かうのか。蔦重にとってここからが本当の始まりと言えるかもしれない。(編集部・石井百合子)


