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『イヴの時間 劇場版』人間とAIの距離感のゆらぎを予見するSFアニメの傑作

映画ファンにすすめるアニメ映画

 新型コロナウィルスの感染拡大防止により、ソーシャルディスタンス(社会的距離)という言葉が日常的に使われるようになった。そして、人間同士が遠ざかった生活の狭間を埋めるのは、進歩を続けるAI技術と、それを搭載したロボットではないかとも言われている。そんな今だからこそ、『イヴの時間 劇場版』は観られるべき作品だ。作中で描かれた人間と人型ロボット(アンドロイド)の距離感のゆらぎは、来るべき未来の社会を予見するものとして、少なからぬ驚きをもって受け止められるだろう。(香椎葉平)

サミィとリクオ
ハウスロイド・サミィを人間扱いしないようにするリクオだが……。『イヴの時間 劇場版』より - (C) 2009 / 2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

【主な登場人物】

向坂リクオ(CV:福山潤) 男子高校生。両親や姉と暮らす自宅の家事は、ハウスロイド(家事用アンドロイド)のサミィが一手に担っている。この時代の人間の常識として、ハウスロイドのことは単なる家電扱いするようになっている。

サミィ(CV:田中理恵) リクオの家で働くハウスロイド。外見は人間の若い女性そのままで、普段は他のアンドロイドと同じく無表情で受け答えも無機質、頭の上にそれとわかるよう光の輪が浮かんでいる。

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Siriやスマートスピーカーが嘘をついているとしたら?

 アニメーション作家・吉浦康裕がアニメ「イヴの時間」シリーズをインターネット上で公開し、何かと口さがないコアなアニメファンをも唸らせたのが2008年から2009年。その再編集版に新規カットを加えて劇場版として公開したのが2010年。それから10年の時が過ぎているが、この作品は古びるどころか、ますます新しさを増している。優れた娯楽作であるという以上に、作品内容が、未来を予見するものだからだろう。『イヴの時間 劇場版』は、AI技術の進歩によって変わりゆく今の戸惑いをそのまま形にしたかのような、SFアニメの傑作だ。

 作品が予見したもののひとつに、スマートスピーカーの普及拡大があるだろう。Google HomeやAlexaといったスマートスピーカーの進歩には、日々、驚かされるばかり。iPhoneに標準機能として搭載されている音声アシスタント機能Siriになると、一般家電と言うにはまだためらいのあるスマートスピーカーよりも、さらに身近な存在かもしれない。話しかけるとAIが答えを返してくれて、家電の操作なども、命じるだけでかなりの範囲まで可能。それどころか、たびたびネット上でも話題になるように、こちらのジョークにユーモアで切り返してくれさえする。

喫茶「イヴの時間」
不思議な空間、喫茶「イヴの時間」とは。『イヴの時間 劇場版』より - (C) 2009 / 2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

 『イヴの時間』に登場するハウスロイドも、あたかもスマートスピーカーのような使われ方をしている。質問をすれば正確に答えるし、命じるだけで面倒な家事を引き受けてくれる。アンドロイドらしく、いかなる時も冷静で、受け答えも無機質。外見は人間そのままでも、あくまで単なる家電として扱われ、老朽化すれば製造メーカーに引き取られて廃棄されていく。

 けれど、いかにも機械的なアンドロイドの振る舞いが嘘偽りのない行動という保証は、考えてみればどこにもない。スマートスピーカーやSiriが嘘をついている可能性について、疑ったことはないだろうか。もしもアンドロイドに、持ち主すら知らない秘密の考えや感情が芽生えていて、それを悟られまいと意図的に隠しているのだとしたら?

 作中ではたびたび、ロボット三原則が引用される。『アンドリューNDR114』(1999)や『アイ,ロボット』(2004)の映画化でも知られるSF作家アイザック・アシモフが自作の中で提言した、ロボットが従うべきとされる原則のことだ。後のSF作品のみならず、実際のロボット工学にも大きな影響を与えたと言われている。

 いわく、「ロボットは人間に危害を加えてはならない」「ロボットは人間の命令に服従しなければならない」「ロボットは自らを守らなければならない」としている。その中に、ロボットは人間に隠しごとをしてはならないという条文はないのだ。

 『イヴの時間』の物語は、ロボットによる人間への隠しごとをきっかけに紡がれていく。

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アンドロイドがゆらぐ人間らしさと幸せの意味

 主人公の向坂リクオは、幼い頃から続けていたピアノをやめてしまった高校生。向坂家の家事全般は、サミィという人間の女性そっくりのハウスロイドに任せきりだ。リクオも何かと用事を言いつけたりするが、その時代の他の人間と同様、ハウスロイドを人間扱いすることは決してない。アンドロイドに過剰に感情移入する者は、ドリ系(アンドロイド精神依存症)と呼ばれ、異常だと扱われてしまうのだ。

 性的な描写こそない作品ながら、この辺りの設定は、押井守監督の『イノセンス』(2004)で語られたセクサロイド(人間同様の性的な能力を持つアンドロイド)や、現実でも槍玉に挙がることの多いラブドールの取り扱いを、背景として踏まえているのかもしれない。

ナギ
「イヴの時間」でウェイトレスをするナギ。『イヴの時間 劇場版』より - (C) 2009 / 2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

 リクオはある日、サミィの機体から抽出した行動記録の中に、命令した覚えのない履歴を見つける。どうやらサミィには、隠しごとがあるらしい。親友のマサキと共に、サミィの行動経路を追ったリクオがたどり着いた場所、それが「イヴの時間」という店名の不思議な喫茶店だった。

 「イヴの時間」には、あるルールがあった。それは、店内にいる限り、人間とロボットは区別しないというもの。アンドロイドが、人間と一目で区別できるよう頭上に浮かべている光の輪は、店内では消えている。しかも、いかなる時も冷静で無機質な受け答えしかしないはずのアンドロイドが、この店の中でだけは、人間らしく喜怒哀楽を表現しながら幸せに過ごしているのだ。

マサキとリクオ
あることで喫茶「イヴの時間」に通うことになるリクオ(右)とマサキ。『イヴの時間 劇場版』より - (C) 2009 / 2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

 単なる家電のはずのアンドロイドに喜怒哀楽があり、その感情表現も人間のものと区別がつかないとしたら、人間との違いはいったいどこにあるのか。人間らしさや幸せの本当の意味とは何なのか。喫茶「イヴの時間」に通ううちに、リクオやマサキの中で自明の理であったはずの人間とアンドロイドとの区別や、取るべき距離感が、少しずつ揺らいでいく

 物語の中でとりわけ興味深いのが、リクオがピアノから離れてしまった理由だ。きっかけとなった出来事は、将棋をはじめとした一部の分野では、既に現実世界で起きていることだ……。演奏をやめたリクオを、誰よりも人間らしく気遣っていたのは誰だったか。人の手によって造られたその人間らしさは、どこまで本物だと言えるのか。

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『ブレードランナー』などロボット物SFとは異なる視線

 人間とアンドロイドの差異を扱った作品として、映画ファンなら真っ先に思い浮かべるのが、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(1982)だろう。『イヴの時間』の作中にも、明らかにオマージュと思われる設定やセリフが登場する。だが、アンドロイド(『ブレードランナー』の世界ではレプリカント)に向けられる視線は大きく異なっている。

 アンドロイドを広く人造人間ととらえた場合、それを描いた物語の歴史は筆者の浅学では想像もつかないほどで、古くは錬金術におけるホムンクルスの伝説にまでさかのぼれるのかもしれない。ただ、キリスト教的倫理の影響下で描かれたものには、『ブレードランナー』しかり、人造人間は人間に敵対する存在か否かという視線がまず最初にあらわれているように思える。神ならぬ身でありながら「人」を造るという行為そのものが、極めて不遜かつ冒涜的であるという意識があるからだろう。現実世界のクローン技術をめぐる諸問題にも、明らかにこの意識が反映されている。

ナギ
普段はどんな客にも明るく接するナギだが……。『イヴの時間 劇場版』より - (C) 2009 / 2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

 『イヴの時間』には、この倫理的なまなざしがほとんど感じられない。作中には、その名もズバリ倫理委員会という組織が登場し、彼らが人間とアンドロイドを区別しようとさまざまな圧力を加えてくる。それでも、彼らを動かしているのが、厳格な宗教意識とは到底思えない。モチベーションになっているのは、おそらくはリクオやわれわれの中にあるのと同様の、素朴な不安感のようなものだ。芸術や仕事やスポーツのみならず、愛情を必要とされる子育てのような分野でも、AIを搭載したアンドロイドが人間に取って代わるとしたら、人間の存在意義はどうなってしまうのか。このテーマも、リクオの親友マサキと彼のロボットのエピソードとして、物語のラストで語られる。

 アンドロイドという言葉を初めて用いたのは、ヴィリエ・ド・リラダンの小説「未来のイヴ」だと言われている。愛する女性の精神性の低さに絶望した男が、その女性と瓜二つの人造人間を発明王エジソンに造らせるという、SF小説の先駆とも言われる物語だ。人造人間は男が渇望してやまない高い精神性をも備えているが、人の手によって造られたそれは、果たして本物と言えるのか

 『イヴの時間』を初めて観たとき、まず思い浮かべたのが、この「未来のイヴ」だった。吉浦康裕が続編を作るとすれば、リクオとサミィの物語も恋愛に発展していくのかもしれない。今のところは、続編の可能性も含め、ドリ系である筆者の妄想に過ぎないのだが……。

 時に時代の方が、作品に追いつくことがある。変わりゆくこの世界に、イヴは生まれつつあるのかもしれない。とっくの昔に誕生して、わたしたちの気づかぬまま、隣人として人間らしく時を過ごしている可能性だってある。

 サミィの行動履歴の中に残っていた、本作の副題にもなっているフレーズ。その問いに、今ならどう答えるだろう。

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【メインスタッフ】
原作・脚本・監督・絵コンテ・演出・3DCG・撮影・編集・音響監督:吉浦康裕
キャラクターデザイン・作画監督:茶山隆介
監督助手:長谷川拓哉
CG監督:安喰秀一
音楽:岡田徹
アニメーション制作:スタジオリッカ
制作:ディレクションズ
プロデューサー:長江努

【声の出演】
福山潤
野島健児
田中理恵
佐藤利奈
ゆかな
中尾みち雄
伊藤美紀
清川元夢
沢城みゆき
杉田智和

イヴの時間 劇場版

『イヴの時間 劇場版』
DVD&Blu-ray発売中
DVD:3,800円/Blu-ray:6,800円(税抜)
発売元:アスミック・エース
販売元:KADOKAWA
(C) 2009 / 2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

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