見えない娘 THE INVISIBLES (2026):映画短評
ライター3人の平均評価: 3.7
金子みすゞの、あの「見えぬけれどもあるんだよ」が思い出される
父と三姉妹の親子の中で、「なぜか末娘だけが生まれついての透明人間」というトリッキーな設定である。当然、これまでの「透明人間」ムービーと同様に画面上は見えない、(声のみ聞こえる)その不可視な存在を際立たせため、周囲の人物たちの台詞や動作、リアクションが重要になってくる。
そういう意味では本作は、役者陣の丁々発止のアンサンブル(そして末娘役、声だけの出演の鈴木凜子の奮闘ぶり!)もあって、この無理くりな設定を感じさせるのに成功している。で、最後には、末娘が透明にさせられている事情が垣間見え、金子みすゞの代表的な絵本『星とたんぽぽ』の有名な一節、「見えぬけれどもあるんだよ」が思い出されることだろう。
今回も「あざとさ」満載の変化球SF
“生まれつき透明人間”な三女をめぐるロードムービーという、『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』制作チームらしい変化球SF。今回もどこか『悪魔と夜ふかし』を想起させるクライマックスに至るまで、「どこかで観たようで観たことない映画」に仕上がっているのは間違いない。もちろん、濱田祐太郎などのキャスティングやエンドロールにくるり「ばらの花」に流すあたり、このチームらしい「あざとさ」も健在。そんななか、大化けする予感しかない次女役の矢山花ら、若手女優の魅力の引き出し方やノスタルジックな空気感など、「大林宣彦チルドレン」ともいえる独特な演出が目を引く。
目ではなく“こころ”で見る、その先に“ひかり”あれ
おそらく多くの観客は主人公が見えないことに、もどかしさを感じるだろう。これまでの透明人間映画とは異なり、見えないのは普通の家庭で生まれ育った愛すべき少女だから。
もどかしさについてさらに言えば、父や姉たちにも彼女が見えないから、状況面で時として厄介なことになる。特異な家庭であっても絆はあるが、それを分かち合う手段が限定されている。家族のもどかしさイコール、観客のもどかしさとなる構図に旨味を覚えた。
主人公の“ひかり”に加え、“心”“学”“風”“音”という一家の人々にあたえられた役名も象徴的で、単にファミリーコメディとして楽しめるだけでなく、考えさせる要素もあり。





















