フォーチュンクッキー (2023):映画短評
フォーチュンクッキー (2023)
ライター2人の平均評価: 4
モノクロの世界が、明るく柔らかい
明るく柔らかなモノクロ映像に、ずっとほのかにユーモラスな気配が漂い続ける。主人公は、アフガニスタンの混乱を逃れ、ひとりでアメリカに移住したばかりで、今も夜は眠れない若い女性だが、映画はそれを単純に悲痛な物語としては描かない。
彼女は、同国の移民が集まる地域を出て、中国系アメリカ人が経営する、中華料理店用のフォーチュンクッキー工場で働く。そこでクッキーの中のおみくじの文を書くことになり、彼女が考えた心和む言葉を書いていく。工場経営者の妻に少々イジワルもされるが、そのせいで心はずむ出来事にも出会う。いつもの日々の中に、ふと差し込む日差し、ふいに生じる可笑しさが心に沁みる。
移民映画としてのニュー・アメリカン・インディーズ
冒頭からカウリスマキの『マッチ工場の少女』や『枯れ葉』を彷彿させる愛すべき91分。タリバン復権後、アフガニスタンから米カリフォルニア州フリーモントに逃げてきた20代の移民女性が主人公。勤務先の工場はチャイナタウンにある。色んな地政学が交錯する郊外の日常=映画空間には英語、ダリー語、広東語が行き交う。
監督のババク・ジャラリはイラン出身の英国育ち。影響としてはタル・ベーラやジャームッシュらが大きいようだが、「ほぼ社会派」の内容をモノクローム映像で小粋なメルヘン調に仕立て上げる手際が素敵だ。最終段階で登場するジェレミー・アレン・ホワイトも良し。ヴァシュティ・バニヤンの名曲はカラオケでも使われる!