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塩屋俊さん偲ぶ会 小堺一機、陣内孝則ら無念語る

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塩屋さんを思い、あまりに早い死に無念の表情を見せた小堺一機
塩屋さんを思い、あまりに早い死に無念の表情を見せた小堺一機

 6月5日に急性大動脈解離のため56歳で亡くなった、俳優で映画監督の塩屋俊さんを偲ぶ会が2日、港区の青山ロビンズクラブで執り行われた。会場には発起人に名を連ねる俳優の加藤雅也、タレントの小堺一機をはじめ、中村雅俊陣内孝則藤田朋子ら約450名が弔問に訪れた。

小堺一機、無念…塩屋俊さん偲ぶ会

 この日の祭壇には、塩屋さんが演出を務め、東日本大震災の医療現場を描いた舞台「HIKOBAE」のテーマでもある、「再生」の意味を込め、木の切り株とそこから生える若芽を用意。遺影は、塩屋さんが2008年に閉会式の演出を手掛けた「チャレンジ!おおいた国体」の宣伝のため撮影されたものが使用された。

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 テレビドラマ「服部良一物語」での共演以来、塩屋さんとは20年来のつきあいという小堺は「彼の働き方を見ていると、震災があったら『今大事なものは何か? 震災(被災地)の皆さんだ』と(被災地に)映画を撮りに行ったり、いつも今大事なものは何かを見つけようと動いていた。先輩で、友達で、憧れの人でした」と故人を偲んだ。

 また塩屋さんが監督を務めた『種まく旅人~みのりの茶~』に主演した陣内は、最後に会った際にも、塩屋さんが次回作の構想を練っていたと述懐。「『種まく旅人』の次は、どうしても相馬市で撮りたいとおっしゃっていました。被災地に問題意識を持って、現場に入って映像も撮っていて。僕を主演に考えてくれていました」と語ると、志半ばで亡くなった塩屋さんを思ってか、目をうるませていた。

 塩屋さんは1956年大分県生まれ。1980年にテレビドラマ「離婚ともだち」で俳優としてデビューし、NHK連続テレビ小説「おしん」、映画『釣りバカ日誌』シリーズなどで活躍。監督としては『6週間 プライヴェートモーメント』『ビートキッズ』『種まく旅人~みのりの茶~』などを手掛けた。1994年には塩屋俊アクターズクリニック(現「アクターズクリニック」)を設立し、後進の育成にも努めた。(中村好伸)

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