遠い山なみの光 (2025):映画短評
ライター2人の平均評価: 4.5
広瀬すずの大きさを再確認
原作・カズオ・イシグロ&監督・石川慶という組み合わせのヒューマンサスペンス。主演は出演作一作ごとにその存在感を増し続ける広瀬すず。日英ポーランド合作という一般的な邦画の座組を超えた作られ方をしている作品ですが、このくらい大きな器でないと現在の広瀬すずという存在を受け止められないのだなということを再確認しました。一方で物語は”語り”の映画であり、こういう展開となる時は嘘や省略、変更が含まれていることが往々にしてあります。本作もそんな物語の一つ、何処に何があって何がないのか?注視しながら映画に喰らいついていきましょう。
文学の味わい、テーマをそのまま映画に昇華させることに成功
原作の「感覚」をそのまま映画化することが理想なら、これはそんな一作。ただしその感覚は「不可解さ」でもある。
1982年に英国にいる主人公が、1952年の日本での生活を回想する構成だが、特に日本パートに言いしれぬ違和感が積み重なっていく。そこをどの時点でキャッチできるかで作品の印象も変わるはず(早いから良いわけでもない)。これは文学全般の魅力でもあり、映画としてその魅力の追求→成功例に。しかしテーマとしては「母親として娘への後悔」が通底しているので鑑賞後の余韻はことのほか深い。
キャストも総じて好演。中でも二階堂ふみは1950年代の日本映画からそのまま抜け出たような佇まいと台詞回しが美し過ぎた。





















