サスカッチ・サンセット (2024):映画短評
サスカッチ・サンセット (2024)
ライター4人の平均評価: 3.5
UMA伝説への「本気」のラブレター
“子供の遊び”を真面目に延長させた大人のものづくりに胸打たれる。VFXや生成AI向きの題材なのに、米カリフォルニアのレッドウッド国立公園にアイゼンバーグたち仲間=キャスト陣を呼び寄せ、特殊メイクとコスチュームを駆使。風刺劇と脱力コントを跨ぎながら、非言語コミュニケーションで結びつく猿人サスカッチ(ビッグフット)の“仮説としての生態”を無声映画風に仕上げた。
監督は子供の頃から伝説に魅了されていたという奇才ゼルナー兄弟。彼らの怪作『トレジャーハンター・クミコ』で菊地凛子が扮した『ファーゴ』オタクの日本人女性クミコのように、“未知のもの”に対するピュアネス過剰な情熱こそが本作の熱い魂である。
"森に住む人"の伝説が世界中にあるのは何故か
日本に山男や山姥がいるように、世界中に"森に住む人"の伝説があるのはなぜなのか。本作は、森に住む未確認生物サスカッチの生態を、セットではなく国立公園の大自然の中で撮影し、ネイチャー・ドキュメンタリーの形式で描いて、問いかけてくる。ナレーションはなく、そのことで、この類の作品のナレーションの多くが、生物の行動を人間の視点から語って、人間の驕りを露呈していることを思い出させる。タイトルの「サンセット」は、彼らが見る美しい日没のことでもあるが、彼らの種族の黄昏も意味している。
それにつけても、サスカッチを演じる、ジェシー・アイゼンバーグとライリー・キーオは、出演作の選び方がカッコイイ。
あくまでも悪趣味を貫く!
UMAの生態をひたすら覗き見する一発ネタ映画ではあるが、菊地凛子がいろいろとヤバい『トレジャーハンター・クミコ』のデヴィッド・ゼルナー監督作。大自然の美しさを捉えたマイケル・ジオラキスの撮影に対し、ギャグは基本的に下ネタで占められ、汚物をまき散らす漫☆画太郎テイストもアリ。あくまでも悪趣味を貫いていることもあり、「製作総指揮:アリ・アスター」のクレジットも納得できてしまう。また、ジェシー・アイゼンバーグやライリー・キーオが“中の人”を演じている可笑しさなど、『人類創世』というよりは『おかしなおかしな石器人』に近いノリで進んでいく、一筋縄ではいかないロードムービーだ。
われわれ人間が忘れかけた自然の本能が息づいてる超怪作!
俳優が外見を「非・人間」に変える場合、現在はモーション・キャプチャーなども使えるのに、あえて特殊メイク&着ぐるみを選び、しかもそのアナログな魅力を異様な方向へ暴走させた怪作にして快作。
さながらサスカッチの生態ドキュメンタリーなのだが、生殖から命の終わりまで遠慮ナシに表現し、その潔さに感動。J・アイゼンバーグも素顔だったら絶対にやらない、あられもない姿を嬉々として演じてるし、人間じゃないので映倫によるボカシが入らないのが笑える。
一方で人間の習性に近いシーンも多く、妙な親近感が、とぼけた味わいへ転じたりも。忘れかけた本能が呼び醒まされつつ、失われてゆく世界への郷愁がちょこっと胸を締めつける。