「桐島です」 (2025):映画短評
ライター2人の平均評価: 4
「何かの間違いで主人公となってしまった」男
「何かの間違いで主人公となってしまった」男、桐島聡。毎熊克哉が確かなスキルで肉付けした政治犯、この実在し、逃走をやりおおせた指名手配犯に高橋伴明監督は2大名曲、河島英五の「時代おくれ」と浅川マキの「こんな風に過ぎて行くのなら」を捧げている。批評的な視座からと“手向け”の意味合いを込めて。
本作はタイトル通り、名前をめぐる映画でもある。かつて過激派たちは「さそり」「狼」「大地の牙」と仰々しいグループ名を付けたが、桐島はそこから離れ、「内田洋」の偽名を使って工務店で働き、それが「うーやん」として市井に溶け込み、そして末期の胃がんで入院して本当の名前を取り戻す。半世紀にも及ぶ孤独な旅路である。
徹底して日常感を出す毎熊克哉…やがて映画らしい劇的効果も
生真面目な性格。不本意な犯罪によって一生涯、追われる身になる。それでも、ささやかな日常の幸せを見つけようとする…。そんな主人公に、おそらく今、最も適役と思われる毎熊克哉が、期待どおり複雑かつ内に秘めた心情を好演する。出世作『ケンとカズ』での熱さと引きのバランスを思い出し、感慨にふけったりも。
逃亡犯だからこその日々。さりげないルーティーンが観る者の心をざわめかせ、変化する時代を示す人々の感情やニュース映像に、主人公のポリシーをシンクロさせてメッセージ性もきっちり。
特に終盤、あくまでも作り手の想像ではあるものの、桐島の本心に肉薄するエピソードの美しい配合が、映画らしい静かな劇的効果をもたらす。



















